第92話 敗北者に残された道は……
敗北者。
これまで数多くの男たちを手球に取ってきた真凜をキレさせた言葉である。
以前、樹のことが心配になって彼女が勤めるメイド喫茶に乗り込んだ啓介と花音のことを真凜は今回の炎上騒ぎでよく知ることができた。
彼がファンタジアの原作者であること。
花音が声優さんであること。
真凜は樹へのアプローチを邪魔した啓介を軽蔑していた。
だが、後ろにいる人は、自分と住む次元が違うすごい人だった。自分も学校一の美少女ではあるが、啓介の凄さを前にしたら、自分が今まで築いてきたものは実に儚く見窄らしい。
それを隠すべく、真凜は後ろを振り向くことをせず、口だけ動かす。
「私を冷やかしにきたわけ?」
「うん。冷やかしにきた」
啓介はとても冷たい声で言う。
「めっちゃ趣味悪いじゃん」
「僕を冷やかした君は冷やかされて当然。それに僕の言葉は成就した。だから、君は嘲笑われて当然。苦しんで当たり前」
「っ!」
言葉の成就。
真凜は、メイド喫茶で啓介と話した時のことを思い浮かべる。
『君のそのやり方は、破滅しかもたらさない。今はうまくいけているように見えても、後で、必ずダメになる。足掻けば足掻くほど、虚しくなるだけだ。この敗北者』(56話参照)
啓介の言葉はメイド喫茶の時も、今も、悪意なんか全くなく、ただただ事実を淡々と述べるような印象だった。
いっそのこと、DQNみたいに思いっきり煽ったり、罵ったりしてくれたら、こいつも所詮しょーもない人間だなと気が楽になれたはずなのに、冷静な彼の声を聞くと、なんだか余計に悔しかった。
これまで、自分が上だと思っていたのに、この根暗男の掌の上で踊らされた気分を味わう真凜は、涙を流す。
「うう……うえええええ……」
真凜はとてもプライドが高い女の子だが、さっきの件もあり、自分が今まで見下してきた啓介からも現実を突きつけられたため、急に感情が込み上げてきたわけである。
なので、真凜は啓介を背に泣き続ける。
女の涙。
男ならこのパワーワードに心が弱くなる生き物だが、啓介の青い目は揺るがない。
泣いている真凜を見て、啓介は鼻で笑って口を開く。
「君の思い通りに行かないから悔しいんだね」
「っ!!!」
これまで、いろんな男たちを見てきたし付き合ってきた。その人たちは例外なくものすごいイケメンで、彼らは自分の身体を貪りたいという視線を送ってきた。
自分とやるために甘い言葉を吐き、自分がもし泣いてるフリをしたら、真っ先に慰めの言葉をかけてくれた。
もちろん、真凜は男の心理をよく理解しているので、そんな連中の甘言には騙されず、樹に会うまではずっと処女だった。
だけど、この男は根暗なのに、冴えない感じの陰キャなのに、
自分を知り尽くしている。
だから、もう隠しても無駄だと、誤魔化していい状況でもないと踏んだ真凜は、
後ろにいる冴えない陰キャに自分の本心をぶつけることにした。
「そうよ。私……悔しいんだ。環奈ちゃんと別の学校通うようになってから、何もかもがうまくいって……学校一の美少女だと認められて、全部ほしいものが手に入ったのに……今回は全然ダメだったの!だからそれが悔しくて……悔しくて泣いたの!!自分のことしか考えないから泣いたのよ!!」
開き直る真凜。
だが、涙で顔がめちゃくちゃになったので、決して後ろを振り向かない。
結構大声で言われたにも関わらず、啓介は微動だにしない。
「素直でいいね」
啓介が少し目を細めて、興奮気味の真凜の背中を見つめる。
だが、真凜は、
「私……全然樹っちの気持ちを察してあげられなかったの。今回の炎上騒ぎがなければ、私の兄貴が樹っちたちをいじめていることも、なぜ樹っちが兄貴をぶん殴ったのかも、わかんなかったと思う。だから、私は環奈ちゃんに負けた。負けて当然よ。これまで、他の男と同じく樹っちを道具として見てきたら、樹っちがどんな問題を抱えているのか、どんな心の傷を持っているのかも全然気づけなかった。悔しいけど、あんたの言う通りだわ……私は敗北者よ」
「おお……」
想定外のことを言う彼女に啓介は目を丸くして、口を半開きにする。
「樹っちと環奈ちゃんに謝罪したかった。今まで自分が取ってきた態度によって、二人に迷惑がかかったから……でも……さっき、みんなと樹っちが玄関で話してるところを偶然見かけたの。樹っちのために頑張ったみんなの姿を見ると、私には謝る資格すらもないんだなって……」
といって、唇を噛み締めては、握り拳を作る真凜。
「……」
啓介の顔は少し暗くなった。
そこへ、真凜が後ろを振り向くために足を動かしながら言う。
「だから……あんたは敗北者で失敗者の私を嘲笑って、樹っちのところに行けばいいのよっ……っ!!!!!!!」
真凜は呆気に取られてつい声を引き攣らせた。
