第7話 世界の裏側②

「あぁもう、マジでなんとかならないのか、あいつら…!」

新しい影3体と遭遇してから数十分、僕は無様に逃げ回っていた。

街中に転がっているゴミ箱や石等を投げつけてみたが、どうやら奴らは存在自体が影の様で、こちらの物理的な攻撃はすり抜けて当たらない。

しかし、相手の攻撃が命中するタイミングに合わせてゴミ箱を盾にすると、影の爪は見事にゴミ箱を引き裂いていた。

透過は奴らの回避手段であり、いつでも透明な状のままでいるわけではないという事だ。

まぁ、それが分かったところで、奴らを倒せる明確な作戦があるわけでもないので、僕は変わらずに逃げ続けている。

もしかすると、不意を突くことが出来れば奴らにダメージが与えられるかもしれないが…こちらが負傷するリスクの方が高い。

「はぁ…はぁ…くっそ、しんどいな…」

そろそろ休まないと、こちらの体力が限界に近い。

どこか、あいつらの目を盗める場所は無いか…?

走りながら自分が休める場所を探すも、思うような場所は見つからない。

「あっ」

走りすぎて足がもつれ、道の真ん中で転倒する。

本来であれば自動車に轢かれる危険があるが、この世界では車の代わりに化け物が僕の命を狙っている。

立ち上がろうとする僕の眼前には、鋭い漆黒の爪が迫っていて―――――――――

「はぁ!!」

目の前の化け物の頭を、2本の刃が貫くのが見えた。

その刃の主は女の子だった。

僕は数秒かけて、桃色の桜吹雪があしらわれた鮮やかな朱色の袴を着た女の子が、化け物の命に終止符を打つ事を理解する。

命の恩人の顔が気になったが、角度的な問題か、彼女の顔が見えなかった。

彼女は着地したのと同時に、影に刺さった小刀を慣れた手つきで抜き放つ。

頭から貫かれた黒い影は動かなくなり、霧となって消えた。

「…」

突然仲間が殺された事に怒ったのか、化け物共が標的を僕から女の子に切り換え、彼女に襲い掛かる。

「ふっ―――!!」

彼女は紙一重のところでその身を反らして迫りくる爪を躱し、バック転の要領で影を1匹蹴り飛ばした。

もう1匹の化け物も彼女の背中側から飛びかかったが、目の前の少女は逆手に持った左手に持った小刀で、ノールックで化け物の横っ腹から串刺しにしてしまう。

2匹目が消滅し始めた事を確認せず、蹴り飛ばされた先で起き上がる影へ一気に迫り、右手に持った小刀で切り裂いた。

辺りに黒い霧が舞う中、彼女がこちらを振り向く。

その両目からは涙が流れていた。

「間に合った…!!」

持っていた武器を投げ捨て、飛びつくように僕を抱きしめる少女は、見知った人物だった。

「咲良さん、なのか?なんでここに…」

「よかった…よかったよぉ…縹君…!!」

そのままギュッと抱きしめて離さない彼女は、僕の質問に答えてはくれなかった。

咲良さんをなだめながら、建物の陰に入る。

それから数分、彼女は泣きっぱなしだった。


数分後。

「…ちょっとは落ち着いたか?」

「うん…えへへ、お騒がせしました」

大泣きしたところを見られたことが恥ずかしのか、彼女は照れ笑いを見せた。

ひとまず落ち着いたようなので、咲良さんに訊ねてみる。

「で…なんでこんなところにいるんだ?というか、ここはそもそも何なんだ?あの黒い化け物といい、現実感がない割に夢という感じもしないこの場所は、一体どこなんだ?」

咲良さんは僕の質問に慌てる事も無く、唇に人差し指を当てて「んー」と少し考えてから口を開いた。

「順を追って答えると…まずはここがどこかってところからかな。ここは裏側って呼ばれてる場所で、心の墓場、なんて呼ばれてたりもするの」

「心の、墓場?」

「そう。人々の処理しきれなくなった感情の行き先として作られたとも言われてて、詳しい事は私にも分からない」

「…なんか、既に訳の分からない話だな」

だが、まずはそうであることを前提に、彼女の話を聞いてみよう。

僕は右手の平を彼女に見せる様な動作で、話の続きを促した。

その意図を彼女も察したのか、咲良さんはそのまま話を再開する。

「次、あの黒い化け物について」

「…」

僕は無言のまま、彼女の言葉を待った。

彼女は少し厳しい口調で話を続ける。

「あれは処理しきれなくなった人の感情が形を変えたものだよ。個体によっては高い知能や自我を持っていたりする奴もいるから、遭遇したら絶対に油断しないで」

「あ、あぁ…了解」

普段の彼女とは違う口調だ。

たったそれだけの事なのに、何故か冷や水を浴びせられた様な気分になった。

どうやら僕はまだ、この現実を受け入れきれずにいたらしい。

それが今やっと、ここが現実だと本心が受け入れ始めた。

「3つ目の質問、ここがどこにあるのか」

「うん」

「事実を言うと、この世界は現実世界のどこにも存在していない場所なの。素質のある人だけが認識できる扉を潜って辿り着く、世の人々の共通認識とか…そういうものから形作られた世界だって、お父さんは言ってた。」

なるほど、統夜さんはこの世界を知っていたのか。

だから、僕の扉の話の事も疑わなかったって事だな…腑に落ちた。

人々の共通認識ってのは、所謂認知とか、集合的無意識とか、そういう話か?

