第99話 樹は環奈の彼氏である

 出張から帰ってきた俺は、日常に戻った。


 学校を経営する人たちや先生は結構な数が入れ替わり、以前よりやや明るい雰囲気を漂わせている。


 部活もそうだ。


 筋トレ部は中途半端な気持ちで来た連中はみんな諦めていなくなり、志のある男だけが残った。


 正直女子部員も受け入れようとしたのだが、環奈のことを思うとやはり男オンリーの方が安心できる。


 学は名門大学に合格するだけの力を養うべく俺の筋トレ部に入り絶賛筋トレ中であり、啓介も物書きはメンタルと体力がとても大事だと言って限界まで体を鍛錬中だ。


 まあ、ハミングウェイも結構ガタイのいい人だから納得。


 もう俺たちを虐める人はいない。


 むしろ羨望の眼差しすら浴びている。


 キモデブだった近藤樹という男が、筋トレとダイエットに成功し、巨乳のかわいい女子と付き合っていると。


 その事実を微笑ましく賛美する人もいれば、煙たがる連中も存在するわけで。


 昔の俺と学と啓介のように、デブで不細工でコミュ障の人たちは、俺を褒めてくれる。


 その反面、ヤンキーとか、クラスのカースト上位に所属して、器の小さな奴らは俺たちにあまりいい顔しない。


 まるで自分達のテリトリーを奪う危険人物を見るかのように、俺たちを敵視する集団もいまだに、この学校には存在する。


 要するに既得権益だと思う。


 悪役はヒーローを立てるために存在するように、昔の俺は、葉山翔太を立てるために存在するいわばサンドバッグだった。


 しかし、地道な努力と良き友の協力によって、既存の秩序が完全に崩れ去ってしまったわけである。


 ずっとキモデブとして底辺人生を歩けよという周りからの無言の圧力。

 

 変化を嫌う習性。


 それらを俺たちはぶっ潰したと言えよう。


 だから、俺たちを好ましく思わない連中がいるもの致し方あるまい。


 つまり、俺も気をつけないといけないのだ。


 誰もが羨む綺麗な彼女ができて、それでいて、彼女の美人母とも幸せな時間を送っていて、学と啓介という尊い親友もいる。


 良い親にも恵まれて、本当に転生前の惨めだった俺とは大違いだ。


 だから俺は、傲慢になって弱者をいじめてはならない。


 じゃないと、葉山にひどいことした30代のキモデブ男みたいな人に、俺もまたひどいことをされる可能性がある。


 強い敵は、価値のあるものを持ち過ぎているが故に、保身に走るが、




 は、なんでもできてしまう。


 


 そんな重い現実に気がつき、ため息を吐きながら隣を見ると、環奈も相変わらず浮かない顔をしている。


「……」

「……」


 部活が終わったので、放課後の正門を二人して抜け出そうとしている。


 実はずっと前から環奈の機嫌が悪いことには気づいていた。


 ずっと知らないフリをするわけにはいくまい。

 

 なので、俺は環奈の頭に手をそっと乗せて口を開いた。


「悩みがあれば、言ってくれよ」

「え?」

「ずっと浮かない顔してたじゃん」

「……」


「俺は環奈の彼氏だから」 


 最後のセリフを聞いて、今までずっと冴えない顔だった環奈が急に安堵のため息をついて、少し頬を緩めた。


「そうね、私、樹の彼女だから……」


X X X

 

カフェ(以前、環奈と翔太が話し合っていた場所)


「んで、どうしたの?」


 俺が飲み物を飲んでから問うと、環奈は何かを決心したように、ポケットから携帯を取り出した。


「ん?」


 これは環奈が使っている最新機種じゃない。傷も多いし結構古いな。


 環奈はその携帯と俺を交互に見ては、また悩み始める。あの古い携帯に大事なファイルでも入っているということか?

