第2話 入学式は桜の香り

3月。

が通りすがりの男の子、縹君にはるかぜ院まで案内してもらった後。

玄関から入って少し歩くと、かなり広めの部屋に出た。

家具の配置からして、ここはリビング…かな?

はるかぜ院の新しい施設には初めて来たので、新しくなったリビングをワクワクしながら眺めたり、新築独特の空気を吸い込んで堪能したりして楽しんでいた。

私は今日からここで暮らすんだ。

「お、海里。無事に到着出来たみたいだな?」

「お父さん!」

今リビングにやってきたのは私の父、咲良 統夜。

長い前髪を鬱陶しそうに右手でかき上げて、いつもの様に意地の悪そうな笑みを浮かべている。

「お母さんの書いた地図がちょっと分かり難かったんだよねぇ」

決して私が地図を読めないとか、そういう事ではない…と思いたい。

「とりあえず、荷物を置きたいんだけど…私の部屋ってどこ?」

「お前の部屋か?2階のどっか空いてる部屋を使えばいいんじゃない?」

「適当!!」

本当に雑な父だけど、こんなんでも本職は医者だったりする。

町医者として前の医院よりも広い医院を建て、引っ越しのついでに新しく孤児院もこちらに建設したらしい…一体いくらお金がかかったのか、とても予想できない。

この人、どれだけの資産があるんだろう。

…怖いから深くは突っ込まないけどね。

お父さんはゲラゲラ笑いながら、「冗談、冗談」と言って、親指で2階へ上がる階段を示した。

「一番奥が俺と紫苑の部屋だ。で、その一つ手前の部屋がお前の部屋だよ。ルームプレートがかけてあるから分かるはずだ。」

一旦荷物を置いてきな、と言い残して、お父さんはテレビの設定に取り掛かった。

「わかった!行ってきます!」

私は少し駆け足で自分の部屋に向かった。

「あら、海里?」

「きゃっ、ごめんなさい、お母さん!」

リビングを出てすぐの曲がり角にお母さん、咲良紫苑が荷物を運んでいた。

危ない危ない、ぶつかるところだったよ。

「ふふ、新しいお家が嬉しいのは分かるけど、危ないからあんまり走り回っちゃ駄目よ?」

「はーい!」

「…あいつ元気だなぁ」

統夜は自分の娘の後姿を眺めて苦笑いする。

一方紫苑は、そんな娘の様子を微笑ましく見ていた。

「何かいいことがあったのかもしれないわよ?これまでも何度か引っ越したけれど、今まででテンションが高いもの」

「いい事ねぇ…まぁあいつが楽しそうなら何でもいいや。紫苑、それ重いだろ、俺が持つぜ」

「えぇ、お願いね、あなた」

「任せな、どこに持っていけばいい?」

「これはキッチンにお願い」

2人は仲良く台所に向かっていった。


新しい自分の部屋を楽しみ、荷解きも全部終わらせた頃。

晩ご飯の準備が出来たらしく、私、お父さんとお母さん、妹の4人に、はるかぜ院で暮らすいつものメンバーが揃っていた。

その人数、私を含めて総勢16人。大家族ってこんな感じなのかもしれないなっていつも思う。

ドレッシングのかかったサラダを咀嚼しながら、私は今日であった男の子の事を考えていた。

彼は今、家族とご飯を食べているのだろうか。

それとも、一人で寂しく自分で用意した晩ご飯を食べているのだろうか。

食べ物の味に一緒に食べる人数は関係ないと思っている私だけど、誰かと一緒にご飯を食べられることは幸せな事だと思っている。

去り際の寂しそうな背中が、時折見えた悲しそうな瞳が、どうしても私の頭から離れてくれない。

こうなったら、絶対に今度会う機会を作ってやるんだから。

そうしたら、助けてくれたお礼と称して一緒にお昼ご飯でも食べて、この胸のモヤモヤを払拭できるはず。

「ねぇ、海里ちゃん」

「ん?」

隣の席に座っていた女の子が、私に声を掛けてきた。

彼女は白雪しらゆき 結羅ゆら。はるかぜ院で暮らしている子の一人で、私の友達。

「統夜さんから聞いたんだけど、今日は大丈夫だったの?ここに来るまでに迷子になってたって言ってたけど…」

おっと、何てタイムリーな話題なんでしょうか。

「丁度その事について想いを馳せていたところだよ、結羅ちゃん」

「とりあえずアンタは、口の中のサラダは呑み込みなさいよ…」

呆れたように指摘するのは、白鳥しらとり 遥麗すみれ

はるかぜ院で暮らす子どもの一人。

指摘されたことがちょっと恥ずかしくて、ちょっと無言のままサラダを噛んで呑み込んでから答えた。

「えへへ…ごめんね。私、ここに来るのにちょっと迷子になっちゃって、地元に住んでるっぽい男の子に案内してもらったの」

と、私がそう答えると、その場の時がピタッと止まった。

その場にいる全員が「私が男の子の事を気に掛けている」という部分に三者三様の驚きのリアクションを取る中、お父さんが興味深そうに私に訊ねた。

「へぇ…ちなみにそいつ、どんな奴なんだ?」

「第一印象は大人しそうで物静かな男の子って感じかな…話してみると、あまり人を寄せ付けないような感じがあって、壁を感じたかも」

でも、彼に感じたことはそれだけではなかった。

「でもね、人を寄せ付けないだけで、中身はすごく優しい人なんじゃないかなって思ったよ」

