第11話(下):怪物

 キメラが攻める。私が受け、治す。その繰り返しが十を越えようかというとき、


「メアリー!」


 セレスト様が飛んで来ました。

 足場の悪い森といえど十分な助走距離をとったセレスト様のスピードは、まさに風の如く。方向はキメラの真後ろから、勢いのまま彼女はキメラの背に沿い、跳びました。

 まず断ち切られたのは彼女を迎え撃とうと牙を剥いた蛇の頭。彼女の身体ごと弾丸と化した剣は、そのまま真っ直ぐに獣の背を切り裂きます。


「「■■■■■■■■■!!」」


 キメラの双頭が痛みにけたたましく叫び、背からは赤黒い血が勢いよく吹き出しました。

 その隙に私は少し距離を取り、隣にセレスト様が並びます。セレスト様は私を見て眉を顰めました。

 キメラの爪や牙を何度も受けた私の服は酷いことになっていました。両袖などもう殆ど残っていません。とはいえ、全部治したので破れた服から覗く肌は綺麗なものです。


「メアリー、お前」


「大丈夫です。まだまだいけます!」


「……そうか」


 セレスト様は少し間を空けて答えました。


「ローランは?」


「私を庇って、直撃を」


「加勢は望めんか」


 短いやり取りの間にもキメラの血飛沫は収まっていき、尾の蛇は既に完治しているように見えます。


「ちっ、浅かったか」


 セレスト様が吐き捨て、剣を持つ手に力を込めました。私も第二ラウンドに備えて気合を入れ直します。

 キメラは双眼に、いえ、六眼に怒りを滾らせ、今にも私たちに襲い掛からんといった様子でした。しかし、


「ん?」


 キメラは私達に襲い掛かることなく、バックステップ。そのまま何処どこかに去って行きました。


「逃げた、のか?」


「そのよう、ですね」


 一撃を入れられて逃げるのはゲーム通りでしたが、殺意たっぷりの強大な魔獣が一目散に逃げていく姿は、実際に目にするとなんだかシュールな光景でした。

 私たちが呆気あっけに取られていると、絞り出したような弱々しい声が聞こえてきました。


「セレスト……メアリー……」


 声の主はローラン様です。キメラに食らったダメージは相当大きかったようで、ぎこちない動きで大剣を杖代わりに立ち上がろうとしていました。


「ローラン!」

「今治癒いたします!」


 2人で駆け寄り、私が魔法でローラン様を治癒すると、ようやく一息つくことが出来ました。


「追いますか?」


「いや、私たちの手に負える相手ではない。まずは学園に戻って報告だ。それと」


 私の提案を却下したセレスト様は何かを付け足そうとして、その前に、ボロボロの私を見かねたのか自分の上着を脱いで掛けて下さいました。イケメン所作が様になるお人です。


「有り難う御座います。私、お二人に頂いた服をボロボロにしてしまって……」


 そう、この服は今回の任務にあたりセレスト様とローラン様に紹介いただいた仕立て屋で作って頂いたものでした。森林や山岳地帯での作業に耐えうる丈夫さと動き易さを備え、デザインもいい逸品です。今はもう見る影もありませんが。


「……服のことはどうでもいい。それより、報告が終わったら少し話がある。疲れているところ悪いが、そのつもりでいてくれ」


────────────


 それから私たちは学園に戻り、着替えだけして、すぐにロミニド様がいる生徒会室へ報告に向かいました。

 不審な点があることもです。

 伝説に名高い魔獣、キメラにしては私でも粘れる程度の強さしかなかったこと、火炎をはじめとしたキメラが使うとされている魔法を使わなかったこと、全身に黒いもやのような瘴気を纏っていたこと、背中を軽く切られただけで逃げていったこと。

 ゲームで真相を知っている身としては隠すようで後ろめたい思いも有りましたが、我慢です。

 全てを聞き終えたロミニド様が「後のことは任せろ」と事後処理を引き受けて下さいました。私たちは退室し、そのままセレスト様に連れられ人目のない廊下で立ち止まりました。