…まぁ、難しい話は後回しだ。

「もう2つ質問。あの影はどうやって倒す?この世界からはどうやって出るんだ?」

「決まった固有名詞があるわけじゃないから、あなたに倣って影と呼ぶけど…あいつらを倒す為には、特別な武器が必要なの。私の小太刀みたいな、ね」

言いながら、右手で腰の小太刀に触れる。

特別な武器か…なるほど、納得だな。

恐らく、小太刀と同様に彼女の着ている袴も、特別な装備なのだろう。

「続いて、この世界から出る方法だけど…出口に該当する扉が、この世界のどこかにあるはずなんだよね…それが見つかれば、きっと出られるよ」

「了解、出口はちゃんとあるんだな、少し安心した」

探す手段に関しては特に触れられなかったが、脱出の方法がないわけではないという事がわかっただけでも、前向きな気持ちになれる。

「その特殊な武器…どうやったら手に入るんだ?」

「ごめん、この武器は普通の方法じゃ手に入らないの」

僕は迷わずに聞いた。

この世界から脱出するためには、いずれあの化け物共と対峙する必要が出てくるだろう…そうなると、対抗手段が必要だ。

先程の彼女を思い出す。

不意を突いたとはいえ、瞬く間に化け物を倒した彼女の動きは、明らかに慣れた動きだった。

少なくとも、武術の心得がない僕から見れば、彼女の動きは常人のものからかけ離れていた様に思う。

詳細は不明だ。だけど、仮説は2つ。

1つは、あの武器によって彼女の身体能力が著しく向上した可能性。

もう1つは、武器とは別の力によって身体能力を向上していた可能性。

何にせよ、あの武器を手に入れる方法からだ。

「そうすればいい?」

彼女はその質問を待っていた様にフッと笑った。

「それも、縹君次第かな…ぶっつけ本番だけど、試してみる?」

自分次第、ね。

そんな言葉を聞いても、僕の気持ちに迷いは一切無かった。

「頼む」

「わかった…とりあえず、場所を移動しよっか」

この時、彼女が小さな声で、呟いたのが聞こえた。

「…ごめんなさい」

僕はその言葉を聞かなかった事にして、素知らぬ顔で彼女の背中を見つめていた。


私は縹君を連れて、化け物の気配が無く、鍵のかかっていない部屋を探した。

その間、私達は何も話さなかったが、しばらくして彼が私に声を掛けてきた。

「お前、どこを探しているんだ?」

「…あ」

しばらく声を出していなかったから、私の声には乾いた吐息が混じっていた。

「え…えっとね、化け物の気配が無くて、静かな室内を探しているの。気配は私が感じ取れるんだけど、鍵の開いた部屋が無くて…」

「なんだ、そんな事か」

私がずっと探していた場所は、彼が知っていた。

彼は、あまりにも簡単な答えを口にする。

「なら、僕の家に行こう」

…というわけで、私は彼の家に上がらせてもらい、縹君の部屋にいた。

化け物の気配はこの家にはない。

ここなら、安心して『儀式』が出来そう。

だけど、この『儀式』には覚悟を伴う。

だから、彼に力を与える事を躊躇っていた。

私が使命を果たす事は構わない…けど、彼はただ巻き込まれただけだから。

私の運命に、彼を巻き込みたくない。

何より、私は…彼に顔向けできない存在だということを知ってしまった。

縹君に対する罪悪感と、助けてほしいという私の本心がせめぎ合い、私は葛藤していた。