例えば、彼は私より歩くのが速い事に気付くと、私の歩幅に合わせた速さに合わせてくれたり。

他には、私が車道側に立たない様に常に車道側を歩いていたり。

後ろから来た自転車から、そっと私を引っ張って避けてくれたりしていた。

でも、そんなに気を配ってくれている割には私と目を合わせてくれないし、名前だって最後に渋々教えてくれたくらいだった。

不思議な人だなって思う。

一通り私の見解を話し終えた後、今度はお母さんが訊いてきた。

「その男の子、名前は聞いたの?」

「うん、はなだ君っていうの、縹 志津摩しづまって名前」

その名前を聞いた瞬間、味噌汁を飲んでいたお父さんが派手に噎せた。

「ゲホッ、ゲホッ…」

「ちょ、お父さん大丈夫?」

「い、いや、大丈夫だ…世間は狭いな」

「どういうこと?」

「あなた、さっきの縹君って…」

「あぁ、俺が後見人をやってる子だ。俺のダチの忘れ形見でな」

後見人。忘れ形見。

という事は、彼は…。

少し、嫌な想像をしてしまった。

「志津摩の奴も、もう中学生になるだろ。出来るだけ早くこっちに引っ越してきて、あいつを一人にしない様にしたかったが…ちょっと時間がかかっちまったな」

どうやら、引っ越し先にこの街を選んだ理由が縹君みたい。

「まぁ、追々ここに連れてくるよ。それに、中学も同じだから、場合によってはそこで会えるかもな。その時は仲良くしてやってくれ」

「うん、もちろん」

是非もない。

というか、彼とは私が関わりたいのだ。

まだ助けてもらった恩を返せていない。

「と、真面目な話はこの辺にして…早く食べようぜ、冷めちまう」

そうだった。

私達は話を切り上げ、食事を再開した。


3月、春休み。

今日は色々な事があったが、やっと家に帰ってこれた。

家の鍵を開けようとして鍵を差し込んで回すも、ガチャリという音が鳴らない。

どうやら誰かが家の中にいる様だ。

誰がいるかは分かっているので、玄関のドアを開けて靴を脱ぐ。

「ただいま」

「あ、しぃ君おかえりなさい!晩ご飯の用意は出来てるから、座って?」

「晩飯の用意くらい自分でやるよ、和佳奈さん」

この人は村雨むらさめ 和佳奈わかなさん。

近所に住んでる2つ歳上のお姉さんで、渡した合鍵を使ってよく家事をやってくれる人だ。

別に自分でやるから大丈夫だよと言っているのだが、彼女は頑なに辞めようとしないので、もうやりたいようにやらせている。

助かっているのは本当なので、感謝の念は欠かさない様に心がけているが。

「今日はしぃ君の好きな鶏の唐揚げにお刺身、ポテトサラダに味噌汁、炊き込みご飯を用意したの」

「いつもありがとう。でも、相変わらず量が多いというか、一人前の量じゃないね…」

「私も一緒に食べるから大丈夫よ」

「あれ?今日はご家族の方は?」

「お父さんもお母さんも、今日はお仕事で家にいないの。だから、今日は二人だよ?」

「…そっか」

彼女の両親は共働きで、今日は夜勤らしい。

父親の方のお仕事は分からないが、母親は確か看護師だったと記憶している。

うがいと手洗いを済ませて席に着き、いただきますして箸を持つ。

「もうすぐ、しぃ君も中学生かぁ。どう?今の心境は?」

なんてしょうもない質問をしてくるんだ、この人は。

食べてた唐揚げを飲みこんでから答える。

「別に、心境も何もないよ。別に楽しみにもしてない。環境がちょっと変わるだけだと思うよ」

「そんなことないよ?3年生には私もいるんだから、何かあったら吹奏楽部に遊びにおいで?」

「お気持ちだけありがたく貰っておきます」

いつも通り和佳奈さんをあしらいながら、ご飯を食べ進めていく。

「そういえば…今年の新一年生って、集団転校生が来るって噂を聞いたわ」

「…集団転校生?」

「10人か、そのくらいかな?具体的な人数は分からないけど、そのくらい転入生が来るみたいね。同じクラスの子が噂してた」

「そ、そっか」

僕はその噂の根源を知っているような気がする。

なんならその転入生の一人らしき人物とは既に顔見知りだったりする。

が、知らぬ存ぜぬを通そう…僕には関係ない。

もう会わないだろうと、そう言って別れは告げてきたのだから。


4月、入学式の後。

校長先生の長ったらしい挨拶を適当に聞き流し、教室で簡単な自己紹介をする為に、一度教室に集まることに。

とりあえずは指示通りに、出席番号順に割り振られた席に着く。

そして、出席番号順に自己紹介を進行していくのだが…。

「…嘘だろ」

「初めまして、咲良 海里です!先日この街に引っ越してきました!越してきたばかりなので、色々と教えてくれると助かります!よろしくお願いします!!」

この前の迷子の女が、同じクラスになりやがった。

彼女はこちらに気付いている様で、あろうことかウィンクなんてしてきた。

嫌な予感をひしひしと感じながら、僕はうつ伏せになって他人のふりをした。

…せめて、彼女が大人しくしていてくれることを祈って。

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