第6話 世界の裏側①
??? 時刻不明。
「っと!」
バランスを崩した状態から、どうにか着地する。
「一体、何が起こったんだ?」
辺りを注意深く見渡してみると、今自分がいるこの場所は自室そっくりだ。
自室がそのまま廃墟になったかの様にボロボロになった建物の一室に、僕は降り立ったらしい。
自分の部屋の中に現れ、これまではただの幻覚だと思われていたあの扉から、この場所に繋がったという事なのだが…少し妙な話だ。
某青い猫型ロボットの持つ、好きな場所に繋がるピンク色のドアじゃあるまいし、なぜこんな現象が起きているのかがさっぱり分からない。
僕は無言で自分の頬を強く抓ったり、思いっきり自分の右頬をビンタしてみた。
…痛いだけだった。目は覚めない。
どうやら夢という訳ではないらしい。
ひとまず、今この状況は現実だと、そう認識する事にする。
しかし、扉を通じてこの場所に来たのなら、元いた場所に戻る為の扉があるはず。
「ドアが…ない?」
自分がこの世界には、転ぶような姿勢で入ってきた。
その方向は、今自分が向いている方向から見て真後ろからだ。
だが振り返ってみても、そこにあるのは朽ちた壁だけだ。
今考えるべきことは2つ。
僕は一体どこからこの世界に入ってきたのか。
そして、どうやって帰ればいいのか…この2つだ。
それを調べるためにも、まずは思い切って外に出てみようと思う。
自分の服装を確認すると、先程まで着ていた私服のままだった。
だから、靴下は履いていても靴がない。
「玄関に行けば、靴くらいならあるか?」
そのまま1階へ降りて玄関に向かい、自分の靴があるかどうか確認する。
…ないな、靴箱の中か?
玄関の引き戸になっている靴箱を開けて、中を見てみる。
「あった!」
いつも履いているお気に入りのランニングシューズだ。
僕は決して金持ちという訳ではないが、咲良さんが靴にこだわれと言い、値段を問わず良い靴を選ばせてくれるので、自分の足に合い、長く履けて且つデザインも好みのものを選ばせて貰っているので、靴は大切にしているのだ。
僕の足は左右で大きさが違い、両足ともに幅が広く、合う靴が中々見つからなかったのだが、たまたま居合わせた店員さんが靴屋の店長で、その方に紹介してもらったものだ。
ロングセラーのブランドの様で、履き心地も良く愛用している。
愛用の靴を見つけた事で少し気持ちが切り替わり、なんとしてもこの場を乗り越えてみせるという気持ちが湧いてくる。
青と黒の生地をベースに、水色のラインの走った靴を履いて、靴紐をグッと結ぶ。
「よし、行こう。」
僕は玄関のドアを開き、勢いよく飛び出した。
??? 時刻不明。
男は離れた位置から、少年の動向を監視していた。
「初めてこの世界に降り立っても一切動揺することなく、状況を即座に理解して頭のスイッチを切り換えて、恐れる事無く探索という行動を選んだ…やっぱり、あの少年はあいつの息子だな」
素質があると、そう感じた。
うちの娘が惹かれ始めているのも、運命といえよう。
「だけど、このままじゃあの少年は死んじまうな」
俺達の研究の為にも、彼にはそう簡単に死なれちゃ困る。
少し賭けになるが、そろそろあっちの方を炊きつけておくか。
あの子なら、きっと即座に行動を起こすだろうさ。
期待してるぜ、我が娘。
男が右手をかざすと、壁にドアが現れた。
そして男はそのドアを開き、その先へと姿を消した。
??? 時刻不明。
少々走り回って、辺りを探索する事30分。
僕は物陰から、現実ではあり得ない化け物の様子を窺っていた。
真っ黒で丸い胴体で、四足歩行。
頭や首、尻尾の様なものは見当たらない。
その大きさは、少なくとも人間の5倍程はあるだろうか。
耳らしき物は無さそうだが、音には反応するのか?
足元にあった小石を遠くに投げてみる。
投げた小石は化け物のさらに奥まで飛んでいき、壁に当たってコツンと音を鳴らした。
音が鳴った瞬間、化け物はその方向に飛びかかり、バタバタと暴れている。
飛びかかる様な獲物なんていないのに飛びかかったという事は、あいつには目に該当する感覚器官は付いていないという事か?
