第5話 扉の向こうへ

部活動紹介中、僕は先生の目を盗みながら仮眠を取って過ごした。

部活動紹介も終わり、1回目の歴史の授業も程々に聞き流しながらノートをとって過ごした後、帰りのHRホームルームが終了し、下校の時間になる。

僕はいつもの様にリュックを背負い、真っ直ぐ下駄箱へ向かう。

3階から2階に差し掛かる階段を下っていると、背後から声を掛けられた。

「縹君!一緒にかえ…」

「嫌です」

今日は帰ってからやることがあるのだ。

入学式のドタバタでしばらく小説をアップ出来ておらず、そろそろ書き進めておきたいところだった。

咲良さんの父にして僕の後見人をしている、咲良 統夜さんに許可を貰って銀行の口座を開設してもらい、小説サイトの広告収入で小遣い稼ぎを始めたのだった。

元々趣味で書いていたのだが、自分で携帯の料金くらいは自分で払いたいと思った事、統夜さんに頼らず、自力で小遣いを増やしたい事を理由に活動を始めて数か月。

今のところは楽しみながら、ほんの少しずつPV数が増えている状態だ。

「僕は今日、用事がある。悪いが今日は本当に付き合えない」

「一緒に帰るくらいならいいだろ?どうせ近所なんだから」

咲良さんの後ろには先ほど出会ったクラスメイト、相羽がいた。

そして相羽の隣には白雪さんもいる。

相羽の言う通り、下校くらいなら時間を取られるような事もあるまい。

「…確かに、一緒に帰るくらいならいいか」

別にどこかに寄り道するわけでもないのだから、それくらいなら構わないだろう。

「いいよ、帰ろう」

「やったぁ!行こ行こ!」

咲良さんが嬉しそうに僕の隣に並んだ。

「でも縹君、そんなに早く帰りたい用事って何があるの?」

気になったのか、白雪さんが僕にそう訊ねてくる。

特に隠すような事でもないから、僕は正直に答えた。

「趣味で小説書いてるんだ。最近は中学の準備だったりで忙しくて、ちょっと書けてなかったんだけど…ようやく時間が作れそうだったからさ」

各々、驚いたような反応を見せた後、次は相羽が僕に質問した。

「すげぇじゃん!でも、何が切っ掛けで書き始めたんだ?」

僕のリュックを強い力でバシバシ叩く彼の手をそっと払いのけて、僕は答えた。

「どうやら僕は頭のおかしい奴らしいからな。せっかく頭がおかしいなら、それを生かして何か新しい事を始めようかと思ったことが切っ掛けだよ」

なんてことはない、例の扉が見え始めて、その扉について調べていた時のルーズリーフを、クラスのヤンキーに見られたことがそもそもの発端だった。

でも、考えてみてほしい。

例えば仮におかしな行動を取る人間が目の前にいたとして、その人に対して真正面から「みなさーん!ここに不審者が!頭のおかしい不審者がいますよー!」なんて騒ぎ立てるような奴らの言う『普通』って、一体何なんだ?

自分とは違う個性を認められず、それを集団の異物としか見られないような奴らと仲良くできる程、僕は人間が出来ていない。

何より誰かの言う様な『普通』なんてものは多分存在しないし、それはそいつの中の物差しの1つでしかないんだろう。

悪意ある人間の道具になる様な『普通』なら、そんなものはいっそ無い方がいいまである。

同年代で且つ多感な僕ら少年少女を1つの部屋に押し込めて何かを学ばせて、競わせる様な日本の教育がある限り、こうした問題は多分無くならないんだろうな。

…いかん、思考が変な方向に進んでいる、これは良くない。

僕の返事を聞いた相羽は、それを笑い飛ばした。

「ハハッ!いいじゃん、普通じゃないとか、俺は男のロマンだと思うぜ!」

「ちょっと何言ってるかよくわかりませんね」

「いきなり梯子を外すなよ!?…いや、だってカッコいいじゃんか、普通じゃないなんて。特別な何かになれるかもしれないんだからさ」

…特別な何か?

俺が言うのもなんだが、こいつ、厨二病の気でもあるのだろうか。

それとも、男ならみんなこんなもんなのか。

なんとなく彼の雰囲気から体育会系の気配を感じていたのだけど、相羽はすごい奴らへの憧れがあるのかもしれない。

少なくとも彼の真面目な口ぶりからは、決して茶化しているわけではないという事だけは伝わった。

珍しいな、僕の話を真面目に受け取る奴がいるなんて。

大体こういう話をすると、「思春期乙」とか言ってバカにされるものだとばかり思っていたから、少し意外だ。

真面目に話すのならば、僕も真面目に答えを返そう。

「何かに憧れてるのか、そうじゃないのかは分からないけど、結局自分は自分だから。子どもの頃教わらなかったか?よそはよそ、うちはうちってさ。」

「確かに、小さい頃とかよく言われたなぁ、それ…」

咲良さんが昔を懐かしんでいる。

咲良夫妻もそういう事言うんだな、なんて思ったが、それはともかく。

やはり相羽も孤児院で暮らす子どもらしく、何かしら抱えているらしい。

何を抱えていようが僕には関係ないけど、さっさと家に帰りたいのでこの話を終わらせるとしよう。

「でもまぁ、で悩むのは思春期の仕事だろ。僕も悩む事くらい全然あるし、それも経験だって思う様にしようぜ。あるいはドツボにハマる前に、開き直るのも一つの手かもしれないけど…精々お前のやり方を探すんだな」