 石造りの廊下は薄暗く、白く美しい大理石のアーチも暗い影を落とすのみです。

 セレスト様は何やらローラン様に尋ね、私に聞こえないように二三言葉を交わしました。

 やはり、と呟くと、セレスト様が私の方を向きます。目がきっとなった怒気を感じさせる表情です。あ、怒られる、と直感しました。


「メアリー!!」


「は、はい!」


 強い語調で名前を呼ばれ、思わず気をつけの姿勢になります。


「ローランにも確認したが……君は、キメラの攻撃を受ける前提で向かっていったな? 自分が大怪我を負って、治すことを織り込んで戦っていただろ?」


「それは、そうですが……」


 おずおずと言う私は完全に叱られる子供状態です。悪戯をしてシスターに怒られる孤児院の弟達がちょうどこんな感じでした。


「そういった戦い方は今後一切禁止する」


「どうして、でしょうか?」


「治癒系統の魔法を使うなら最初に習うべきことなんだが……まあ君は平民の出であるし、専門授業もまだだから知らないのも無理はないか。確認しなかった私たちの落ち度でもある」


 セレスト様はそう言って申し訳なさそうな顔で頬をかきます。そして仕切り直すようにかぶりを振って、改めて私のことを真っ直ぐ見て毅然と言いました。


「いいかメアリー、治癒魔法の使い手にとってそれは一種の禁忌なんだ」


「禁忌……?」


 知らない常識が出て来たことにオウム返しするしかありません。

 ゲームでもそのような設定はなかったはずです、私が知らないだけかもしれませんが。

 メアリーがあまり自分を治さない理由付けなのでしょうか、裏設定かも。

 しかし、怒られる点がそこだというのならこちらにも言い分があります。


「でも、あのとき、私がキメラに立ち向かうためには必要なことでした。そうする他なかったはずです!」


「そうする他なかった、か。いいや違うな」


 セレスト様は頭を横に振り、静かに、諭すように、言います。


「いいかメアリー、君は逃げればよかったんだ」


「でも、それではローラン様が!」


「キメラにやられていたかもしれない。確かにそうだ。だがそれはキメラに挑んだ君とて同じことではないのか? 何度肉を裂かれた? 何度骨が折れた? 負った手傷を総計すれば捨て置かれた場合のローランよりも多かったのではないか?」


「そうかもしれませんが、でも! 私の──」


 “私の怪我はいくらでも治せるから”口をついたその言葉を最後まで言うことは出来ませんでした。私を見るセレスト様の目がとても優しくて哀しそうだったからです。

 それは、前世の私、いえ僕を見るみんなの目によく似ていました。ずっと一緒にいてくれた父と母、お兄ちゃん。人数は少なかったけど大切な友達。優しい先生と看護師さん。思えば優しい人ばかりの


 ────────────────


「隙あらば自分語り」

「い、いいじゃないですか! 私の回想なんですから!」


 ────────────────


 とにかく、前世のことを思い出して、セレストさんが本気で私のことを気遣ってくださってることが今更ながら分かりました。

 私は、それ以上反論出来ませんでした。

 それをどう思ったのでしょう、セレスト様は少し屈んで私に視線を合わせ、ふっ、と表情を和らげました。


「君がローランのために命がけで戦ってくれたことには感謝している、本当に。そのおかげで君たちも私も無事に帰ってこれたんだ。でもね、」


 セレスト様が私を抱きしめました。優しく、強く、私にぬくもりを伝えるように、私をどこにも行かせないように。


「傷は治せても痛んだ事実は消えない。それは君を確実に蝕んでいく。人は痛みに慣れるものだ。それ自体は悪いことではないが、治癒魔法の使い手は痛みに慣れ過ぎる。痛みに鈍感になったものは他人の痛みも顧みることはない。それは、もはや怪物だ」


 つい先ほどまでの威圧感と打って変わった、どこまでも柔らかで包み込むような声色でセレスト様は語りかけてきます。


「あるいは、もっと単純に痛みに耐えかねて心を壊す者もいた。君の力は人を癒せる優しいものだが、使い方を誤れば怪物を生む。そのことを、どうか忘れないで欲しい」


 鼻腔をくすぐる彼女らしい爽やかなシトラスの匂いと、耳元で囁かれる優しい声がアンバランスでおかしくて、それ以上に嬉しくて、申し訳なくて、私はもう情緒が滅茶苦茶になってしまって、