少なくとも、どこから石が投げられたのかを確認する様な素振りも見せなかった。
目が見えなくて、知能もそこまで高そうな様子はない一方で、聴覚と筋力は高い。
何より、敵があいつ一匹という事はないだろう。
あの化け物の様な奴が何匹、何種類といてもおかしくない。
ここは僕の知っている日本とは違う、危険な場所なのだと再認識する。
ひとまず安全そうな場所に身を隠し、考えをまとめるべきか。
ここに来るまでに、この世界の出口の様なドアは見当たらなかった。
あの扉はそれらしい雰囲気があって、なんとなくだけど普通の扉との違いくらいは分かるから、よほどの見落としがない限りはこれまでのルートには出口はない様に思う。
考えながら、僕は足音を殺してその場を立ち去ろうとした、その時。
カランカラン…。
「あっ」
僕の左足が、足元にあった空き缶を蹴った。
な、なんでこんなところに空き缶が!?
僕は恐る恐る、漆黒の化け物の方を向く。
黒い化け物も、ゆっくりと音のした方向、つまり、僕を視界に捉えていた。
一瞬の膠着状態の後、僕は意を決してその場を駆けだした。
化け物の咆哮が辺りに響いた後、周囲の建物を破壊しながら、奴が追いかけてきている事を察した。
「…!!」
こうして、僕と化け物の命を懸けた鬼ごっこが始まった。
はるかぜ院 23:48。
「お前…生きてたんだな、やっぱり」
咲良統夜、昔懐かしい俺の旧友。
「俺の娘は元気にしてるか?」
「今更あの子の事を、お前が娘とか呼ぶんじゃねぇ…不愉快だ」
「熱いところも相変わらずか」
「…で、何の用だよ。お前が意味も無く現れるはずがねぇだろ」
こいつは昔から正義感が強く、真っ直ぐな男だった。
きっと娘の事も、心から家族同然に愛している事だろう。
だからこそ、娘を託したのだから。
「あの少年…名は縹志津摩と言ったかな。彼を裏側に落としてきた。一つ、試してみたい事があってな」
俺の言葉を聞いた瞬間、統夜が怒りの形相で俺を殴り飛ばした。
「テメェ、自分が何したかわかってんのか!?」
「目的の為に、必要な事だ」
「何が目的の為だ、馬鹿野郎!!…こんなことしてる場合じゃねぇな、あいつを助けねぇと…!!」
こいつは昔よりも冷静になったらしく、俺を糾弾するよりも少年の命を優先するらしい。
昔はこのような切り替えの出来る男ではなかったが…こいつも大人になったという事か。
「俺の娘、海里に伝えろ。早く来ないと少年が死ぬぞ、とな」
「その必要はありませんよ、私ならもういますから」
玄関の外で話しているのが聞こえたのか、海里が出てきていたらしい。
彼女は張り詰めた表情でこちらを見据えている。
「お父さん、私、行くね」
「駄目だ、海里!あそこは…」
「それが私の役目なんでしょ?…今代の巫女候補としての、私の使命。」
「そんなもん、昔の連中が押し付けてきた厄介事だ!お前には関係ない!!」
「例え関係なくても、私は行くからね。私の友達を助けに」
そう宣言する彼女は、真っ直ぐに統夜を…そして、その向こうにいる友人を見据えていた。
…いい目だ。
どことなく彼女に似てきたなと、そんなことを感じる。
「…こうなったら聞かないよな、お前は。」
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから…じゃ、行ってきます!」
そのまま彼女は駆け出していった。
「さて…俺は行くよ。目的は果たしたからな」
「子どもらを勝手に巻き込んだことは絶対に許さねぇ…でも、今はお前に構うより、俺に出来ることをする。だからお前はさっさとどっかに行け、目障りだ」
「俺は行くと、そう言っただろ?お前に言われなくてももう帰るよ」
男はそう言って去っていった。
「無事でいてくれよ、二人とも」
統夜は空に浮かぶ三日月に、二人の無事を祈った。
??? 時刻不明。
「…なんとか捲いたか?」
数十分に及ぶ逃亡劇の末に、ギリギリのところであの黒い化け物を撒くことに成功する。
生き残る為に走り続けた事もあって、息は乱れ、額から汗が流れ落ちるのを感じた。
しかし、先程から地面を揺るがす程の足音が聞こえているので、そこまで距離が離れているわけではないらしい…油断は禁物だ。
本当にこの世界は何なんだ…?
