第19話:騎士のコンフェシヨン

「そんな心ここに在らずで剣を振り回されては、危ないのではないですか? ローラン様」


 剣を振っていると唐突に声がかけられた。

 エリザベットだ。気付かなかった己に驚くほど間近に彼女はたたずんでいた。


「そんなにだったか?」


「ええ、剣の心得のないわたしにも危なっかしさが伝わって来たのですから、相当ですよ?」


「そうか……」


 身が入ってない自覚はあったのだが、改めて指摘されると気恥ずかしい。

 首にかけたタオルで額を拭う。


「随分と汗をかいていらっしゃいますね。まさか朝からずっと素振りを?」


 『朝から』という言葉に空を見上げれば、日は頂点を少し過ぎたあたりだった。もう正午を過ぎていたか。


「そうだな……。剣に没頭すれば雑念も振り払えるかと思ったんだが……」


「逆効果ではありませんか、それ。自問自答を繰り返してもずぶずぶと沼に嵌まっていくだけでは?」


 呆れたように言うエリザベット。俺はその言葉に反論できなかった。

 沈黙を肯定と捉えたのだろう、彼女はしたり顔で続ける。


「ですから! ローラン様には相談相手が必要なのです。その様子だと昼食もまだよね? どうです、食事でもしながら少しお話ししませんか?」


 彼女はそう言い、俺の返事も聞かず「ついてきなさい」と言って歩き出した。


────────────────


 俺たちは小会議室を借りた。密談や簡単な議論のために設けられた定員二名の小さな部屋だ。

 机と椅子しかない簡素な部屋に、途中食堂で購入したケータリングの種々と紅茶の香りが多少の彩りを加えている。

 紅茶を淹れてくれた侍女も既に去り、二人だけになる。

 密室で、二人きりだ。


「二人きりでいいのか?」


 気にする風もなく優雅に紅茶をすすっていた彼女は「はて?」と首を傾げ、


「ああ、セレストさんにはローラン様とお話しすることは伝えてあるのでご心配なく。浮気には──付き合ってもいないのに浮気も何もないですが──とにかくそういったことにはなりませんので」


「それもあるが、俺のことよりエリザベット様のことだ。俺は威圧感のある方だと自覚しているが」


「は! 今のローラン様の何を怖がれと!」


 彼女は一笑に付す。


「ついでに言えば、わたしには他に好きな人もいますし恋愛的な意味でドキドキすることもありません。もっと言うと、ローラン様のことはぶっちゃけどうでもいいとすら思ってますのでローラン様も気を楽にして下さいな」


 至極当然のことのように彼女は言ってのけた。

 唖然としていると「それ貰いますね」と小さなサンドイッチを一つつまむ。


「ここで話したこと、聞いたことは他の人に漏らさないと約束します。ですから、セレストさんや平民娘に言いにくい弱音はここでどうでもいいわたしに吐き出して行って下さい。あ、結構美味しいですねこれ」


 平民娘とはメアリーのことだろうか。

 指についたソースを舐めとり、彼女は俺の目を真っ直ぐ見る。


「そして、セレストさんにはかっこいいところを見せてあげて下さい。貴方に興味のないわたしは、彼女のためにここにいるのですから」


 言いたいことを言い終えたのか、彼女はこちらからケータリングに興味を移す。

 「もう一つくらいなら……」と呟きながら物色する姿を見て、この人は本当に俺に興味がないのだなと実感する。

 それを救いに感じるのは弱気が過ぎるだろうか。


「そこまで言われては俺も話さないわけにはいかないな。しかし何から話せばいいものか……」


 昨日からずっと悩んでいるが相談すべきことすらわからない。なんという体たらくか。自分の気持ちが間に合ってないな。


「昨日学んだのですけれど、取っ掛かりがないときはきっかけとか原点とかそういうものを思い起こすといいそうですよ」


「原点、か……」


 「ええ」と相槌を打ちながら、彼女は果物が挟まれたブリオッシュに手を伸ばす。

 そして、ついでのように話す。


「ローラン様、貴方はどうして強くなりたいのですか?」


 片手間に投げかけられた問い。さしたる意味もなく放たれた言葉は、しかし刃のように突き刺さった。

 返せる言葉がない。なぜなら、


「考えたことも、なかったな……」


 どうすれば強くなれるか、ということなら何度も考え、実践してきた。

 だが、そもそもどうして強くなりたいか、については疑問に思ったことがなかった。

 だってそれは、あまりにも当然のことだったから。


「でしたら、そこから考えるとよろしいかと」


 彼女は心底どうでもよさそうな態度のままこちらに促す。よく考えろ、と。

 しばしの黙考。

 しかし改めて考えてもそれは“当然のこと”としか思えない。


「俺はシュバリエ侯爵の長子、国境の護りを担う後継者だ。強くあらねばならないのは当然だろう」


「つまり、家のためだと?」


「いや、それは……」


 反射的に否定しかけ、迷う。


「いいじゃありませんか、それでも。貴族ですもの、家の責務を生まれたときから背負っています。まあわたしはそんなもの気にしませんが、ローラン様の理由としては十分では?」