「…なるほどなぁ、今改めて、海里がお前を気にする理由が実感できた気がするよ」

「理由が分かったとか言うならこの不良債権を引き取ってくれよ、頼むから」

親指で咲良さんを示しながら、嫌そうに僕は言った。

「あ、間に合ってます、結構です」

僕の頼みを相羽はやんわりと拒否した。

「酷い!?」

咲良さんはその雑な扱いにショックを受けた様だ。

そんなやりとりを後ろで眺めてクスクスと笑っていた白雪さんが提案する。

「フフッ、ねぇ、いつまでも階段で話してるのもアレだし、そろそろ帰らない?」

白雪さんの言う通りだ。

「そうだな!帰ろうぜ!」

相羽は僕の左隣に立って馴れ馴れしく肩を組み、僕を連行していく。

「っていうか、おい、サラッと下の名前で呼び捨てにするな」

「いいじゃねぇか、友達だろ?」

「そうやって圧を掛けてくるような奴が友達だった事、一度もないんだよ」

「なら、俺がその一度目だな」

「そうならない事を祈ってるよ」

鬱陶しそうに肩に組まれた手をどかして、僕は階段を下りる。

咲良さんと白雪さんが仲良く話しているのが視界の端に映る。

「縹君に男友達が…!今日は赤飯だね!」

おい、そこ、目尻に溜まった涙を拭うな。

「そんな事でお赤飯を炊かれたら、縹君が可哀想だよ、海里ちゃん」

そんな咲良さんを見て白雪さんが苦笑している。

関わり合いになりたくないので、馴れ馴れしい相羽を受け流しながら、僕は溜め息を吐いた。

頼むから、面倒事に僕を巻き込まないでくれよ。


自宅、18:30。

「…こんなところかな」

切りのいいところまで書き進め、今日のところはストップする事にした。

パソコンの画面を長時間見続けていたからか、目の疲れを感じて目頭を揉む。

集中力が切れて気が抜けたのか、強い空腹感に襲われている事に気付いた。

「何か適当に食べるか…」

部屋を出て1階に降りてキッチンへ向かう。

キッチンの冷蔵庫を開けて冷凍食品を物色し、いくつか適当に選んでから皿に乗せ、電子レンジに入れて解凍スタート。

「白飯は確か、残り物があったかな…」

今朝炊いたばかりの白飯を冷蔵庫の中に残していたので、それを陶器の茶碗に盛ってラップをかけ、次に温める準備をする。

次に電子ケトルへ浄水の水を注ぎ、蓋を閉じてスイッチを入れる。

冷蔵庫のチルド室の中から、既に切ってある袋に入った野菜を別の更に盛って適当にドレッシングをかけて即席のサラダを用意した。

そうこうしている内に冷凍食品の解凍が完了したので取り出し、白飯をレンジの中に入れて温めを開始。

一旦晩飯の準備は中断してお風呂場へ向かい、浴槽の栓をしてからお湯張りのボタンを押してお風呂の準備をする。

キッチンに戻って手を洗い、少し待つと白飯の温めが完了。サラダと白飯、冷凍食品のおかずをテーブルの上に置くと、カチッという音が聞こえたのでキッチンに戻る。

電子ケトルに準備しておいたお湯が沸いたので、インスタントのお吸い物を木製の茶碗に入れてお湯を注ぎ、味噌汁が完成。

テーブルの上に味噌汁を持っていき、晩飯完成。

「いただきます」

今日も美味しい晩飯だ。

この前、咲良家でご飯をごちそうになった時の事を思い出す。

人と食べようが一人で食べようが、美味いものは美味い。

そう思った。


自宅、21:16。

僕はお風呂に入った後、明日の支度を終えて寝る準備を進めていた。

明日から部活の体験入部が始まるらしい…が、自分には関係ない。

適当な文化部に入って幽霊部員にでもなり、放課後は自分の時間を過ごすだけだ。

額に汗して青春するのは、自分の様な男がやる様なことではない。

「…それにしても、相変わらずんだな、そこに」

自分の正面にある、ステンドグラスで装飾されたような扉。

その扉の先に何があるかは分からないが、危険な気がして未だにその先には行けていない。

だが、いつかはその先にあるものを、僕は知らないといけない…そんな気がしている。

考え事をしすぎたのか、立ち眩みのような感覚に襲われる。

そして、吸い込まれるかのようにフラフラと歩きだし、扉に触れようと―――――

「おっと、お前、まだそこには入った事はなかったか」

背後からの声にハッとして、ぼんやりとしていた意識に電流が流れる。

勢いよく後ろを振り向くと、そこには見知らぬ男がいた。

「…警察を呼びますよ」

誰かは分からないが、これはれっきとした不法侵入だ。

というか、玄関も窓も勝手口も、鍵は全て閉めていたはずだ。

この男、一体どこから家に入ったんだ。

得体の知れない相手を前に、緊迫した空気が流れる。

僕の至極真っ当な返しを歯牙にもかけず、目の前の男は僕の肩を無造作に強く押した。

「え」

「さっさと行ってこい。その先でお前は、自分の宿命を知る…そういう流れになっている」

グラリ、と身体が後ろに倒れ込んでいくのが分かった。

後ろには未だに正体の分からない、謎の扉。

このままいけば、閉じている扉に後頭部をぶつけて痛いだけだが、この男は何を言っているんだろうか。

体勢が崩れる中、横目で扉に視線を向ける。

ガチャ、と。

これまでに一度も開いた事のない扉が、開いた。

開くんかい、と突っ込もうと思ったが、それどころではない。

「ようこそ、少年。そこが、人の心の深淵。世界の裏側さ」

相変わらず何言ってるかよく分からないが。

僕の身体は、扉の奥に吸い込まれていった。

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