確かに痛みを感じるし、それでも目が覚めないという事は、夢や妄想の類では断じてない。
だが、あんな黒い影のような生き物は、恐らく現実には存在していないはずだ。
そして走り回って気づいたが、どうやら現実の自分よりも今の自分は体力や身体能力が幾分マシになっているらしい。
本来の自分なら、もっと早く限界を迎えているはずだからだ。
本当に、それだけの距離を走ってきたのだ。
例えるなら、100メートル走を全力疾走で走るような速さで、1600メートルを最後まで走り切ったような状態だ。
自分の身体であって自分の身体ではない。
だが、動けなくて死ぬよりはいいかと思い直し、今はその疑問を捨てる事にした。
この世界について探るのは後回しにして、自分の体力がまだ残っている内に、本気で脱出する手段を探さないとまずい。
僕は足音を殺しながら、化け物の足音が遠くなる方向を目指して移動を再開した、その時。
ドサドサドサ…
「ん?」
背後に何かが飛ばされてきたような音がして、後ろを向く。
それは黒い物体だった。
よく観察すると、手足の様なものが付いている。
あの化け物同様の存在である可能性が浮かぶが、それら3つの黒い塊はピクリとも動かないでいた。
「…」
足音を殺し、慎重にそれに近づいて様子を窺う。
その物体までの距離が3メートル程になった時、その鈎爪のような4本の指がピクピクと動いた。
「!」
咄嗟に距離を取り、より離れた位置から影を観察する。
そいつらはゆっくりと起き上がり、人間と同じように2本の足でスクッと立ち上がった。
その体長は人間の子どもくらいで、1メートルもないくらいに小柄だった。
頭部分には犬耳のように垂れ下がり、ブラブラと揺れている耳みたいなものが付いている。
顔部分は大きな赤い目が左右に付いているが、鼻や口の様なものは付いていない様だ。
奴らは歩くのは苦手みたいで、歩行という行為を覚えて間がない子供の様に、バタバタと両手足を振り乱して、こちらに走り寄ってきた。
その速さはこちらの想定よりも早く、一気に距離を詰めてくる。
「ヤバッ」
僕は影に背を向けて、全速力で逃げた。
同時刻、志津摩の家。
私は彼の家に到着した。
当たり前だけど、玄関のドアも窓の鍵も閉まっている。
「どうやって中に入ろうかな…」
周囲に扉の様なものは見当たらない。
2階のベランダに上ったところで、その窓やドアも同様に鍵が閉まっている事も分かる。
「戸締りは大事だよねぇ…」
でも、今となっては彼のその意識が障害となっている。
方法がないわけではなかった。
もしもの時の為に、色々と持ってきていたのが功を奏した。
彼のいるところに辿り着く為、まず2階のベランダを目指す事にする。
青いゴミ箱を足場に、彼の家の物置きの上に上る。
100人乗っても大丈夫と謳われているメーカーなだけあり、私一人が乗ってもビクともしない程の安定感があった。
あのCMの言葉は嘘じゃなかったんだ…なんて感心しながら、私はベランダの角に視線を向けた。
持ってきた荷物の中から、衣服を掛けるためのハンガーとロープを取り出して、それらが外れない様に固く結びつける。
そして、ハンガー部分を手に持った私は、真上に向かって全力でジャンプした。
ハンガーを持つ右手を必死に伸ばして、見事ベランダの手摺に引っ掛ける事に成功する。
そのままロープを握り、ベランダの壁に体重を預けるようにして手早く登っていき、左手、右手の順に手摺を掴んだ。
一瞬、私自身の全体重を両手のみで支えている状態になるけれど、構わずに身体をググッと上げて、跨ぐ様にして左足から手摺部分を超え、ベランダに侵入出来た。
あとは持ってきた物の中からガムテープとハンマーを取り出して、ガムテープを丸く窓ガラスに張り付けていく。
そして張り付けたガムテープに向かって、何度かハンマーを振り下ろした。
普通に割るよりは静かな音で窓ガラスが割れた事を確認し、数分かけてガラス片を角に片付けてから部屋に侵入。
その部屋は彼の部屋ではなかったものの、何部屋か調べていく内に彼を発見する。
縹君は壁に背中を預け、もたれ掛かっている様な姿勢で意識を失っていた。
その背中には、不思議な意匠の扉がある。
「…縹君はこの先にいる」
私は一切迷う事無く、その扉に触れる。
そして、僅かな浮遊感を味わった後、気が付けば荒廃した室内に立っている事に気付いた。
間違いない、ここは裏側の世界。
自分の意思でこの世界に足を踏み入れたのは初めてだけど、不思議と恐怖は感じなかった。
「待っててね、縹君。必ず助けるから」
私は腰にある2本の小太刀にそっと触れて、駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます