第3話 また明日

4月10日、12:00、1-1教室。

自己紹介や係活動の分担を決め終わり、今日は下校となった。

誰かに声を掛けられることも無く、挨拶も交わさず、新しい教科書等が入ったリュックを背負って、椅子を戻してから教室を出ようとした。

「なぁ、あいつ…」

「同じクラスなんだ…あいつでしょ、頭のおかしな奴って」

「そうだよ、訳の分からない事をルーズリーフに書いてさ…」

そういう話は本人のいない所でした方がいいと思うんだよな。

まぁ、どうでもいいか、あんな奴ら。

彼らには見向きもせず、僕は両手をポケットに突っ込む。

1年生の教室は4階にあり、下駄箱まで降りるにはそこまで階段を下りる必要がある。

「…腹減ったな」

今は12時を過ぎている、そりゃあ腹も空くだろう。

家に帰れば食べ物が何かしらあるだろうから、適当にやるか。

冷蔵庫の中には何が残っていたかなと、自身の記憶を掘り返していたところ、気が付いたら下駄箱まで辿り着いていた、そんな時。

「はーなーだー君!一緒にかーえろー!!」

ドスン!という効果音を錯覚する程の衝撃を受け、前につんのめる。

「…嫌です」

「断られた!?」

そりゃそうだろ、いきなりバックアタックを仕掛けてくるような奴と…それも、友達でもなんでもないクラスメイトとなんて。

制服に付いた砂埃を払いながら立ち上がり、彼女を見る。

背中にまで届く長い栗色の髪に、こちらを見つめるぱっちりとした黒い瞳。

幼さの残る顔立ちは少し童顔気味だが、一般的に見れば可愛らしく、整った容姿と言えるだろう。

こんな異性と並んで歩くのは、さぞ目立つ事だろう。

大体、この間彼女を案内した時だって見知らぬ野郎共が振り向く程だったのだから。

面倒事は御免だと思いながら彼女に背を向け、何も言わずに下駄箱から靴を取り出す。

「縹君、自己紹介は苦手なの?名前だけ言ってよろしくお願いしますなんて、何も自己紹介にならないと思うんだけど。もっと趣味とか、好きな食べ物とか、そういう話を聞きたいなぁ」

こいつ、こんなダメ出しをする為だけに俺を追いかけてきたのか?

