第62話 環奈花音

 花音と啓介はずっと一緒だった。家に帰ってくると、いつも自分の部屋にこもりっきりの兄は堆く小説の本が積まれている書斎で本を読み漁っていた。


 非常に有名なゲームの原作である小説を書いた作家でもるある天才的な彼は、あの事件が起きてからは、悲劇の連鎖だった。

 

 なんとかファンタジアの続編を書かせようと躍起になっている編集者。

 

 表面上は親切を装っていたのだが、人とろくに話せない彼を見て、彼を見下すような言動を見せた。


 あの編集者だけではない。


 ファンタジアのゲーム制作において啓介も制作会社と何度か打ち合わせをしていた。


 だが、ぎこちない話し方の彼を見て、最初のうちは親切なふりをしていたが、やがて自分より下だと判断したのか、みんな自分の兄を白い目でみて、排斥しようとした。


 ファンタジアという素晴らしい世界を作り出したのは啓介なのに、制作会社の人々は、その作り主である彼を決して認めようとしなかった。


 結局花音の両親がブチギレて担当者や関係者も首がいくつか飛んだが、啓介に謝りに来たことは一人もいない。


 みんな幼い啓介の才能に嫉妬し、彼に傷を負わせたのだ。


 学校でもそう。


 中学時代、親に言われ、一度学校に行ってみたら、案の定、おどおどしている啓介を自分より下だと判断した連中がプレッシャーをかけて、結局不登校。


 啓介は他の人より繊細な人間だ。


 だから、自分を無視した編集者、ゲーム制作会社の面々、学校の連中の思惑、考え、感情は全部知り尽くしている。だが、それを本人達に伝えると、図星言われてキレることを痛いほど知っているから、彼はずっと我慢していた。逃げていた。


 そんな中で出会ったのが樹。


 今まで会ってきた人間とは根本的に違う樹の心の優しさゆえに啓介は救われた。


 だから自分も樹という男に尽くすと決めたのだ。この人間関係を維持させるために。


 花音はそういう自分の兄をずっと見てきたのだ。


 そんな中、現れたのが環奈。


 花音からして見れば、環奈という存在は、啓介の精神的支えを揺るがしかねないほど大きい。


 環奈とは初対面ではあるが、啓介からある程度どういう人間なのか、聞かされた。


 だから焦ってしまったわけである。


 環奈は優しい人だ。


 そんな彼女が、樹と親しくなり、親友である自分の兄の事をないがしろにするのではないかと。それで結局樹と自分の兄の関係が悪化すればどうなるのか。


 それを花音はずっと考えていた。


 だから環奈に向けて発した言葉には悲しみが宿っているように見える。


 花音を見て環奈が訊ねた。


「なんでそう思うの?」


 他人を傷つけまいとする優しさが込められた環奈の質問に花音は、続ける。


「今までみんな、全部そんな感じでしたので……」


 目を逸らしていう花音。環奈は自分の柔らかい巨大なマシュマロに手をそっと置く。すると、徐々に指が沈み込んでいき、ある男の姿が脳裏をよぎった。


「確かに世の中には花音ちゃんが言ったような悪い人がとても多いんだ。にも何人かいるからね」

「ほ、ほお……」

「ちょっと他人より悪目立ちしているからと言って、その人を辱めたり、いじめるのは絶対あってはならないことよ!」


 土鍋に入った肉じゃがは馥郁たる芳醇な香りを漂わせるが、まだ出来上がってない。


 花音が環奈に興味を示すと環奈はまた言葉を紡ぐ。


「でも、そういう悪い人は、実はとても弱い人だと思うんだ」

「弱い?」

「うん。他人を貶して見下したことによって自分の優位性を確立させようとするから、ちょっと可哀想な人たちかな」

「……」

「私もこれまで全然知らずに生きていたけど、樹と仲良くなってから気付かされたんだ」


 と、優しく語りかける環奈の綺麗な顔を見て、花音は目を光らせる。けど、また急に暗い顔を作り、怨嗟のこもった声音で言う。


「仮に可哀想だとしても、今までお兄様を馬鹿にしてきた人たちの悪行がなくなるわけではありません。一生私のお兄様と私の記憶の中に残り続けます」

「うん。それは当たり前よ。でも今も大事だと思うんだ」

「今?」

「樹、いつも静川くんのこと褒めてるから」

「褒める?」

「静川くんってもう彼女作れるほど良くなったから、うれしいって」

「お、お兄様に……彼女!?」

「えっ?どうしたの?花音ちゃん?」


 一瞬殺意を感じさせる視線を送り、急に真顔で語り出す花音。


「お兄様にそんな雌豚なんか一ピコメートルも必要ありませ。でも……お兄様には師匠が必要です」


 最初こそ鬼気迫る表情だったが、後ろにいくにつれて涙目になる花音。


 環奈は花音の頭を優しく撫でる。


 二人とも、制服エプロン姿なので、あたかも姉妹を連想させるほど微笑ましい光景だ。


「私は樹の彼女よ」

「……それは知ってました」

「知ってたのね……」

「見ればすぐわかりますので」

「……とにかく、樹が大切にする親友を馬鹿にするなんてそれは私自身が許さないわ」

「……」

「だから、何か有れば私にも言ってほしいの。花音ちゃんと会うのは今日が初めてだけど、細川くんについては樹から色々聞いてるから」

「環奈さん……」


 花音は感動したように目を潤ませて環奈の名前を口にした。環奈はそういう花音の姿があまりにも可愛かったので、撫で撫でする手により一層力を入れた。


 すると感極まった花音は大声でいう。


「お姉さま!!!!!!!」



「っ!!!!!!!!!!」


 ずっと一人っ子で寂しく生きていた彼女の心を刺激するパワーワードが出たことで、電気でも走っているように、身体をびくんびくんさせる環奈。


 やがて押し寄せてくる衝動に我慢できず環奈は花音を抱きしめた。花音は環奈の豊満で形の良い胸に自分の顔を埋めて安心する。


「師匠は最高です」

「うん。樹は最高よ」

「お姉さまは師匠のどういうところを最高だと思いますか?」

「それはね……っ!!!」


 環奈は思いついたらしく、身体を小刻みに震えさせ、頬を紅潮させた。


「色々……」


X X X


樹の部屋


「やべえ!花音ちゃんにバレちゃう!」


 俺は窓を開けっぱなしにして消臭剤をスプレーしまくっている。


「なんで匂い無くならないんだよ!!」


 色んなモノが入っているビニール袋は強く密封されており、俺は匂いをなくすべく忙しなく動いている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る