第9話:はじめの一歩

「では、ローランルートについて確認していきましょうか」


 そうメアリーは切り出した。

 自然と彼女が講師役でわたしは聞き役になる。わたしも『Magie d'amour』を一通りプレーはしたけれども、彼女の方がやりこんでいたようだからこの形がいいでしょう。


「攻略対象ローラン・シュバリエはレアニア王国西国境の守護を統括するシュバリエ侯爵家の長子として産まれました」


 レアニア王国の西隣りにはセーハンという公国がある。セーハン公国はかつては王国の一部だったがそこから独立した国であり、王国との仲は微妙なところだ。国交はそれなりにあり、即戦争というほど悪くもない関係だが小競り合いは少なからず起こる。

 その西国境を任されるだけ合ってシュバリエ侯爵家は強く格式高い家系だ。爵位の差があっても公爵家であるうちとほぼ対等。


「バリバリの武系貴族の長男である彼は幼いことから強くあることを期待され、また彼もその期待に応えたいと思い努力を重ねてきました。そのひたむきさは彼の美点でもありますが、“強くあらなければいけない”という信念は強迫観念めいていて、彼自身を苦しめています。これを解きほぐすのがローランルートの鍵となります」


 メアリーの解説を聞きながらローランについて、とりわけゲームではなくこの世界での彼についての記憶を引っ張り出す。ゲーム知識では劣っていても学園より前の知識についてはわたしの方が優っているはずだ。


「この世界でも彼の背景はゲームと同じね、当たり前かもしれないけど。そんなに仲が良かったわけでもないから断言は出来ないけど、まあ、大体あんたの言った通りの人物だったわ」


 茶会や交流会は最低限の挨拶だけで済まし、大人が行う模擬戦や演習は食い入る様に見る。ローランはそういう男だった。それ自体は男児には珍しくもないことだが、彼は目を輝かせて喜ぶのでもなく勉強のためだと言うような必死さだったのが印象的だ。わたしには面白くもない公開演習で興奮する男どものこともよく分からなかったけれど、ローランの態度はそれ以上に理解不能だった。

「こいつは何が楽しくて生きてるんだろう」と、そう思ったことはよく覚えている。

 今思えばあれも“強くなることに捕らわれている”というゲーム設定の発露だったのかもしれない。


 昔話をうんうんと肯きながら聞いていたメアリーは、わたしが話し終えると


「でしたら余計に助けてあげないといけませんね」


 なんて真面目くさった顔をして言うのであった。




「話を戻しましょうか」


 注目を引くように人差し指を立て、軽く振りながらメアリーが解説を続ける。


「ローランと主人公の出会いは学園でいじめられている主人公を彼が助けるというものです。なお、このとき主人公をいじめていたのはエリザベットでした。これはこの世界でも既に起こっていますね」


 え? そうだっけ? どうしよう全然覚えてない。彼女をいじめることも、それを殿方が助けることも日常茶飯事だったから一々覚えちゃいない。うわあ、我ながら最低……。

 曖昧な表情で沈黙するわたしを見て、わたしがそのときのことを覚えていないと察したのだろう。メアリーはどこか遠いところを見るような目で、


「いじめる側は覚えてないって本当だったんですね……」


「わ、悪かったわね!」


 あ、いや、違う。つい反抗的に応えてしまったが、これに関しては明かにわたしが悪いのだからちゃんと謝らなければ、それくらいの分別はありますとも。


「謝って許されることでもないけれど、貴女を理不尽にいじめたこと、改めて謝罪するわ。本当にごめんなさい」


「そんな、謝らないで下さい!」


 メアリーは慌てたように首と手をぶんぶんと振る。そんなつもりで言ったんじゃないですと全身でアピールしているようだ。


「私は全然気にしていませんし、第一、前世記憶を思い出す前のエリザベット様が私への虐めをやめるのは不可能だったと思いますから。仕方のないことです。ノーカンです」


 恨まれていないのは有り難いことだけど、気にしてないというのは歯牙にも掛けていないということかしら? 流石に加害者がそんな面倒くさい難癖を付けるのはちょっとどうかと思うし、口には出さないけど。

 それはさておき、後半の言い回しが気になった。


「不可能ってどういうこと?」


 問いかけると彼女は、ええっと、と目を伏せ顎に手を当てて暫し考えこんだ。そして考えがまとまったのか人差し指を立て教え子を見るような目でこちらを向いた。さっきもやってたけど、人差し指を立てたポーズは解説者のイメージなのかしら? 指し棒の代わり?