何という暇人。

「別に、あんな奴らに話すことは何もないよ…俺も興味ないしさ」

さっきクラスの奴らが噂していたように、僕は頭のおかしい奴なんだろう。

それもそうだ、人には見えない何かを見えると言い出し、あまつさえそれが実在するんだと信じてもらおうとするなんて馬鹿げた行為だ。

当時の自分をぶん殴ってやりたいが、過去は変えられない。

誰にも見つからないところで一人でやっていれば、隠していられたんだろうが、それをするには当時の僕は素直過ぎた。

人を疑うと言う事を知らなかったという、ただそれだけだ。

もちろん、人付き合いが面倒だと思う理由はそれだけではないが。

「ねぇねぇ、ちょっと私に付き合ってくれないかな?改めて自己紹介してよ!」

「なんで?」

「私、君の事何にも知らないもん。自己紹介聞いたら、何か話のとっかかりになるような題材があるかなと思ったのに!」

「…はぁ、わかったよ。でもお腹空いたから別の場所でいいか?」

「確かに、私もすっごいお腹空いてる!じゃあ、私の家でお昼でも食べようよ!」

「行けるかそんなもん」

こいつには異性を家に呼ぶ事への恥じらいは無いのか?と思ったが、そう言えばこいつの家は孤児院なんだったっけか。

それなら家に家族以外の異性ぐらい、一人はいるか…こいつの距離感がバグってる理由が分かったな。

恐らく、孤児院「はるかぜ院」には咲良夫妻もいるだろう。

それなら、おかしな雰囲気になるはずも…いや、そもそも自分なんかと彼女がそんな空気にはなるはずもないか。

「…いいよ、分かった。でも着替えてからでもいいか?」

中学に上がる事もあって、咲良夫妻には挨拶をする必要もあるしな。

これから先、後見人としてお世話になることも少なくないだろうから、最低限の筋は通しておきたい。

「あ、うん分かった!じゃまずは縹君の家に寄ってからだね!」

「いや、先に行って待ってろよ。別に逃げたりしないから」

というか、下駄箱でいつまでもこんな話をしているわけにはいかない。

この場面を誰かに目撃されて、彼女にもよからぬ噂が立ってしまう可能性がある…引っ越してきて早々、そんな目に遭わせてしまうのは流石に忍びない。

「じゃあ後でな」

手早く靴を履き、さっさと校門へ向かう。

「あっ!ちょっと待ってよ!」

僕は足速に自宅へ向かった。


12:30、自宅。

着替えて準備をしてから、ふと思い立って生活費から2000円を取り出し、財布に入れる。

これからちょくちょく会うことになるだろうし、引っ越し祝いという訳ではないが、近くのお店で菓子折り的な何かを買っていこう。

何があったかな、あの人が好きそうなもの…和菓子か?

