第95話 正義とは
ちょうどドアを開けるところだったので、デブ男は震え上がる翔太を無理やり中に投げつけてドアを閉じた。
「だ、誰だよお前は!」
「俺はね……正義を実現させるために生まれたいい人だよ。うっへへへ」
実に気持ち悪い笑をこぼしているデブ男に倒れている翔太は、深刻な表情で早速反論する。
「何馬鹿げたこと言ってんだ!?臭いホームレス風情が!さっさと出ていけ!じゃないと……通報するぞ!!」
だが、デブ男は全く動じない。
「しろ」
「え?」
「俺はお前みたいなDQNやろうが出しゃばらないようにできればそれで満足だ。捕まろうが刑務所に入ろうが、そんなのどうでもいいさ」
「何わけのわからんことを……」
「俺さ、やっと人生の目標を見つけることができたんだ」
と、デブ男はありし日に思いを馳せるようにため息をつく。翔太は、デブ男があまりにも匂うので、顔を顰めた。
だが、デブ男は翔太の気持ちなんぞどこ吹く風と話を続ける。
「学生時代はお前みたいなDQNからのいじめを受けて、友達ゼロ、童貞、減らない体重、そして大人になってからは、全然見つからない職場、親の死……そう。俺の人生を一言で要約すると、絶望……でも、お前は、こんないい家があって、家族がいて、恵まれた環境にある……なのに、俺みたいなかわいそうなやつをいじめるのかよ!!だから、お前はだめなんだ!!お前の家族も全員殺してやろうか?」
「黙れ!!俺のせいにするな!!くそホームレスが!!」
「いや、全部お前のせいだよ」
「何?」
「お前のせいで俺はいじめられて、お前のせいで俺は友達ゼロで、お前のせいで俺は童貞で、お前のせいで体重が全然減らなくて、お前のせいで職場も全部首になって、お前のせいで両親が死んだ」
「お前……頭おかしくねーのかよ……」
デブ男の言葉に翔太は当惑した。彼の狂気に翔太は当てられてしまったのだ。
デブ男は、笑いながら、翔太に近づく。
「あはは……全部お前のせい……葉山翔太のせいだ……あはは……あははははははは!!!!」
「く、くるな!キモデブがああ!!!!!!」
デブ男の背は185センチほどで、体重も結構ある。
全然洗ってなくて臭い匂いをばら撒く彼の接近に翔太の足には既に力が入らない。
やがて、至近距離にまできたデブ男は、
「俺は正しい!!!!!!!!」
X X X
数日後
細川家
花音の部屋
真凜は放課後、細川家で花音と二人きりで一緒にある作業に当たっている。
「何ぼーっとしてんの?あたしが見てるんだから頑張って!」
「マ!?自信ないんだったら、私がいっぱいご奉仕しちゃう的な?ねえ、めっちゃやばめすぎるご奉仕、欲しいの?ご主人様……」
真凜が、高性能マイクに向けて、何やら話かけている。花音は、その様子を隣で見ているが、口を半開きにして驚いている。
録音を終えて真凜が疲れたようにため息をつくと、花音が彼女にお水を出した。
「お疲れ様でした」
「ありがとう」
「素晴らしい演技でした。これほどまでに見事にビッチギャルを演じる女性はなかなかいません。足りないところさえ補えばオーディションにもすぐ受かると思います」
「そ、そう?」
「はい。お兄様のおっしゃる通り、すごい才能です。やっぱりご本人がビッチだからなんでしょうか」
「私はビッチじゃない!」
啓介の奴隷になってからある程度の時間が過ぎた。
男女の間で奴隷と聞くと碌でもないことを浮かべがちだが、この二人に限ってはそうでもない。
あの出来事から啓介は真凜に一切の関心を示すことなく、真凜は花音と一緒にいる時間の方がほとんどである。
真凜は週に2回ほどここにやってきて、声優としての仕事をしている。
突然、兄から真凜を声優にしてと頼まれた花音は、最初のうちは、真凜を殺す勢いで接したが、二人ともそういう関係じゃないことを知ってからは、今こうやって、真凜の演技を見ながら改善点などを教えるなど、指導にあたっている。
ちなみにさっき録音したものは、「カロン」という、花音が暗躍するようつべチャンネルにドラマCDみたいな形式で公開されることになっている。(54話参照)
花音は、PCを操作して、「カロン」というようつべチャンネルを開いた。
「お兄様の話だと、このチャンネルの名前をカロン&マロンと変えるそうです」
「そ、そうなんだ……」
「これからもいっぱいお兄様がシナリオを書いてくださると思いますので、よろしくです」
「うん……よろしく……」
最初こそ真凜は戸惑った。
これまで彼氏を取っ替え引っ替えで、メイド喫茶店では人気メイドとして名声を得てきたが、
今は声優としての仕事以外は自分に許されていない。
噂が噂を呼び、真凜が翔太の妹であるとバレるのは時間の問題だった。
学校のみんなにもバレたし、メイド喫茶店の同僚たちからも白い目で見られて、結局、彼女は全てをやめて今に至るわけである。
幸いなことに、啓介は真凜に報酬を支払っているので、メイド喫茶店をやめたことによって生じる経済的問題はない。
