第72話 環奈は物足りない
俺は環さんの部屋でスーツに着替えた。
「サイズ教えた覚え全然ないけど、ピッタリだな……」
大きな鏡に写っている自分のスーツ姿を見ながら感嘆する俺はつい、なぜ環さんがジャストサイズのスーツを用意できたか納得してしまった。
「いっぱい見てるもんな……」
俺が苦笑いをしてから部屋を出ようとすると、机の片隅に小さな写真立てが置かれていることに気がついた。
ここは環さんの部屋。
環さんはここで仕事をすることも多い。彼女に財布やノートパソコンなどを持ってきてくれと頼まれて数回入ったことが全部だ。
いずれも環さんのプライバシーに関わるのでなるべく周りを見ないようにしていたが、今回はゆっくりと着替えたことで自然と目に入った形となった。
俺は無意識のうちに、机のところに行って、その写真立ての中の写真を見てみる。
そこには
幼い頃の環奈と環さんとあるイケメン男性が写っていた。顔から察するに環奈のお父さんだろう。
遊園地みたいなところで撮ったと見られるこの写真の中の3人は実に幸せそうに笑っている。
「ふふ」
俺は不覚にも小さな笑みをこぼしてしまった。
この笑いは決してこのお父さんを嘲笑うものではない。
どっちかというと、感謝の気持ちがこもった微笑である。
病死するまであの美しい二人を守ってきてくれたことへの尊敬。
そして、俺がちゃんと責任をもって環奈と環さんを守るという意味を込めた微笑み。
環奈と彼女を産んだ環さんがこの写真のように毎日明るくなれるようにもっと頑張っていきたい。
なので、俺は掌より小さい写真立てに向けてサムズアップしてから部屋を出た。
すると、ドアの前には薄い水玉色のパーティードレスに着替えた環奈が立っていた。
俺と環奈は関わってからまだ日が浅い。
だが、その短い期間に、環奈の顔と身体がだいぶ変わったように思えるほど、女の匂いを放っている。
おそらく制服姿ではないから、俺の勘違いかも知れないが、環奈は昔とは漂わせる雰囲気が違う気がしてきた。
改めて思う。
環奈は俺の彼女で本当に幸せだ。
俺は、彼女に向かって感想を伝える。
「綺麗だよ。環奈」
「……ありがとう。樹こそ……っ!」
「?」
褒めたつもりが、環奈は俺に何か言いたいことでもあるのか、恥ずかしがりながら俺と目を合わせないようにする。
「スーツ姿……めっちゃいいかも……」
俺が環奈の姿を美しいと思うように環奈もまた俺のスーツ姿をだいぶ気に入ったようだ。
それみ、環奈の色白な生足が震えるほどに。
俺は口の端を少し上げ、悪戯っぽく言う。
「調子でも悪いのか?なんで足、震えてるの?」
「……い、いや。私は全然平気よ」
「そういうふうには見えないけどな」
そう言って俺は、環奈の額に手を当て、熱を測るフリをした。俺は無表情で環奈の反応を観察した。
案の定、
トロ顔だな。
「環奈」
「う、うん!」
「また言いたいこと、あるんじゃない?」
「……」
「言っていいから」
「……樹、モデルみたいに格好いい……背も大きいし、全てが私好みで……スーツの下には形のいい筋肉があって……おそらく他の人たちは分からないんでしょうね……私とお母さんしか……っ!」
俺が手を離し、環奈と微かに距離を取って彼女を全体的に見てみた。すると、環奈は顔を赤らめて両手で自分のスカートをぎゅっと握り込んで俺を切なく見つめていた。
今そんな視線を向けられると、ちょっと困る。
予定がないなら、やることは決まっているが、残念ながら今は予定がある。
なので、俺は再び環奈のところに行って、至近距離で話した。
「環奈は悪い子ね。俺よりイケメンは履いて捨てるほどいると思うけど」
俺の話を聞いた環奈はハッと我に返って目を丸くしながら返事をする。
「違うの!私は樹だから!」
必死に何かを訴えかけるように返事をする環奈に俺は隙を与えることなく彼女の唇を奪った。
「っ!!」
キスを終えた俺は、彼女の頭を撫で、優しく語りかける。
「知ってる。言ってみただけだよ。環さん待ってるし、今はそれで我慢してくれ。今はな」
「……もう!樹のバカ」
環奈はプンスカ怒り、俺の腕をぶったが、ダメージはゼロに等しい。
頬を膨らませて俺を睨む環奈だが、その視線の奥底には物足りなさがあるように思える。そして口は笑っていた。それがどういう意味なのか知らないはずがない俺は、再び彼女の唇にキスする。
俺と繋がっている環奈の表情は、とても幸せそうだ。
やはり、催眠アプリを使わなかった俺の判断は正しかった。
催眠なんかなくても、俺は自分の欲しいものを手に入れることができた。環奈もまた、こんなにも嬉しそうに俺を受け入れてくれている。
環さんの机の上にあった写真のように頑是なくはないが、これはこれで有りな気がした。
二つ目のキスを終えた俺たちは、環さんのいる玄関へと移動した。
前にも言ったが、環さんはとても感がいい類の人だ。なので、環奈の表情を見た瞬間、彼女は瞬時に顔色を変え、色気を帯びた話し方で言う。
「あら、二人ともとってもお似合いよ」
「……」
「ありがとうございます」
何も返事をしない環奈を不審に思うことなく、環さんは続けた。
「パーティーが終わった後がとても楽しみだわ……ふふ」
追記
3人の関係性をもっと細かく書きたいですね。
行動だけではダメで、そこに至るまでのストーリーの方を大切にしていきたいと思います
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