「ひぐ、エぐっ」


 私は泣いていました。それはもうわんわんと泣きました。

 セレスト様は私が泣き止むまで何も言わず、ただずっと抱きしめて下さいました。


 しばらく泣いて、やっと私は落ち着きました。ふと、セレスト様の肩に頭を乗せた私とローラン様の目が合いました。口を挟まず私たちを見守ってくださったのかな? と思ったのですが


「……」


 ローラン様は気まずそうな顔ですぐに視線を落としてしまわれました。

 その後も、ローラン様はいつにも増して無口で、別れ際の挨拶以外一言も話されませんでした……。


────────────────


「それからお二人と別れてすぐここに来て、今に至ります。その、どうでしたか?」


「そうね……」


 また泣いたのか泣き虫めとか、キメラ戦の流れがだいぶ変わってることとか、言いたいことは幾つかあるけれど、まずは


「セレストさん超優しいじゃない。何であんたあんなにしょぼくれてたのよ?」


「そうですね!正直話してて自分でも思いました!」


 メアリーが勢いよく答えた。もうやけっぱちね、よく見たら涙目だし。

 言うと、冷静になったのか今度はいじけて、いや気まずいのか。顔を背けて指を合わせ弄りはじめる。


「だって、その、叱られるのがはじめての経験でしたので……。前世でも今世でもいい子ちゃんだったんです、私」


「はっ、自慢することじゃないでしょうに。主体性がないだけでしょ?」


「う、否定できません……」


 流され気質だから怒られるような反発はしない、彼女はそういうタイプだ。主人公としてそれでいいのかとも思うけれど、メアリーは語り部の無個性系主人公だったからそういうものかもしれない。


「大体、わたしだって怒られたことなんてないわ。前世はともかく今世では」


「そうなのですか?」


 そこで疑問に思うのは失礼じゃないかしら?

 まあ気にせず、頷きをひとつ返して続きを言う。


「ええ、だって公爵令嬢に意見できる使用人なんて居ないし、家族はわたしを溺愛してるもの。甘やかされて無限に増長した結果がこの有り様よ。叱られたことなんてある筈ないじゃない」


「それこそ自慢げに言うことではありませんよね!」


 ツッコミは予想通りだったのでわたしは既に耳を塞いでいる。アーアーキコエナイー。

 さて、冗談はこのくらいにして、メアリーの話を真面目に吟味する。


「あんたの個人的なことは置いといて、ローランを中心として見ればほぼゲームと同じ。『キメライベント』は上手くいったんじゃないかしら? ちゃんと撃退もしたし」


「はい。しかもゲームとは違い私とセレスト様の二人でキメラを倒しましたから、ローラン様の無力感を煽るという意味ではゲーム以上と言えるでしょう」


 ゲーム以上の成果、か。うんうん、優秀で何より。けれども、ゲーム以上の進行ということはローランがゲーム以上にメンタルをへこまされたということで、そこはちょっと気がかり。


「ローラン、大丈夫かしら?」


「どうでしょう……。ローラン様は心身ともに強い御方ですが、ここはゲームでも落ち込むパート、どこまで落ち込んでいってしまわれるかは未知数です。ローラン様のケアは様子を見ながら柔軟に対応するしかないかと」


「行き当たりばったりってことね」


 ま、ここで話してどうなることでもないか。


「そうですね……。とにかく、今は最初の大きな山を乗り越えられたことを素直に喜びましょう!」


 そう言うとメアリーはテーブルに軽く身を乗り出し、両の手のひらと妙にキラキラした期待に満ちた目をこちらに向けた。

 ……。

 ……………。

 今回わたしは何もしてないし、このくらいは付き合ってやるか……。


「イェーイ!」

「いえーい……」


 温度差のあるかけ声と、小気味好こぎみいいハイタッチの音が部屋に響いた。

 部屋の外のサラのところにも響いた。

 ほら、使用人を呼ぶときって手を叩いたりもするじゃない?


「お呼びですか、お嬢様」


「あ、うん、ごめん、違うの」


「紛らわしいことして申し訳ありません!」

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