縹君は私の葛藤を見抜いているのか、黙ったままの私を静かに待っている。

私は重く閉ざされていた口を開いた。

「…ごめんなさい、ずっと、黙ったままで」

「別に。お前にも何か事情があるんだろ?」

「…」

「どんな事情があろうと、僕がどうなろうと、お前を憎んだり恨んだりしない。それでもまだ不安か?」

不安だよ。

今はそう言えるかもしれないけど、私の知る真実を全て話せば、あなたは私を憎むでしょう。

その時のあなたの視線に、私はきっと耐えられないから。

縹君はこの世界から出さないといけない。

でも今の私には、まだそれほどの力が無い…それが口惜しい。

私は深呼吸して、彼に全てを話し始めた。

「私、育ての両親と産みの両親が別なの」

「…」

縹君は両目を少し大きく開いたが、そのまま話の続きを待ってくれていた。

そのまま、私は話を進める。

「咲良統夜、咲良紫苑…あなたもよく知るこの2人が、私の育ての両親なの」

「で、産みの両親の名前は?」

「父親の名前は桜木誠也、母の方は、桜木千鶴…そして、この2人は」

「…その2人は?」

「…あなたの家族を殺した人でもある」

「…」

彼は目を閉じたまま、その話を聞いても何のリアクションも見せなかった。

少し深呼吸をした後、縹君はそっと目を開けて、話し始める。

「そいつ、父親の方。僕をこの世界に落とした男と、同一人物かもな」

「そうかもしれない。その後、私がここに来るように、孤児院にも姿を現した」

「なら、それがそいつの狙いか。僕とお前をここに揃える事が…」

「そう…そんなにも、私に巫女の使命を果たさせたいんだね」

「巫女?」

聞きなれない単語に、彼が反応する。

「巫女っていうのは、あの化け物を倒す使命を背負った女の子の事で…代々力を持った女の子が、本家の血筋から産まれるの」

「それがお前って事か」

「うん」

「でもその話、それだけじゃないんだろ?」

縹君は頭がいいね。

思わずそう感心してしまう程に、彼は理解が早かった。

「そう…あなたの推測通り。巫女の話をしたのは、その巫女の持つ力が、あなたに力を与える方法っていうのに関わってくるの」

「だよな、話の流れ的に」

「でも、問題はその後。さっき話した巫女の使命っていうのは、自分が見初めた異性を一人だけ選んで力を与え、巫女として、当主と共に影と戦う事」

「当主?」

「当主は、巫女が力を与えた男の子の事なの」

「うん」

「この裏側の世界に出入り出来て、影と戦う力を持った人…そして、力を持った巫女を闇から守る存在」

「巫女を守る…なるほどな。つまり一度力を持ってしまったらクーリングオフは利かず、お前を守るためにその力を振るわないといけない、って事か」

「…うん」

巫女の力を持つ女性は、私以外にもいる。

でも、当主のいない巫女は裏側に引き込まれ、闇に飲みこまれて…そのまま意識が戻らなくなってしまう。

私は小さい頃から何度も何度も、この世界に飲みこまれては両親に救われ、守られてきた。

いつまでもこのままでいいわけはないと、そう思っていた。

「当主の力は、巫女が恋をした相手にしか与えられないの。だから私は、異性との関わりを可能な限り避けてきた…不自然にならない範囲で。まぁ孤児院の子達は例外として、普通に接してたけどね」