「先ほどお話ししたローラン様との出会いもそうですが、この世界は前提条件が『Magie d'amour』と同じというだけでなく、ある程度『Magie d'amour』と同じ展開になるように世界がなっているようです。ゲームの世界の“補正”とでも名付けましょうか」


 今朝彼女が言っていた『攻略対象から主人公メアリーへの好感度の高さ』と同じか。


「そうでなければいくら初期条件が同じでも、ゲームと全く同じシチュエーションが再現されるとは考えにくいですからね。エリザベットが主人公を会う度にいじめるのもゲームの規定事項ですから前世の記憶なしに覆すのは難しかったと思います」


「ふーん、なるほど。ま、今もゲーム通りに展開が進む前提で計画を立てているのだからそうでなくては困るわ。“補正”とやらも利用してやりましょう。あんたの推論だとわたしがあんたを嫌いなのもそのせい、と」


「ええ、えぇ、世界の“補正”が原因じゃ仕方のないことです。普通に嫌われてるよりずっといい」


 彼女は微笑んで言った。その善性100%で悪意を知らないとでも言うようなのんきな顔が心底イライラするのだけれど。

 世界に補正された不自然さなど欠片もない、全くもって自然な不快感だわ。


「いえ、わたしの思い違いね。あんたに覚えるこの感情は世界に強制されたものなんかじゃない、正真正銘わたしの、わたしだけの苛立ちよ!」


「そういうかっこいいセリフはカルバン様への告白にとっておいて下さい! もったいないです!」


「あんたのそういうところが嫌い」


 どこかズレたツッコミにため息をつく。

 やっぱりこの子とは合わないわ、主人公と悪役令嬢とかそういうの関係なしに。

 また随分と話が脱線してしまった。“補正”について確認したのは無意味ではないけど、脱線は脱線、そろそろ本筋に戻したい


「で、ローランはメアリーと出会った後どうなるの?」


「あ、はい!しばらくは一緒に訓練したり勉強したり適当に距離を縮めていきます。そして転機となるのが“キメライベント”です」


 この世界には魔獣と呼ばれる厄災が存在する。彼らの多くは王国の東、大山脈の向こう側『未開領域』に生息するが、王国内でも魔力の流れが淀んでいるところで魔獣が自然発生することがある。

 魔獣といっても大多数は野犬程度の危険度しか持たないが稀に強大なものが現れる。キメラはその稀な上位怪獣だ。獅子の頭、山羊の体、そして蛇の尾、ファンタジーでよく出てくるキメラそのものの姿で、本来なら騎士団で討伐隊が組まれるレベルの存在である。いくらエリート貴族でも本来学生が相手していい敵ではない。

 しかし、そんな存在と遭遇してしまうのが“キメライベント”である。


「ローランとメアリーは魔獣が出現しやすいポイントの見回り中にキメラと遭遇してしまいます。ローランは出会いざまの攻撃を受け負傷、傷自体は大したことがなかったのですがキメラの強さを知っているだけに身がすくんで戦えなくなってしまいます。そこで奮闘するのが主人公です。主人公は命がけでキメラの注意を動けないローランから逸らし続け、最後はその姿に奮い立ったローランの一撃が主人公に気をとられたキメラにヒット、キメラは退散していきます。」


 メアリーは最後に、えいやっと剣を振り下ろすふりをした。


「守るべきだと思っていた少女に守られてしまったこの件がきっかけでローランは『強さとは何なのか』と葛藤していき、主人公は彼と共に悩み、寄り添い、強くなります。Good ENDでは彼は『強さにも色々ある』とざっくり結論付け、少し視野が広くなって、肩の荷も下りたように少し力が抜けます。主人公は彼と共に戦い、添い遂げるだろう……という勇ましく希望にあふれたエンディングですね」


 なるほどね。その流れで主人公の代わりをセレストにして貰うなら、


「キメラから助ける役を貴女じゃなくて彼女にやらせればいいってこと?」


「いえ、それだけでは不足です」


「なんでよ?」


「ローラン様にとって重要なのは『自分より弱い人間に護られる』ことです。セレストさんではその条件を満たせません」


 つい先ほどまでセレストが座っていた席を見る。確かに彼女は『姉か戦友のように思われているだろう』と言っていた。小さい頃ボコボコにしたとも言っていたから、そんな相手を自分より弱いとは思わないかもしれない。その認識を変える、というのは昼間も話し、しかし結論が出なかった問題だ。


「結局そこに戻ってくるのね……」


「そうですね……。しかもゲーム通りなら来週“キメライベント”が発生してしまいます、時間がありません」


 来週!?

 そろそろだとは思っていたけど想像以上に時間がない。準備も考えると本当に数日しかない。

 ローランにセレストを護るべき乙女と認識させる方法……条件はとにかく手早く、分かりやすく、シンプルに……要はセレストがローランより弱いとはっきりさせれば良いのだから、お、閃いた。


「じゃあもう分かりやすく直接戦って貰いましょう」


「え?」


「強弱関係をはっきりさせるんでしょ? だったらごちゃごちゃ考えるよりも殴りあった方が早いわよ」


 それに、セレストは懐かしむように『幼い頃はよく模擬戦をした』と言っていた。逆に言えば大人になってからは模擬戦などしていないのだろう。


「二人の関係が曖昧で、幼い頃のイメージを引きずっているのは成長してから戦ってない所為せいよ。今全力で戦って白黒はっきりさせれば印象も変わるはず。あの二人は単純だから殴り合えば少年漫画みたいに仲も深まるかもしれないし、どう?」


「名案です! 流石、エリザベット様! 多少荒療治ですがいけると思います!」


 同意を求めるとメアリーは顔をぱっと輝かせノータイムで同意を寄越してきた。素直なのはいいことだけど、こうも即答だとちゃんと考えているのか不安になるわ。


「よし、場所はわたしが押さえとくから、あんたは二人に話を通しときなさい」


「はい!」


 こうして、最初の攻略がはじまった。

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