だが、あまり消費期限の短いものを渡すのは迷惑かもしれない。

手土産に悩んでいると、来客を知らせるチャイムが鳴った。

「…?」

誰だろう、和佳奈さんかな。

これからの外出に備え、戸締りを済ませてから玄関を開ける。

「こんにちワン♪」

来客の正体は、犬耳のカチューシャをつけた咲良だった。

「…何やってんの?」

「来ちゃった♡」

「…」

待ってろって言ったのに、マジで落ち着きがないな、この女。

玄関の鍵を閉めた事を確認して、ショルダーバッグを肩に掛ける。

「…チラッ、チラッ」

「何だよ」

犬耳カチューシャには触れてやらないからな。

だが、いいタイミングだ。

「お前、僕の後見人になってくれている咲良統夜さんの娘だよな?」

「そうだよ?」

という事は、僕の事情も多少は聞いたのかもな。

なら話は早い。俺の悩みはこいつに解決してもらおう。

「引っ越し祝いという訳じゃないが、何かしら菓子折り的な物を買ってから行きたい。お前のご両親は、何か好きなものはあるか?」

「縹君の好きな食べ物を教えてくれたら、教えてあげる!」

「美味しいと感じたものは大体好きだ。だから、食の好みなんて分からん」

「えぇ!?そんなことあるの!?」

そう言われても、事実なんだから仕方がない。

「うーん、じゃあ、美味しいと思う食べ物の中で、これは良く食べてるなってものは何かある?」

「…言われてみると、鶏の唐揚げとか、チキンと、そんな感じのやつをよく食べてるよ」

「了解!…あ、お父さん達なら和菓子とかお煎餅とか、お茶に合うものが好きだよ!」

お茶に合うものか、なるほどな。

…孤児院の面々でも食べられるように、和菓子と煎餅、両方買っていくか。

「参考になった、ありがとう」

「…縹君、ちゃんとお礼言えるんだね?」

「お前それ、結構失礼な事言ってるからな?」

まぁ、これまでの態度を考えると、そう思われても仕方がないか。

「…少し寄り道する。悪いが付き合ってくれ」

「かしこま!」

お茶目に敬礼してから、彼女は僕の後ろをついてきた。

…犬耳のカチューシャを頭の上に付けたまま。

「恥ずかしいからそれは外せ」

「いやん♡」

「変な声を出すな!」

…やっぱりこいつと話してると、調子が狂うなぁ。

僕は大きな溜め息を吐きながら、地元にある和菓子の専門店を目指した。


13:00、はるかぜ院。

和菓子と煎餅を買ってから、はるかぜ院に到着する。

「ほら縹君、上がって、上がって!」

「…お邪魔します」

前に案内した時も薄々察してたけど…滅茶苦茶広いぞ、この孤児院。

まず外観がかなり洋風で、高くて広いというか、2階より上がありそうだった。

何個部屋を用意したらあんなに大きくなるのだろうか。

僕は建築や土地に関する知識なんてないが、かなりお金を掛けて建てられた事だけは分かる。

まぁ、咲良さん…娘や奥さんもいるので統夜さんと呼ぶが、あの人の本業は小児科の医者だからな、お金ならあるだろう。

そもそも咲良家って、長い歴史のある家柄だったとか、昔本人が言っていた様な記憶もあるので、積み上げてきた資産からして僕の様な庶民とは違うのかもしれない。

咲良…今はご両親もいるので海里と呼ぶけど、彼女の後をついていかないと迷いそうな気配を感じるので、何も言わずにその背中を追う。

彼女もそれに気付いているのか、僕を先導してくれている。

「お父さん、縹君が来たよー」

「はいよー、今行くー」

何やら作業をしていたのか、少しの間を置いてから統夜さんが部屋から出てきた。

僕は頭を下げて挨拶する。

「ご無沙汰しております、統夜さん。これ、つまらないものですが…」

「お…?おぉ!?これ、限定品のわらび餅か!?しかも限定品歌舞伎揚げまで…これ高かったんじゃねぇの?」

消費税込みで2000円超えました、とは言えない。

「別に、不労所得的なもので手に入れたお金で買ったものなので、気にしないでください」

「ほー、趣味の方も順調ってわけだ。いいじゃねぇか。よっしゃ!一緒に食べようぜ、紫苑も呼んでくる!」

…落ち着きがないのはやはり親子といったところか。

だけど家族を喪ったばかりの頃は、この人の明るさに救われていた事も事実だ。

「リビングで待ってよっか、こっちだよー」

「…」

海里についていくと、すぐ近くの部屋に入った。

どうやらここがリビングらしい。

リビングの奥側に大きな木製の長いテーブルがあり、大量の椅子が置かれている。

「飲み物、何がいい?お茶とウーロン茶、ほうじ茶とカルピスと、サイダーとコーラと梅ジュースとレモンサイダーとメロンソーダと…」

「多い多い多い!多いよ選択肢が!!」

「あははは!!」

海里は笑っている。

提示された選択肢の中で、今飲みたいものは…そうだな。

「カ…ウーロン茶で」

炭酸飲料は苦手だ。

カルピスは昔から飲んでいて好きだが、あの中でカルピスと答えるのは恥ずかしい。

「おっけー、カルピスね!…ちなみに、濃さはどのくらいがお好み?」

「…濃いめでお願いします」

