第8話 世界の裏側③
彼にファーストキスを捧げ、晴れて自らの当主を得た私は、羞恥と罪悪感に塗れていた。
勢いのまま、半ば強引に彼と唇を重ねてしまった事に対する恥じらい。
そして、完全に私の事情に巻き込んでしまったという罪の意識。
二つの感情がごちゃごちゃと混ざり合って、もはや訳が分からなくなっている。
結果、ファーストキスから10分程、私は彼と目を合わせられずにいた。
恥ずかしかったのは彼も同じようで、お互いにしばらく何も言わずにいたのだけれど、先に口を開いたのは彼の方だった。
「で…この刀、せっかく出しといてアレだけど、どうやって使えばいいんだ?」
落ち着いていて、どこか優し気な声が耳に届き、私の仲間で染み入ってくる。
未だキスの余韻から抜け出せなかった私も流石に我に返った。
心臓が早鐘を打つのを無視して、彼の質問に答える。
「え、っと…うん、そう、使い方というか、戦い方のレクチャーになるんだけど…」
私は縹君に、影と戦う方法と注意点を伝えた。
1つ、この世界での自分たちは生身の身体ではなく精神体であり、ダメージを受けすぎたり死を認識したりすれば、二度と現実の肉体に帰る事が出来なくなる事。
2つ、今の私たちは精神体であるが故に、この世界では身体能力を強化する事が可能であり、それには自身の感情をエネルギーにしてイマジネーション…イメージを練り上げる必要がある事。
3つ、身体能力を強化できるその力は、応用すればエネルギーとして武器に纏わせて攻撃力を強化したり、大規模な破壊をもたらしたり、様々な効果を発揮する事が可能になる事。
「この『心化』って呼ばれている力が、私たちを助けてくれるから…君の強い想いそのものが状況を打破する可能性になり得ると言う事を、絶対に忘れないでね。」
「…あぁ、了解」
「もう一つ、『心化』を扱う上でのリスクを説明するね。」
「…リスク?」
強力な力には代償が付き物。
それは、この『心化』についても例外ではなかった。
「『心化』は私たちの心、感情をエネルギーにしてるって話はしたと思うんだけど…こっちの世界で自分のキャパシティ以上に力を使うと、現実世界に戻った時に感情が希薄になったり、情緒が不安定になったり…最悪の場合、脳にダメージが残って廃人になったりするから、気を付けて欲しいの」
私のその説明を聞いた彼は、目を丸くして驚いた様な反応を見せた。
「いや、廃人って…急に怖い事言わないでよ」
彼は苦笑しながらそう言うが、実際に廃人になった人を、私は見たことがある。
彼にそうなって欲しくはないから、少し強い言い方になってしまった。
「でも、うん、了解だ。使いすぎない様に気を付ける」
縹君のその答えに、私は引き締めていた口元を緩めた。
「うん、そうして欲しいな。でも、感情をエネルギーにしているからこそ、回復方法もあるんだよ?」
「そうなのか?」
「そうだよぉ~、感情なんだもん。使ったならまた心を動かして、エネルギーを注いであげればいいの。車のガソリンと一緒だよ」
「心を…動かす?」
「基本的な感情…喜怒哀楽とか、色んな気持ちがあるじゃない?それを感じればいいの!」
「ざっくりした説明だけど…言いたいことは伝わったよ」
我ながら、教えるのが下手だなぁって思う。全然具体的じゃない。
当然ながら私の感覚に頼った説明では理解しきれなかった様子で、彼は首を傾げていた。
「説明はしたものの、使いこなすには練習がいるからね…私も結構苦労したんだから」
「そりゃあ、一朝一夕で使える様な力なら苦労はないだろうよ」
「コツを教える事はできるけど…辺りに影が少ない今が、この世界から抜け出す好機でもあるから、ゆっくり教えている時間もないの」
「つまり、ぶっつけ本番ってわけだろ?分かってるさ」
彼はズボンのベルト穴に刀を雑に差し込む形で、腰に刀を下げた。
彼は得意げな表情を浮かべて言う。
「俺があの影を倒すよ…どのみち、この世界から出る為には影を減らさなきゃいけないんだしな」
