第11話(上):怪物

「──と、そういうことが昨日あったのよ。いい試合だったわ」


「わたしも、見たかった……」


 しょぼくれるミリアとわたしが居るのはいつものお茶会部屋だった。白い丸テーブルを囲むのは2人だけ。メアリーとセレストの姿はない。丁度良いと昨日あったことを彼女に話していたのだけど、それも一段落。

 長話で疲れた喉を紅茶で癒す。出来た間を潰すようにミリアがぽつりと口を開いた。


「今日は私たちだけ?」


「あの娘は生徒会の仕事があるとかで呼び出されたそうよ。セレストさんもローラン様と昨日の感想戦をしたいからって一緒に生徒会に行ったわ。適当なところでこちらに来るそうだからそれまでのんびりしてましょ」


 王立魔法学園エメラルドの生徒会は生徒の選挙ではなく学園からの指名式だ。選出基準は成績、魔法の実力、家柄などの総合評価らしい。

 現職の役員は以下の通り。

 生徒会長 ロミニド・アーサー(2年)

 副会長  カルバン・アーサー様(1年)

 会計   ノエル・アンファン(2年)

 書記   ローラン・シュバリエ(1年)

 庶務   メアリー・メーン(1年)

 正規のメンバーはこの5人で、留学生代表としてテオフィロが顔を出したり、ルートによってはミリアとセレストが会計補佐、書記補佐として加わったりする。

 メインキャラが集結しているだけあって生徒会から派生するイベントも多く、『キメライベント』もその一つだ。

 今日の呼び出しもイベントの導入であるウィリア森林の見回りについてのはず。セレストを同行させたいわたしたちとしては彼女が今日生徒会に同席してくれたことは好都合である。

 ミリアと世間話を──次の機会があったら必ずミリアも呼ぶからとか、神話学の小テストが難しかったとか、わたしははなから解く気がなかったから難易度がわからないとか、最近ノエルとの調子はどうかとか、そんな話を小一時間していると、生徒会から二人が戻ってきた。


「すいません、遅くなりました!」


「は! 自意識過剰も甚だしいわね。別にあんたを待っていたわけじゃないから、自惚れないでくださる?」


 謝りながら入ってきたメアリーに嫌味を返した。う、と彼女が足を止めて言葉に詰まる。

 勝った!


「『気にするな』くらい普通に言えないのか君は……」


 セレストが呆れ顔で言い、ミリアはじっとわたしを見ていたしていた。そんな反応されると居心地が悪くて今度はわたしが押し黙ってしまう。


「オホンッ!」


 わざとらしく咳払いを入れて話を変えます。


「それで、生徒会に呼び出された用件って何だったのよ?」


「はい、来週末に学園が管理しているウィリア森林の定期調査を命じられました」


「ウィリア森林?」


 出てきた地名にミリアが眉をひそめる。


「魔力の淀みが頻出する地帯。魔獣が出る、危険」


 ウィリア森林は王都の近くに広がる中規模の森林だ。広葉樹が多い、豚の放牧にも適した優秀な森なんだけど、魔力の流れがよくないらしく魔獣が発生しやすくなっている。


「ああ、だから私とローランが同行することになった。安心して良いぞ」


 任せろ、と心配するミリアに見せつけるようにセレストが自分の胸を叩く。メアリーがわたしだけに見えるよう小さくピースしているのは上手く同行するよう取り付けたということだろう。

 ミリアは不安げだけど、そこまで心配しなくてもウィリア森林に出現する魔獣はさほど強くない。

 あの森に住む野生動物や人間が放った家畜じゃあ魔獣化しても大して強くはならないし、自然に澱む魔力も多くはないので自然発生する魔獣もたかがしれている。

 だからこそ生徒会にウィリア森林の管理が任されているのだ。ローリスクで実戦経験を積み、魔獣を討伐した箔付けが出来るから。


「あの森にはそんなに強い魔獣は出ないと聞きます。残念なことにそこのお邪魔虫も付いていますけど、遠足気分でローラン様と楽しんでくれば良いですわ」


 まあ実際はキメラが出て来てそれどころではなくなるんだけどね。


「本番の前に準備もしますから、いい機会が増えると思います。わたしのことは気にせず、どんどんローラン様にアピールしちゃって下さい!」


 わたしたちのエールがどう聞こえたのか、セレストはそっぽを向いてしまった。


「一応言っておくが。私はそういうつもりで調査に名乗り出たわけではないからな?」


 恥ずかしいのか頬がすこし赤くなっている。かっこいい人が弱ってるとかわいいわよね……。


────────────


 それからはとんとん拍子だった、らしい。

 悪役のわたしは蚊帳の外なので、事情はメアリーから報告させている。

 森へ行く三人で装備を揃えるという口実でショッピングをしたり、時々ローランがセレストに対してぎこちなくて意識してるみたいで萌えたり、合間に他の攻略対象とも不自然ではない程度の交流を保ったりと、順調にことを進めているらしかった。

 あっという間に1週間と少しが経ち、気付けば『キメライベント』の当日になっていた。


 自分のあずかり知らぬところで重要なイベントが行われているのは中々不安である。こっそりウィリア森林に着いていこうかしら?