「えっ」

惚れっぽい女だと、気付かれてしまっただろうか。

ちょっと優しくされただけで靡いてしまったチョロい子だと思われたかもしれない。

私は今、自分の中に芽生えた感情に、恋と名付けた。

「あなたに一目惚れしました。私は、縹君の事が好きです」

「…いや、理由が無くない?何?怪しい壺でも売る気?」

しかし、彼は私の好意を信じなかった。

「何でそこを疑うの!?今までの荒唐無稽な話は信じてくれたのに!!」

これでは振られる以前の問題だと、私は思いっきり取り乱した。

「だってそうじゃんか、僕はお前に何一つ優しくしていない」

「それが君の素なの!!自覚がない程のお人好しで、捻くれてて…そんなところも可愛いなって、思っちゃったんだもん!!」

「な、何言ってんだお前!?」

可愛いという言葉が効いたのか、彼は少し赤くなっていた。

今まで見なかった表情だ。そんなところにも、私の心は甘く疼いてしまう。

しかし、なんて人だろうか。

私にあんなに優しくしておいて、そんな事をした覚えはないだなんて。

いや、そりゃあ彼からしたら、道案内をしただけとか、話し相手になっていただけとか、それだけのつもりだったのかもしれないけどね!?

私は半ば意地になっていた。

もう気持ちを隠さなくていいという事もあり、開き直っていたと言ってもいいかもしれないけど。

年頃の女の子が男の子を好きになる理由なんて、そんなものなんだから。

私の頭は、頑なに私の想いを信じない彼に、どうやったらそれを認めさせることが出来るか…その目的だけに染まった。

だから、今までに抱いていた不安や罪悪感なんて吹っ飛んでいた。

「そんなに信じないなら、証明してあげる。私があなたを好きだって気持ちが、本物なんだってことをね」

私は立ち上がり、彼にズンズンと近寄った。

「おい、ちょっ…」

「問答無用!」

「お前キャラ変わってないか!?」

そんなことはどうでもよかった。

恋の為ならキャラ変だってするのが私みたい。

自分の新しい一面を知ったな、なんて考えながら、私は目一杯の気持ちを込めて、彼の唇を強引に奪った。

「!?」

瞬間、私たちの足元に魔法陣の様なものが浮かんだ。

それは桜の紋章だった。その紋章は私達を読み取る様に浮かび上がると、縹君の身体を青い光で包んだ。

同時に私の身体も、淡いピンク色の光に包まれた。

2色の光は膨らんで絡まり合い、私達から天へ向かって伸びる一本の槍に変化した。

その槍はそのまま真っ直ぐ曇天を突き抜けて雲を吹き飛ばし、美しい夜空を私たちに見せてくれた。

私達はキスした状態のまま、お互いの感情・情報を共有した。

その時に私は、自分の人を見る目は間違っていなかったのだと、そう確信した。

やがて光が収まり、何事も無かったかのように口を離すと、私が吸い付いていたのか「パッ…」という小さな音を鳴らし、唾液が少し零れた。

頬を赤く染め、少し呼吸を荒くした彼の手元には、一本の刀が握られていた。

私は恥じらいを掻き捨てて、得意げな表情で彼に言った。

「これで…伝わったかな?」

「…面倒な女に関わっちまったなとは思うよ、本当に」

そう吐き捨てる彼の表情からは、不思議と嫌な感じはしなかった。

捻くれで、天邪鬼で、素直じゃない部分があるんだろうなって思ってた。

ツンデレと言い換えてもいいかもしれない…そんなところも可愛いな。

「分かったよ、やっちまったものはしょうがねぇ…だから約束してやるよ」

得意げな表情のまま、キスしていた時のあまりの気持ちよさに腰を抜かしていた私に、彼はそっと手を差し伸べてくれる。

「守るとかは約束しねぇけどな。これからは、がお前と一緒にいてやるよ…改めて、よろしく頼むぜ、海里」

その言葉に、もう完全に腰砕けになった私はというと、にへら、と笑みを浮かべる事しかできなかった。

両目尻から溢れる涙は、彼の指がそっと拭ってくれる。

私は彼の胸に顔を埋めた。

そして、彼が両手を背中に回してくれるのを感じながら、その身を彼に委ねるのだった。

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