真凜は即戦力になるので、このまま収録していけば、メイド喫茶に通っていた頃より稼ぐ計算になる。
正直、助かる。
今まで自分が築いてきた全てが崩れ去った状態で打ち込める何かを見つけただけでも嬉しいのに、生産性まである。
時々花音が見せる怖すぎる視線を除けば、この奴隷生活も悪くはないと、今の真凜は思うのだ。
だけど、現在の彼女はとても表情が暗い。
それが気になったのか、花音が小首を傾げて、聞いてくる。
「どうかしたんですか?」
「……」
だが返事を全くしないまま俯く真凜に花音の表情はヤンデレに変わる。
「も、もしや……私のお兄様と……これは絶対許せませんね……」
と低い声で言ってから、机の引き出しからスタンガンを取り出し、スイッチを押しながらそれを真凜に近づける。
「今すぐあなたをここで殺して差し上げます……うふふふ……あはは……」
「ちょ、ちょっと!!そんなことないから!だからその物騒なものを下げてよ!花音ちゃん!」
「うん……」
花音はジト目を向けたが、やがてスタンガンを自分のポケットにしまう。真凜の目が少し潤んでいたからである。
「あの事件が原因ですか」
花音が冷たい口調で訊ねると、真凜がごくっと頭を縦に振った。
あれとは、つまり葉山翔太殺人未遂事件。
30代のキモデブが翔太を本当に死ぬ寸前までぼこぼこにして体と精神を完全に破壊した事件。
しかし、
世論やネットの人々は、ほとんどがデブ男の肩を持っている。
このことを危険と見做した国の関係者らが報道規制をかけるなどして、テレビではあまり放映されないが、ネット上ではすでにあのデブ男を讃美する集団まで現れて釈放を求めている始末だ。
「気が乗らないなら、しばらくここに来なくて結構です」
「……それはいやよ」
「なぜですか?」
「……家にいるのはいや」
「そうですか」
落ち込む真凜を見る花音。
花音は何か思い付いたらしく、突然押し入れのところへ行き、埃がたくさん積もった新聞紙の一部を取り出し、それを真凜に渡した
無言のまま受け取った真凜は、その新聞の内容を読む。
『声優花音ちゃん、中年男性二人に襲われる!』
『花音ちゃんを守るべく、お兄さんが男性二人に暴行受けて重症』
『花音ちゃんは無事、お兄さんは重症』
『男性二人、無期懲役の刑を言い渡される』
衝撃的な見出しを見た真凜は、なぜ啓介がいつもコミュ障みたいな言動を見せるのか、気がついた。
「花音ちゃん……」
そう口にして花音の方へ視線を送ると、彼女はその好き通った青い目を潤ませながら口を開く。
「私を守っただけで、お兄様はトラウマを植え付けられ、長年引きこもり生活をする羽目になりました」
「……」
「世の中には狂った人たちが数えきれないほど存在します。ですから、そんな人たちが攻撃してこないように力をつけることは、とても重要なことです。ですが、それより、もっと大切なことは……」
一旦話を止めて、深呼吸をする花音。
「怒りを買わないことです」
「怒りを……買わない……」
「私のお兄様は何の罪もないのに、ひどいことをされました。ましてや自分の身勝手な行動によって、相手を怒らせたら、必ず何かしらの形で自分に返ってくるか、他の人にとばっちりがかかるようになります」
「……」
「ですから、自分だけ考えるんじゃなくて、相手の立場に立って考えることはとても大事だと思います……私も全然それができてませんけど、意識することは大事です」
潤んだ目からは涙が流れているが、花音の顔には威厳があった。
実に考えさせられる言葉だ。
おそらく、今回の事件がなければ、真凜は花音の言葉を聞いて鼻で笑っていたのだろう。
真凜は思うのだ。
自分は、目の前にいる小さな子よりも幼稚で、レベルが低くて、思いやりのない人だと。
X X X
夜
病院の中
「ごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさないごめんさない……」
身体中傷だらけで目が死んでいる翔太が病室のベッドで体育座りしたまま、ごめんさないを連発している。
「許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して……」
彼は、体も心もズタズタになった。
怒り狂ったデブ男は、翔太に、色んなことをしたせいである。
DQNとしてこれまで多くの人をいじめて、カースト最上位に君臨して好き勝手やってきた葉山翔太は
自分の犯罪がバレないように先生を脅迫して、一人の男の人生を潰そうとした葉山翔太は
全ての問題を近藤樹のせいにした葉山翔太は
今、おしっこを漏らしながら震えている。
追記
翔太、本当に改心したかどうかは、後ほど明らかになります。
樹と環奈と環さんの話、してみようかな
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