第69話 キャットファイト

 見事、環奈としているところを真凜に見られてしまった。


 気まずさがMAXに達した俺と環奈の気持ちを知ってか知らずか、真凜は堂々と俺の家に上がり込んで、リビングのソファに座った。なので、俺と環奈も真凜と話すべくいそいそと制服に着替える。


 先に着替えた俺が真凜のところに行くと、金髪髪をみょんみょんいじって不貞腐れていた彼女の視線が俺に向けられる。


 俺の家なのに針の筵に座っている感覚だ。


 まだ環奈は着替え中なので、現在リビングのソファには俺と真凜二人きりである。


 それを意識しているのか、真凜は低いトーンで、咳払いをしてから口を開いた。


「随分環奈ちゃんと仲良さげだったけど」

「……」


 腕を組んでいる彼女にねめつけられている俺は、身の毛がよだつ思いだった。


 なんせ、俺も真凜と関係を持ってしまったから。加えて、環奈と環さんとずっと一緒だったので、真凜にこまめに連絡する事も会うことすらもできなかった。


 とりあえず別の話題を切り出した方が良かろう。


 と、考えた俺は軽く息を吸ってから訊ねる。


「なんで俺の家がわかったんだ?教えてことあったっけ?」


 探りを入れるつもりで聞いてみたものの、真凜は自信満々に答える。


「昔、樹っちが教えたじゃん」

「俺が?」

「そう。何か悩みがあればいつでも来いって」

「……」


 真凜の返事を聞いた俺の頭の中では、刷り込まれた過去の近藤樹の記憶のうち、あまり思い出したくない黒歴史と呼べるべき思い出が蘇ろうとしていた。


 それは、真凜がメイド喫茶で働いて間もない頃の話。


『あははは!マリリンも何か困ることがあれば、俺に連絡してくれよ』

『う、うん……ありがとう』


 今思い返してみれば、本当にあの頃の近藤樹は一発殴ってやりたいほど痛いやつだったな。


 キモデブで歩くだけでも臭い汗の匂いを撒き散らす究極兵器のようなやつから急に住所とアインアカウントと電話番号が書かれた紙切れを渡されたら、誰しも「はあ?」って思うだろ。真凜も真凜で、携帯に俺の番号とアカウントを登録せずに住所だけ取っておいたから相当アレなんだが。


 俺が頭を抱えて深々とため息をついていると、真凜は相変わらず腕を組んだ状態で問うてきた。


「それで、最近あまり連絡がなかったのって、環奈ちゃんが原因なの?」

「……」

「何か言ったら?私とシた時のあのワイルドさって一体どこに行った?」


 眉間に皺を寄せながら睥睨する彼女に俺は俯いて口を噤んでいた。そんな俺をさらに追い詰める真凜。


「樹っちってそういう男だったのね」


 反論できなかった。


 適当にはぐらかして誤魔化すことはもちろん可能だが、そんな上っ面な会話をしている俺を環奈が見たら何を思うのだろう。


 それを考えると、なかなか口が動いてくれない。


 真っ当な人生を生きようとしたが、真凜によって現実を告げ知らせられた。


 葉山への怒りと虚しい気持ち。


 そういう負の感情が未だに尾を引いている。


 その時だった。


「そうよ。樹はそういう男だから、真凜にはもういらないわよね」


 透き通った声音で俺の彼女が真凜に向かって言ってきた。


 環奈はお茶が入っているコップ三つが置いてあるトレーを両手に持ったまま、俺と真凜のいる方へと歩いてきた。


 そしてトレーをそっとテーブルに置いては、コップを俺たちに差し出す。それから、さも当然のように俺の横に座って、青い目で真凜のエメラルド色の瞳を睨み返してきた。


「環奈ちゃん……なにそれ?ここは樹っちの家なのにあたかも我が家のように振る舞ってて」

「我が家ではないけど、の家だから」

「……やっぱり」


 と、真凜は悔しそうに唇を噛み締めて、握り拳を作った。彼女の視線からは殺気のような強い感情が見え隠れしている気がしてならないが、環奈は微動だにしなかった。


「もうこれ以上樹に近づかないで。真凜がいると、樹は不幸になる」

「……それは環奈ちゃんの勝手な思い込みでしょ?なに善人ぶってるの?キモいんだけど?」

「私がキモい?」

「そう。環奈ちゃん、見ない間に結構変わったね。悪い方向に」

「ありがとう。全部、

「っ!!!」


 環奈に含みのある言い方で言われて真凜はいきなり目をカッと見開き、立ち上がった。


 そして、一歩また一歩と環奈の方に近づいて、


 座っている環奈を襲った。


「真凜!あんな!なにを!っ!」


 覆いかぶさった真凜は下にいる環奈の濡羽色の髪を握り込んだり、大きくて柔らかい二つのマシュマロを叩いたりと、一方的に攻撃を仕掛ける。側からみれば完全にキャットファイトのように映る光景である。

 

 俺が条件反射的に二人を引っぺがそうと真凜の腕を掴もうとするが、


「邪魔するな!」

「っ!」

 

 真凜は華奢な自分の腕で俺の手を払い退けた。まるで部外者を見るかのように俺を見つめる真凜に俺の身体は固まってしまう。


 そして、真凜はまた環奈の胸を叩き続ける。


「いつも……いつもいつもいつも!私の大切なものを奪って!私、環奈ちゃんのこと、大っ嫌い!」

「……真凜、痛い!やめて!」

「私がどれだけ努力してきたかもわからないくせに……」

「……」

「なんで、私から樹っちを奪ったの?そんなに私がもがき苦しんでいる姿を見るのが好きなの?」

「真凜……」

「一体どれだけ私を苦しめば気が済むのよ!」

「真凜!!!!」


 涙を流しながら、環奈に暴力を振るう真凜。


 環奈は最初こそ相当当惑した様子であったが、次第に表情が暗くなり、


「っ!!!」


 真凜の腕をがっつり掴んで、自分が横になっている方に真凜を押し倒した。そして、環奈は真凜が自分にやったように真凜の上に覆いかぶさって


 それから




 パチッ!


 俺の彼女は横になっている真凜のほっぺたを全力で叩いた。


「っ!」

 

 泣きっ面の真凜を黙らせるには十分すぎるほどの威力だった。


 真凜は今起きていることが理解できないのか、口を半開きにして環奈をまじまじと見ている。

 

 環奈はそんな真凜に向かって語り始める。


「樹を奪う?何バカなこと言っているのかしら?」

 

 低いトーンで発せられた環奈の言葉を聞いた真凜は泣くことをやめ、消え入りそうな声音で答える。


「だって、私、樹っちに処女……あげたもん……あんなに私を強く求めたのに……」


 身体を小刻みに震えさせて環奈から目を背ける真凜。真凜の視線の先は俺に向けられていた。


 綺麗な金髪に薄い小麦色の肌と整った顔。そしてエメラルド色の目は俺の姿を切なく捉えている。


 微かに残っている良心が刺激される感覚に陥り、俺は複雑な表情で目を逸らした。


 俺に想いを寄せていた女と激しく関係を持っておきながら、俺は環奈を選んだ。


 しかも、真凜は環奈にピンタされ今や惨めな姿を晒している。さぞかし辛い思いをしていることだろう。


 そう思っている俺の耳に届いたのは、環奈の意外すぎる言葉だった。







「真凜、そんなのいいから。私は騙されないわよ」


 



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