その表情が強がりである事に気付きながらも、そこには触れない様にする。
頼もしさ半分、心配半分の心持ちで彼に視線をやりながら、私は話を続けた。
現実へと繋がる扉から現実の世界へのアクセスを確立する為には、周囲の影を倒し、闇を晴らさなくてはいけない。
そうしないと、影の存在によって現実世界へ繋がらないのだ。
その事を黙って聞いていた彼が「なるほど」と、口元に右手を添えて思考を巡らせている。
「問題は、ぶっつけ本番で俺がどこまでやれるかだな…お前が戦えそうなのは分かるけど、俺は今さっき目覚めたばかりだし」
「そこは私が教えながらどうにかしていくしかないね…いきなりあの大きな影に挑むよりは、まずは小さな子達を相手にして、経験を積もっか」
「…ちょっと練習してすぐ本番、みたいなもんか?とんだOJTだな」
「…おーじぇいてぃー?」
「あー…まぁ、仕事の中で技術を磨く、みたいな意味だな。習うより慣れろ、的な」
彼は難しい言葉をよく使う。
私は語彙が豊富じゃないから、そういうところも格好良く見えるのは、流石にチョロ過ぎかもしれない。
今は彼の一挙手一投足に浮足立っている場合ではないので、気を引き締める。
私は気分を切り換えるためにウィンクし、右手の人差し指をピンと立てながら首を傾けた。
「とにかく実戦、いってみようか?」
「…はい」
そう返事する彼の表情はただただ不安そうだった。
俺達は家の外に出て、少しの間周辺を探索した。
その後、状況を整理するために俺の家に戻り、
「敵は大きい影は1体、小さい子が10体いたね」
「多いよ、多い。こっちは2人しかいないんだぞ?」
真正面から無策で挑むには厳しい相手だ。
「まぁまぁ、慌てない、慌てない」
「いや、お前は危機感を持った方が…」
「慌ててたら不利な状況がどうにかなるの?」
海里は不思議そうに俺を見つめる。
確かに彼女の言う通りではある、あるのだが…。
「そうだな、まずは冷静になろう。」
大きく深呼吸をして、メモ帳を見つめた。
「その上で、だ」
俺は家の中で見つけたシャープペンシル(この世界の物だが、どうやら使用可能らしい)を手に持ち、周辺の地理を描いたメモ帳(これもこの世界のものだ)を開いた。
海里も近くに寄り、手元のメモを覗き込む…いや、近い、近いよ。
俺が少し距離を空けると、すぐにその距離がゼロになる。
何度かそれを繰り返して、俺が離れるのを諦めた。
「縹君」
「何だ?」
「さては、絵、苦手だね?」
「…許せ」
俺が大きく溜め息を吐くと、海里は小さくクスッと笑った。
俺はメモ帳の現在地を示す。
「今いる場所が、ここだな」
「うん」
「で、今は移動しているかもしれないけど…」
俺はシャーペンで、この家から5軒先にある十字路を中心に、大きな丸を付けた。
そしてその丸の中に、黒点を5つ記す。
「この辺りまで小さい影が迫っていたわけだ」
「そうだね、5体くらいが固まって行動してた」
この家から10分程歩く場所に小学校があるが、その正面の大きな道路に5つの黒点を入れる。
「ここにも5体くらいの小さい影がいる。そして…」
小学校のある位置に大きな黒点を記す。
「ここに例の大きな影がいる」
「そうだね」
「…これ、あまり時間をかけてたら雑魚が増えるって事でいいよな?」
「そうだと思う。こうしてる今も、少しずつ…ね」
でも、あの大きな影が現れてから10体ってことは、作るのに時間がかかるって事だ。
あの大きな影は、俺達がこの世界に来てから同時に現れたっぽいので、後は時間が判明すれば、あくまでこれまでのペースを推定でだが、単純計算で突き止められるだろう。
「来た時から3時間経ってるね、180分くらい。」
彼女が懐から懐中時計を取り出す。
懐中時計を持っているとは、渋いな、こいつ。
「雑魚1体辺り、およそ18分程度ってことか」
基本的に頭を使うのは苦手な方だが、俺に立てられる作戦なんてこんなもんだ。
というか、作戦という程のものでもない。
「小さい影は一撃で倒せるから、そう時間はかからないはずだよ」
