第75話 電話の意味
マリリンこと真凜からかかってきた電話に、弛緩した筋肉はあっという間に引き締まる。
こんな夜中にかけてくる理由はなんだろう。何か企みがあるのではないのかと、色々勘繰ってしましそうになるが、携帯は相変わらず鳴り続けていた。
まあ、直接確認しない限り何もわからずじまいだからとりあえず出ることにしよう。
「もしもし」
『樹っち、元気?』
「ああ。俺は元気。そういう真凜こそ元気か?」
『私はね……正直に言って樹っちがいなくてめっちゃ寂しかった』
もっと冷たい声音で俺をあしらうとばかり思っていたのだが、聞こえたのは、真凜の反省の色がこもっている声色だった。
「あの時は悪かった。追い出してしまって」
『ううん。樹っちのいう通り、あの時の私は冷静じゃなかったし、もしずっと樹っちの家にいたら、環奈ちゃんとめっちゃ争ったと思うから。むしろありがとう』
とりあえず、あの件に関してはお互い蟠りはないようだ。
俺は胸を撫で下ろして、安心したように落ち着いた口調で訊ねる。
「それより、こんな夜中、なんの用?」
俺の問いかけに真凜は若干間をおいて答える。
『……私、樹にひどい事言って……やっぱり、私は樹の彼女には向いてないかもしれないね』
「真凜……」
『だから私、諦めようと思うんだ』
彼女の声には力がなく、震えている。
心なしか俺の心が痛くなる感じがしてきた。
『でも、私、樹っちとの思い出が欲しいな。それがあれば、私、二人のこと応援できる気がするよ』
「思い出か」
そういえば、俺は真凜との間に思い出らしき思い出はあまり存在しない。真凜と関係を持ってからは、修羅場展開尽くしだったな。
もちろん、俺は環奈の彼氏だから、環奈を盾に彼女の提案を断ることだってできる。
だけど、
ここで彼女の機嫌を損ねるような言葉を言ってしまえば、危険なシチュエーションが訪れる可能性が高い。
真凜は俺と環奈が付き合っていて、関係を持っていることまで知っている。それをまだ兄である葉山には言ってないはずだ。
相手を怒らせて得られるメリットは何もない。
だから、なるべく円満な別れ方をした方が、俺、環奈、真凜、葉山にとっていいだろう。
真凜がどんな思い出を望んでいるのかはまだ分からない。かといって断るのはもってのほかだ。
俺が頭を働かせているせいで、返事できずにいると、真凜は痺れを切らしたように口を開いた。
『兄貴はね、今何が起こっているのか、全然わかんないんだよね。本当にバカだわ』
なぜ葉山の話をするんだろう。
理由は簡単だ。
自分の提案を断ると、チクるということをチラつかせているわけだ。
「わかった。いつにする?」
『今週の金曜日がいいわ。場所と時間は後で連絡するから』
「わかった」
『ありがとう。やっぱり樹は最高!あ、でも、この話は環奈ちゃんには内緒ね。環奈ちゃんが知ったら、絶対大騒ぎになるから』
「ああ」
『おやすみ〜』
「おやすみ」
真凜は軽い感じで鼻歌を歌いながら電話を切った。
すると、また静寂が訪れ、神崎家にいるという実感が再び湧いてくる。
「はあ……」
これを機に真凜と距離をおいて、環奈とより深い関係を築くことができれば願ったり叶ったりだ。
だけど、相手は葉山の妹である。
頭がごっちゃ混ぜになる気分だ。
これまで、ずっと俺と環奈の関係をひた隠しにしてきた。学と啓介、三上、立崎にはバレてしまったが、彼ら彼女らは口外するような人ではない。
形状し難い感情が芽生えてくる。
なんで、俺は環奈と恋人関係であることを隠しているんだろう。
主な原因は葉山だが、
俺は葉山より背も高いし力も持っている。
本当に馬鹿馬鹿しい。
いっそのこと、俺と環奈が激しく交わっている姿を見せつけてやったら、やつはどんな顔をするんだろう。
そのことを考えるとひとりでに口角が上がった。
そして思うのだ。
葉山のやつ、いなくなればいいのに、と。
俺の人生において邪魔しかしない、放射能廃棄物め。
お前さえいなければ、俺はこんな苦労してない。
X X X
真凜side
樹と携帯越しに話した真凜はとても上機嫌である。
ベッドで寝巻き姿のまま横になっている彼女は、暖色の光を放つスタンドライトが置かれいる机の方へと向かった。
そこには、ゴムとハサミがおいてある。
「そうね……環奈ちゃんを応援してあげなくちゃ」
そう呟き、椅子に座って、ゴムをパッケージから取り出す真凜。
彼女は早速、ゴムの先っちょをつまんで、それをハサミでなんの躊躇いもなく少し切った。
傷が少し入っただけで遠いところから見れば、新品と見分けがつかない。
ほくそ笑む真凜は、携帯を立ち上げ、カレンダを開いた。そこには金曜日の日程が記されている。
『排卵日+3』
「環奈ちゃん、頑張りなよ。ふふふ」
そう言って真凜は自分のお腹を優しくさする。
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