「ふふ、りょーかい、ちょっと待ってて?」

…言いかけた方を拾うのはやめてくれ。

その空気読みは僕に効く。


はダッシュで台所まで飲み物を取りに行った。

彼はカルピスが好きらしい。

孤児院の男の子にはカルピスが好きな子はいない。

みんな炭酸飲料を好んで飲んでいるので、背伸びしているという感が伝わってきて、男の子だなと思った。

そんな中カルピスをチョイスした彼を見て、正直とてもほっこりした。

人が苦手というか、他者に対してツンツンしている彼が、カルピスをチョイスし、思わず口角が上がるのを止められなかった程に。

これが女の子たちの言っていた「ギャップ萌え」という概念かもしれない。

何が微笑ましかったかって、言いかけてから別の飲み物を指定したことだよね。

家にはいないタイプの男の子だなぁ、と改めて感じた。

私は孤児院のみんなと違って、男子と女子の間の「好き」という感情を経験した事がない。

だから、彼に対する気持ちも恋愛感情ではないだろうなって思う。

女の子メンバーが言っている様な「ドキドキ」は感じていないから。

「というか、あの感じはまだ友達とすら思われてないよねぇ…」

「あら、海里?」

「あ、お母さん」

台所にエプロンを着けて髪を1つに纏めたお母さんが入ってきた。

「さっき、縹君を見てきたけど、彼も大きくなったわねぇ…お母さんしみじみしちゃう」

そっか、お母さんは彼と会った事があるんだ。

「お母さんはお昼ご飯を?」

「そうよ。他のみんなはもう食べちゃったから、私たちの分だけ温めちゃうわね」

「そっかぁ…あ、お母さん、飲み物持ってくね」

「はいはーい、溢さないように気を付けてねー」

私は飲み物の入った人数分のグラスをお盆に乗せて、リビングへと戻った。


海里がリビングに行くのと交代で、統夜さんがリビングにやってきた。

「よう、どうだ学校は?」

「初日にどうだと言われても…」

「まぁそれもそうか!…で、「扉」、相変わらず見えてんのか?」

「…はい、相変わらずです。原因は今でも分かりませんけどね」

そう、統夜さんは俺の扉が見える話を、なぜか信じてくれている人だ。

理由は分からない。

「そっか…なぁ、志津摩」

「なんです?」

「あー…その、これから先、何が起こるか分からんから、気をつけろよ」

「…あの、何を」

「縹君、お待たせ!飲み物持ってきたよ!」

なんてタイミングで飲み物を持ってくるんだお前は。

だが、この話はこれで終わりだとばかりに空気が変わってしまったので、その場はもうこの件について触れることは無かった。

お昼ご飯は紫苑さんの手作りだったらしく、とても美味しいものだった。

ちなみにこれは余談だが、海里の入れてくれたカルピスも、大変ちょうどいい濃さでした。


14:30、はるかぜ院付近。

そんな風に咲良夫妻・海里とお昼をご一緒した後、長居するのも申し訳ないので、僕はすぐに帰ることにした。

挨拶をしてからはるかぜ院を出て、少し歩いた頃。

「そこの縹君!止まりなさい!」

「…咲良さん、まだ何か用事?」

どうやら海里が追いかけてきたらしい。

ご丁寧に、なぜか警官の服装に帽子まで被っている。

彼女は得意げな表情でこう言った。

「この辺は物騒だから、送ってくよ?」

「越してきてから一月も経ってないお前が、この辺の何を知ってるんだよ」

そもそも、それは女子が送られる時に男子が言う時のセリフではないのだろうか。

「というか、なんでそんな恰好をしているんだ」

「これ?これは、うちの孤児院の子が作ったの。クオリティすごいよね?」

「確かに出来は凄いと思うが、僕が訊きたいのはそこじゃない」

「縹君に一つ言い忘れた事があって、追いかけてきたの」

「…言い忘れた事?」

「うん。言い忘れた事」

彼女はそう言うと、トン、トン、トンとリズムよくこちらに接近してくる。

「…これから、よろしくね?」

「…い、いや、よろしくなんてしない。してやらない」

「果たして私を振り切れるかな?言っておくけど、私はしつこいぞー?」

「そんなところに自信を持つな!…まぁ、でも、カルピスは美味しかったよ」

だから、それに免じて、という訳ではないけど。

これも何かの縁だし、あまり邪険にし過ぎると統夜さんへの不義理になるかもしれんからな…だから仕方がない。

「見送りはここまででいい。というかその恰好でついてくるな」

「えー、駄目?」

「やめろマジで…明日、気が向いたら話し相手になってやるから、それで勘弁してくれ」

「もー、しょうがないなぁ…じゃあ、それで許してあげる」

そう言った海里は、はるかぜ院の方へ歩いていく。

それを見送っていると、彼女は立ち止まってこちらを振り向いた。

「また明日ね!」

「…ん」

正面を向いて返事をするのは、何故か躊躇われた。

だから僕は彼女に背を向けて、右手をヒラヒラとさせて返した。

また明日からの学校生活が、不安で仕方なくなった一日だった。

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