 ああでも最弱キャラのわたしがキメラになんか遭遇したら秒で死ぬわね……。それに、ただでさえセレストの同行というゲームにはない要素があるのだからこれ以上余計な事をするとゲーム通りに話が進まない可能性もある。やっぱり大人しく報告を待ってる方がいいわ。


────────────


 すっかり日も落ちたころ、森から戻ってきたメアリーがわたしの部屋に来た。

 しかし、肩は力なく落ちているし、目元が少し赤くなっている。何よりいつもは無駄にある元気がさっぱりない。


「え、ちょっとどうしたのよ? 失敗? 何かやらかしたの!?」


「あ、いえ、それは多分、大丈夫だと思います。むしろ予想以上かも?」


 なんとも微妙な言い方だが、失敗したわけではないらしい。


「じゃあなんでそんな顔してんのよ。説明なさい」


「その、ちょっと、怒られてしまいまして……。実はですね──」


 メアリーは今日のことを話し始めた。


────────────────


 馬車に揺られること半刻ほど。私たちはウィリア森林にやってきました。

 森の入り口で馬車には待っていてもらい、鬱蒼とした森に踏み込みます。

 魔獣の発生しやすい場所、つまり魔力が淀みやすい場所は決まっているのでそこをチェックポイントのように回っていきます。何年も歴代の生徒会が見回りを続けているだけあって、コースの道はそれなりに歩きやすく、暗い森の涼しさもあって快適です。ちょっとした森林浴気分ですね。

 途中、弱めの魔獣に遭遇しましたが武闘派のお二人にかかれば一刀両断、別段障害にもなりません。


 予定していたコースも半分を過ぎました。折り返し地点ということは森の最深部であり、ゲームではこの辺りでキメラと遭遇したはずです。


「むっ」


「どうしましたか? セレスト様」


「いや、今向こうで何か動いたような……」


 セレスト様が何かに気付きました。

 まさかキメラ、と思いましたがセレスト様が指したのはコースから外れた数百メートル先の大木。ゲームだとキメラはメアリーたちのすぐそばに現れましたから、別物のようです。


「少し見てくる。二人はここで待っていてくれ」


 機動力に優れたセレスト様が偵察に出ます。

 残されたのは私とローラン様の二人。

 計ったようにゲームと同じシチュエーション、これも世界の『補正』なのだとしたら……とそう思った瞬間


「メアリー!!」

「きゃっ!」


 ローラン様が私を突き飛ばしました。間一髪、さっきまで私がいたところを巨大な爪が薙いでいきます。


「ローラン様!」


 私を突き飛ばしたローラン様にキメラの爪が直撃、そのまま放り投げられました。

 大柄な彼の身体が冗談みたいに軽々と宙を舞います。

 幸い、と言っていいのかは分りませんが、血しぶきは飛んでいません。流石はローラン様、不意を打たれたにも関わらず、身体強化による防御を間に合わせたようです。

 しかし、空中では姿勢の制御もままならず、ローラン様はそのまま地面に叩き付けられました。受け身も満足に取れず地面に衝突した彼はぐったりと伏せたまま動きません。


(大丈夫、ゲーム通りなら意識を失っただけで重症ではないはず。落ち着いて、落ち着いて──)


 他人の心配をしている場合ではありません。

 キメラの急襲、初撃を食らって動けないローラン。正にゲーム通りの展開です。ならば私はこれから一人でキメラの注意を引き、持ちこたえなくてはなりません。

 お二人に選んで貰った剣を抜き、敵を改めて見据えます。

 体高約2メートル、体長は不明。

 獅子と山羊の頭、そのどちらともつかぬ屈強な胴体、毒蛇の顔を持つ尾、そして全身から溢れるドス黒い瘴気。

 どこまでもゲーム通りの姿で、しかし、ゲームにはない死の気配と迫力を纏っていました。勝てるはずだとわかっていても身が竦み、足が震えるのを止められません。

 キメラはローラン様にとどめを刺すか、残った私を始末するか迷っているようでした。ですが、剣を構えた私を見て、狙いを決めたようです。三対の目が私を捉えました。


「「「「■■■■■■■■■■■■■■!」」」


 咆吼の三重奏とともにキメラが私に襲いかかってきます。叫んだ勢いのまま私を噛み砕かんと振り下ろされる獅子の顎を横に跳んで回避。もう一つの頭、山羊の角による殴打を剣で受け止めます。


「くっ……!」


 軽く振っただけに見えたのに腕が痺れるほどの衝撃……!