「それなら、作戦も何もないな…5体の群れずつ速攻で確固撃破」
「だね!」
俺達はパチンとハイタッチを交わして、必要な準備をしてから、目標の場所に向かった。
「とはいえ、こっちの動きに合わせて影の量産ペースが早まる可能性は全然あるから…その事も忘れない様にしようぜ」
「了解、気を付けるね!」
その後。
学校付近の十字路に到着した俺達は、物陰から影の様子を見ていた。
小さな子どもくらいの身長しかないものの、両手の鈎爪は鋭く、切り裂かれれば命の保証はないだろう。
「ねぇ、縹君」
「ん?」
「あの影、動きはそう早くないと思う…歩き方をよく見て」
海里が指示した通り、俺は影共の歩き方を観察してみる。
その歩き方は、まるで歩行という行為を覚えたての、それこそ幼い幼児のような歩き方で、よたよたとして身体も左右に振れていた。
「…なるほどな。体勢を崩してしまえばいけそうか?」
「うん、軽い足払いでも倒れると思う。ただ、普通に触ろうとするんじゃ、影に攻撃は当たらないから…」
「心化の力を使う、だな?」
「うん」
彼女は2本の小太刀を抜刀して逆手に持つ。
「まずは私がお手本を見せてあげるね。見逃すんじゃないぞ~?」
人差し指で俺の鼻先にツンと触れる。
先程の戦闘を思い返すが、彼女が不覚を取るとは思えないので、特に不安要素は無かった。
俺は両腕を組んで壁に背中を預ける。
「お手並み拝見だな」
「任せて、なんなら全部私が倒してこよっか?」
「俺の練習相手は残しておいてくれよ。様子を見て、俺も仕掛ける」
正直な話、俺は刀を使った事なんて一度もないどころか、喧嘩すらまともにしたことはないのだ。
だから、あんな化け物相手に勝てる未来は見えないでいる。
しかし、彼女とキスをしてからというもの、身体の感覚が変わった気がするのだ。
試しに自分の右手を閉じたり開いたりして、そこに影への敵意を漲らせてみると、うっすらとその右手に光が灯ったような気がした。
「…大丈夫そうだね」
ボソッと彼女が何かを呟いたがうまく聞き取れず、訊き返そうと顔を上げた。
「すていちゅーん!チャンネルはそのまま!」
「いや、テレビじゃねぇよ」
反射的に突っ込んでしまい、何を呟いたのかを聞きそびれた。
一旦それは諦めて、海里が駆けだしていった方向に目を向ける。
彼女は目にも止まらぬ速さで、音も無く影の懐に入り込んだ。
「速い!」
「ふぅっ…!!」
右手の刃が閃いたかと思えば、正面の影1体の首を一太刀で刎ねていた。
間髪入れずに姿勢をグッと低くして、背後に迫る2体を長い脚で払い、転倒させて見せた。
彼女のその脚を見てみると、桜色の光を纏っている事に気付く。
「なるほどな、あれが心化の光か。」
海里はそのまま影の頭部に小太刀を突き立て、一撃で2体とも葬り去った。
それを見た俺は臨戦態勢に入る。
「…よし、俺も行くか」
腰の刀を抜刀し、両手でしっかりと持ってから真っ直ぐに駆け出した。
狙いは少し離れた位置にいる1体!!
俺が走ってくる足音に気付いたのか、影が勢いよく振り向き、こちらに飛びかかってきた。
「うわっ!?」
俺は大きく仰け反り、影が振るった右手の鈎爪をなんとか躱した。
俺の前髪を一房、その鈎爪に持っていかれる事も構わず、右足に敵意を漲らせた。
奴を倒したい、という強い想いを抱いて、右足に意識を集中させる。
すると、先程よりもはっきりとした、水色のオーラが俺の右足を包みこむ。
俺は一旦姿勢を安定させ、右足で空中に飛び上がったままの影を蹴り飛ばした。
影が数メートル先まで吹き飛ぶイメージが頭の中に浮かんだ瞬間、俺はこれまでの人生史上最速の速さで走り出す。
まさか、蹴り一発で消えるほど弱くはないだろう。
「駄目押し…だ!!」
俺自身も正面に向かって飛び上がり、今度は両手に持った刀に意識を集中させ、水色のオーラを纏わせる事に成功する。
両手で持った刀を、俺の頭上に持っていって剣先を下に向けると、影の頭部目掛けて一気につき下ろす!!