 彼女の言っていることは正しい。

 王国屈指の武闘派貴族、その長男として物心ついたときから、おそらくは生まれたときから俺は周囲に強くなれと望まれていた。その期待が俺の人格形成に多大な影響を与えたのは間違いない。だが、


「ダメだ。俺は、俺の責任を他人に押しつけたくはない」


「へえ……。言うじゃないですか」


「ああ、言う。そも、俺は周囲の期待を重荷と思ったことはない。それは俺自身の望みが期待されるものと一致していたからだ。故に、想いのきっかけを他に求めるのは道理にあわない。順序が間違っている」


「まあ幼少期から大人に刷り込まれたという線もありますが、ローラン様がそう思うならそれでいいでしょう」


 彼女は困ったように眉尻を下げる。


「しかし、記憶にないくらい昔からとなると“初心に返る”という方向性は難しそうですね」


「すまない」


「貴族が簡単に謝罪するものではありませんよ」


 彼女は苦笑し、


「あ、昔に戻るのがダメなら逆に最近のこと、学園に入ってからのこととかを考えてみてはどうです?」


 と、軽い調子で思いつきを投げかけてきた。

 学園に入ってからのこと。

 新たに学ぶことは多く、環境に多少の変化もあった。しかし、貴族ばかりのここは所詮社交界の延長線上だ。特筆するほど目新しいことはなかった。

 いや、ひとつあったな。


「はあ……。やはりあの女ですか」


 俺の思考を見透かしたように、彼女はため息をつく。

 よくも悪くも他人を気にしない気質のエリザベットが嫌悪感を露わに、名前を呼びすらしない相手、それは一人しかいない。


「メアリー・メーン。彼女は鮮烈だった」


 メアリーの名を出すと彼女は「チッ」と舌打ちをし、


「はあぁ……。避けては通れない話題なのは分かっていましたが……」


 苦々しく呟く。

 何がそんなに、と思ったが口には出さない。

 彼女を俺の悩みに付き合わせている今、その脱線は不要だろう。

 メアリーについて、想う。

 平民ながらずば抜けた魔力量と重用される回復系の魔法特性を有し、座学も体術もよく学び、よく吸収していく才女。

 それだけに彼女に嫉妬し、不当な扱いをする者も少なからずいた。

目の前の彼女、エリザベット・イジャールなどはその典型だった。


「自己弁護しておきますと過去の件については彼女自身と話を付けてありますので、追求はなしで」


「それならいい」


 加害者の言うことを鵜呑みにするのは本来であれば危険だが、メアリーなら大丈夫だろう。

 彼女は、強い。

 そう、彼女は強いと今はよく知っている。だが、出会ったばかりの頃はそれを分かっていなかった。だから、


「彼女と出会い、護ってやらねば、と思ったのだ」


 国家を代表する貴族として将来有望な人材を、ということだったか、あるいは一人の男として、だったのかは自分でも定かではない。おそらく、両方だろう。

 しかし、メアリーと話すようになって分かったのは彼女が存外に強い人間だったということだ。

 身分の高い貴族たちに囲まれ、彼らに対して一歩引き、謙遜したような言動をする。その様子は一見弱々しくすらあったが、彼女は自らの内に強い自信、あるいは信念を秘めているように見えた。

 何があっても、どんな態度を取っても、その自信に裏打ちされているから芯が曲がらない。そういった強さだ。


「畏怖されがちな自分に人懐っこく話しかけてくれることもあったが、なにより、俺は弱いはずの彼女から感じる強さに惹かれていた」


「過去形ですのね」


 あまり意識していなかった事柄が、指摘されることで明確になる。


「確かに、以前ほど彼女に惹かれてはいない、な。熱が冷めた、とでも言ったらいいか」


 口元を隠すようにして頬に触れる。

 つい先日まで感じていたはずの熱は、もはやない。


「きっと、俺も浮かれていたんだ」

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