自分の前に立っているのは、
今まで見てきた根暗の啓介ではなく、
垢抜けして、モデル顔負けのイケメンになった啓介だから。
スプレーなどで整えられた青い髪に、小さい顔。そして端正な目鼻立ちに、全てを反射するほど透き通った青い瞳。真っ白な肌は自分の小麦色の肌とは対照的で、非現実的な雰囲気を醸し出していた。
服も雑誌のモデルが着ていそうな服を身に纏っているので、繁華街に行けば、絶対逆ナンされまくりなんだろう。
そういう感想を心の中で漏らす真凜に向かって、啓介は近づく。
戸惑う真凜だが、彼女の足は動かない。
彼女のすぐ近くに接近した啓介は、ため息をついてから、口を開く。
「敗北者に残された道は奴隷しかない」
「ど、奴隷?」
慣れない単語を聞いて驚愕する真凜は視線で続きを促す。
「そう。君には奴隷がお似合い」
「い、意味がわかんない……」
「女性版葉山翔太のような人生を歩みたい?」
「それは嫌!絶対!ぜっっっっっっったい嫌!」
「でも、いくら美人でも、アバスレのクソビッチなら、所詮ゴリラみたいな野蛮なDQNの奴隷になると相場は決まっている……これは、絶対避けられない運命……あるいは葉山くんみたいに生きていくんだったら、結婚したとしても、いずれ他の男と浮気して不倫して離婚してバツイチになる展開しかない」
啓介は残念そうにため息をついて、真凜を見つめる。
彼女は、そんな彼の態度が気に入らないのか、急に目力を込めて反論する。
「何がアバスレのクソビッチよ!私は樹と会うまでは処女だっ……私、言ってんの!」
頭を抱える真凜に啓介は体をひくつかせた。
「っ!!!樹とヤる前は……しょ、処女だったと……」
「……そうよ……悪い?」
「おお……つまり……樹以外の男の身体を知らない女の子……樹としかやってない女の子……おおおお……これは……樹には彼女がいるから……問題なし……」
「ちょ、ちょっと……何よ?目が怖いんだけど……」
興奮気味の啓介にドン引きする真凜。
啓介はそんな彼女の手を握って照れながら嬉しそうに言う。
「合格」
「え?」
「君、僕の奴隷になりなさい」
「何を……」
続きを視線で問う真凜に啓介は急に真顔になって答える。
「強要はしない。嫌なら僕は樹くんのところにいく。そして君が僕と会うことは二度とない」
そう言い捨てるように言って、啓介は真凜の手を離した。
真凜は固まったまま、イケメンになった啓介の顔を見る。
すると、彼はいきなり真凜を見下すような視線を送り、踵を返して歩き出す。
「さようなら」
「ちょ、ちょっと!考える時間を……」
だが、啓介は迷いなく、近藤家目掛けて歩き出す。
繰り返し言うが、今まで真凜は啓介を見下してきた。
あんな根暗な男は世の中に溢れかえっており、メイド喫茶で金を払わないと自分と会う機会すらないと、鼻で笑いながら啓介を自分の下だと思い込んでいた。
だけど、
そんな彼がイケメンになり、自分の心を見透かし、屈辱を与えた。自分の涙に対しても微動だにせず、むしろ泣いてる自分の醜いところをピンポイントで刺激した。
そして、アバスレだのクソビッチだの合格だの、自分が不愉快な思いをするような言葉を連発して、値踏みした。
最後には、奴隷になれと。
これはあり得ない。
自分の尊厳をこんなに踏み躙るなんて……
自分が一体どれだけの男をたぶらかしてきたのか。持て囃されてきたか。ふとそんなプライドが真凜を躊躇わせたが、彼女は思うのだ。
この機会を逃したら、自分は本当に兄貴のような人生を送る羽目になるのではないか。
このまま自分が大人になったら、啓介が言ったように本当にアバスレのクソビッチになって、なんの能力もない状態で敗北者のまま生きていくことになるのではないか。
もちろん、今の真凜は学校一と言われるほど美人で、毎日告白も受けまくりだ。
しかし、こんなことがいつまで続くのか。
啓介の言葉を聞いて、ふとそんな不安が渦巻いてきた。
だから彼女は、
今まで自分が築いてきた全てを否定して言うのだ。
「なればいいでしょ!なれば!」
真凜の叫びを聞いた啓介は止まって後ろを振り向いて言う。
「もう遅い」
「なっ!」
啓介はそう言ってまた踵を返そうとする。
だが、真凜は悔しそうな顔で頭を下げてきた。
「ごめんさない。私をあんたの奴隷にしてください……」
さっきまでの真凜とは思えぬほど、下手に出る彼女に、啓介は驚く。
彼は、いまだに頭を下げたままの真凜へと近づき、口を開く。
「近くの喫茶店に行こう。樹くんたちを邪魔したらダメだから」
「うん……」
追記
不愉快な展開はないからご安心を
もう一度言う
不愉快な展開はない
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