「こんのぉぉぉぉぉ!!!!」
ザクッ!!という何とも言えない、気味の悪い手応えを感じながら、俺の刀は影の頭に深々と突き刺さった。
そのまま小さな影はピクリとも動かなくなり、黒い粒子となって消えていった。
「ハァ…ハァ…」
刀を鞘に納めて、両手を膝につけて息切れする俺。
体力以上に集中力を消耗し、額には冷や汗が流れていた。
「お疲れさま、縹君」
声の方向を向くと、既に残る一体の影を倒していた海里が立っていた。
俺と違い、息切れ1つしていない…これが経験の差か、あるいは俺が運動不足なだけなのか。
ガタガタガタ…
「…?」
俺が息を整えていると、どこからか物音が聞こえてきた、気がする。
気になって辺りを見回してみるが、敵は見当たらない。
「縹君、上!!」
海里が何かに気付き、こちらに突っ込んでくる。
「くっ…!」
俺は真上を確認せず、回避を優先して後ろに大きく跳び退いた。
すると、直前まで自分がいた場所に、黒い影の鈎爪が突き刺さった。
「まだ来るよ、避けて!!」
「了解!!」
恐らく別の位置にまとまっていた5体の影達が、こちらが戦っている事に気付いて接近していたのだろうが、今はそんなことを考えている余裕は無かった。
2体目が屋根の上からこちらに飛びかかってくるのを視界の端に捉えたので、姿勢を低くして2体目の陰に接近し、切り払う。
「後ろは私が!」
俺の背中に向かって走り出していた3体目を蹴り飛ばし、背中を守ってくれる海里。
「頼んだ」
地面から鈎爪を引き抜いた1体目がこちらに突進してくるので、こちらも正面から突入する。
左手の鈎爪を大きく振りかぶったタイミングで加速し、一気に影の懐に入り込んで刀身に意識を集中する。
「ふぅっ」
一瞬息を止めて、影を一突きの下に消滅させる。
同じタイミングで、海里も1体の影を消滅させていた。
彼女の前にいる影は1体、こちらに2体いるので、残りは3体か。
負けてられないな。
「次!」
俺の左正面にフラフラしていた影に襲い掛かり、刀を振るう。
その初撃は影の両腕に受け止められてしまうが、渾身の喧嘩キックをくらわせてその影のバランスを崩す。
大きく仰け反った隙を逃さず、刀で脳天を貫き、2体目の影を撃破。
3体目を倒そうと即座に身体を反転させると、
「あ、終わった?」
と、海里が声を掛けてきていた。
…どうやら、3体目も彼女が倒してしまったらしい。
「…おう、こっちは終わったよ」
女の子に頼り切りになっているこの状況に罪悪感を抱きながら、俺は答える。
「お疲れさま。初めての戦いだけど、ちゃんと戦えてると思うよ、縹君は」
「はぁ…そ、そうかな?」
正直、武闘の心得は一切ないから、不安なんだけど。
でも、助けたいと思った女の子相手に弱音は吐けない。
正直休みたい気持ちでいっぱいだが、時間が立てばまた影が増えてしまう。
「これで確認してた限りの小さい影は倒したはずだよな…学校に急ごう」
「うん…ねぇ、縹君」
「ん?」
「辛いとか怖いとか、思ってる事あったら、ちゃんと言ってほしいな、私」
…それを今ここで聞いてくるのか、こいつは。
いや、俺の感情がどこかで彼女に伝わってしまったのかもしれない。
俺は男の意地を持って強がって笑い、彼女の前を歩いた。
「なんてことねぇよ」
「…そっか、わかった」
俺達は学校に鎮座する、巨大な影の下に向かった。
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