 

 そんな根拠のない疑問が脳裏をよぎっていると、環奈は突然その携帯を、


 自分の飲み物が入っているコップに落とした。


「か、環奈!?」


 予想外すぎる環奈の行動に俺は戸惑いつつ、心配そうな表情で環奈を見つめる。


 すると、彼女は小声で何やら呟いた。


「私は……本当に愚かだわ。こんなもの、樹と私には必要ないのに……」

「大丈夫か?」

「樹……」

「ど、どうした?」


 環奈は自分の指を絡めて、話し始める。


「私、樹と一緒にいる今がとても幸せすぎる……」

「そ、それはよかったな!俺も環奈といて幸せだ」

「でも……私、これから樹のために何をすれば良いのかわからなくて……」

「俺のため?」

「うん……」


 環奈は今まで俺のために本当に頑張ってくれた。


 キモデブだった頃から俺に親切に接してくれたし、真凜の件も許してくれて、葉山を殴って自宅謹慎食らっている時だって、俺に勇気をくれた。


 俺はずっと彼女に何度も救われた。


 なのに、また俺のために何かをするつもりなのか。


「環奈……そういうことで悩んでいたのか?」

「だって、樹、いつも私を愛してくれて、こんな幸せ私が感じて良いのか怖いくらいに、ずっと私を求めてくれるから……それに、私とお母さんを守ってくれるし……だから私も、樹を幸せにしてあげたくて……でも、その方法が全然思いつかないわよ」


 ま、マジか……


 どれだけ天使なんだよお前は……


 これはもう、結婚前提で付き合うしかなくなるだろ……


 感動のあまりに俺が泣きそうになっていると、環奈もまた目を潤ませて続ける。


「樹……私、何をすれば良いのかな……ずっと一緒にいるわけだし……でしょ?」

「あ、ああ。そうだな。ずっと一緒だ。うん。ずっとな、ずっと」


 俺がずっとを強調すると、環奈は安心したように環さんレベルになった胸を撫で下ろして、微かに口の端をあげる。


 ここで戸惑っていてはダメだ。ちゃんと環奈の彼氏としての責務を果たそう。なので俺はごほんごほんと気を取り直すための咳払いを数回してから口を開く。


「俺は環奈に何回も救われたんだ。だから、いつも環奈を見ると、申し訳なくなる」

「え?」

「ずっと俺を助けてくれたんだろう?」

「……だって、樹が私の心を満たしてくれるから……こんな幸せ、味わった事ないし、だから……」

「環奈」

「うん?」

「このままでいいと思う」

「このまま……」

「ああ。環奈は頭も良くて、とても魅力的な女だ。だから悩む必要はない。その反面、俺は、環奈がいないと、ずっと挫けることになると思うよ。頭悪いから後先考えずに葉山を殴ったしな」


 俺は自虐混じりに笑って恥ずかしそうに後ろ髪を掻く。だが、環奈はそんな俺を嘲笑うことなく見下すことなく、優しい笑顔を向けては、


「私、樹のそういうところ、好きよ」

「っ!」

「だから、ずっと樹を助けるから……その……樹は……」


 口をもにゅらせていいあぐねる環奈。


 うん。最後のセリフは俺に言わせて。


「環奈をこれまで以上にもっと愛してあげるから」

「……うん。うん!それよ」

「なんかごめんな。やっぱり、言葉でちゃんと伝えるべきだった」

「言葉?」

「うん。いつもありがとう。俺のそばにいてくれて。俺を助けてくれて」

「……樹……やっぱり好き……」

「俺も好き」

「大好き……」

「俺も大好き」

「全部包み込んであげたい」

「ここだとやばいだろ」

「へへ……」


 喧騒に包まれたカフェの中で、俺たちの言葉は、互いの耳を甘噛みするように優しく刺激しては、他の人の声に紛れて消えてゆく。



(樹と環奈をとても微笑ましく見つめる店員。この店員は、以前、環奈の唾液のついたコップを翔太が舐めようとした時、そのコップを素早く下げた人である。27話参照)




追記


もうすぐ翔太の未来、真凜の未来出てくるかも



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