 そこにキメラの爪が襲いかかります。低い姿勢からのアッパーカット。初手で頭を降ろし屈むことで前脚に力を溜め、山羊の頭で牽制、そしてこれが本命の攻撃。私はまんまと引っかかったのです。


 (避けられない!)


 せめてもの抵抗に剣の腹に腕を沿わせ耐衝撃体勢。

 衝撃。

 ボギ、と嫌な音がしました。

 ローラン様より数段軽い私の身体は当然のように吹っ飛ばされ、


「カハッ」


 木に叩き付けられ肺の空気が無理矢理押し出されました。

 全身が軋み、特に爪を受けた腕は酷く痛み熱を感じます。さっきの音は骨が折れた音でしたか。

 ですが、致命傷には至っていません。

 ふぅぅ、と努めてゆっくり呼吸し、全身に魔力を巡らします。

 私の属性は“水”。特に“循環”の性質による治癒魔法に長けます。

 水は流れ、巡り、あるべきところに戻っていく。

 “元に戻す”ことこそが私の魔法の本質です。

 ゲームでは専ら他人を治すのに使っていましたが、自分の身体を回復させることも出来ます。

 魔力は元より体内を巡る物ですから、自己回復はその感覚の延長線上、私は寧ろこっちの方がイメージしやすくて得意です。

 一つ、二つ、三つ呼吸した頃には身体も腕も元通り。


「いける」


 ぶっつけ本番でしたが、私は私を治せる。それがわかればもう問題ありません。


「とやぁ!」


「■■■!?」


 止めをささんとゆっくり私ににじり寄って来ていたキメラは、倒したはずの私が斬りかかってきたことに混乱したご様子です。

 不意をつけたはいものの攻撃についてはまだ修行中の身、拙い剣はすぐに捌かれ、防戦一方になりました。キメラの膂力は凄まじく、剣で受けても骨にひびが入り、身体は浮きます。

 絶えず劣勢でしたが、受けたダメージを治癒魔法で回復し続けることで戦線を維持します。一度目は手間取りましたが、回数を重ねていけば手慣れていくものです。幸い、主人公特権で魔力量にはちょっと自信があります。魔力が尽きる心配はありません。

 後は単純で、受け、痛み、治す。受け、痛み、治す。受け、痛み、治す。と繰り返し──


 ────────────────

「ちょっと待て、待ちなさい」


 メアリーの話を黙って聞いていたわたしだったが、あんまりな内容に口を挟まずにはいられなかった。第一、


「なんでそんなことになってるのよ? いや大筋はあってますけど、ゲームはそんなヴァイオレンス展開じゃなかったでしょ?」


 そう。細かい描写までは覚えてないが、少なくとも今メアリーが語ったような痛々しいものでははなかったはずだ。


「そうですよね……。ゲームのメアリーは一体どうやったんでしょう……?」


「ふざけてんの?」


「ふざけてません! 本気で不思議なんです! あの強大なキメラ相手にどう戦えばダメージを抑えられるのか、考えても考えても分かりません……」


 ぶんぶんと元気に手を振って否定していたメアリーだったが、話しているうちに声が小さく、自信なさげになっていった。


「考えても分からない、だからきっと理屈ではないんでしょうね。必死さが足りなかった。本来のメアリーは自分とローラン様の命の危機を感じて必死で戦ったはずです。火事場の馬鹿力も出ていたでしょう。『ゲームで大丈夫だったからなんとかなる』なんて思ってた私では彼女のように行かなくて当然かもしれません……」


 ゲームの知識があるせいで逆に上手くいかなくなる。

 定石を、覚えて二目、弱くなり、という前世で聞いた川柳を思い出した。いや、ちょっと違うか。

 メアリーは彼女にしては珍しく自嘲的な笑みを浮かべていた。気に入らない表情だわ。


「そう落ち込まない。ゲームのメアリーに出来てあんたに出来ないことってのは、まあ、あるんでしょうけど、逆もまた然りでしょう? どっちの方がいいってこともないのよ、多分。もうこの件はいいから話を先に進めなさい」


 メアリーは目をぱちくりさせて


「──はい!」


 いつものように元気よく返事をした。

 メアリーが続きを語り出す。

 まあもっとも、ここまでの話でこいつが叱られた理由は大体わかったけれどね。

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