第61話 花音の涙

「んにゃ……やめてください……」

「あっ!ごめん!つい夢中になって……」


 長時間に及ぶ撫で撫でタイムがお気に召されなかったのか、花音は濡れそぼった猫が体を震わせるように自分の頭を思いっきり振った。こうしてみると本当に猫っぽいな。


「私はそろそろ料理作りますので……」


 俯きがちに言う花音を見て、環奈は嫌われたらどうしようと、視線を左右にやり、不安そうな面持ちをしている。


 さっき環奈が言ったように、彼女は一人っ子だ。なので、可愛い年下の女の子にどう接すればいいのかおそらく分からないだろう。


 まあ、転生前の俺も転生後の俺も一人っ子なので具体的にどうすればいいのかは正直に言って分かりかねる。


 ただ、流れに身を任せてたら、花音に懐かれたって感じだ。けど、今の花音の顔を見るに、環奈に心を許しているようには見えない。


 一つ幸いなのは、花音の鮮やかな瞳に軽蔑や嫌悪と言ったネガティブな感情は見て取れない点だ。


 だが、環奈は花音の表情が読めないのか、落ち着きのない様子で花音をチラチラ見ている。


 いつも俺に対して堂々と振る舞うくせに、自分より小さな女の子に対しては困り果てる姿を見せる彼女のギャップに思わず笑いがこぼれた。


 そんな俺を不思議に思ったのか、花音と環奈は俺を見て小首を傾げる。


「師匠、どうかされましたか?」

「ううん。なんでもない。それより、ありがとな。啓介の面倒も見てあげないといけないのに、わざわざ晩御飯を作りここまで……」

「いいえ。当然の事をしたまでです。お兄様は前と比べ物にならないほど明るくなりましたので、むしろ私の方が面倒見られる側です!」

「ふふ。そうだな。啓介って時々俺の頭では理解できん行動をするけど、面倒見はいいから」

「その理解でない行動にも深い意味がございます」


 と、俺にくっついたままニッコリ笑顔で答える花音。そんな俺たちを見つめる環奈は、



 優しく笑っていた。


 彼女の顔を見た俺は、密かに胸を撫で下ろす。すると、何か言いたいことでもあるのか、視線を泳がせつつ小声で言った。


「花音ちゃん……私も料理作るの、手伝っていい?」



X X X


かんなのんside


 今日のメニューは肉じゃがだと言われた環奈は、花音が持ってきた野菜を洗っている。


 対する花音はまな板に肉を全部落として、引き出しから長い包丁を取り出した。


 そしてそれを強く握り締め、肉に向かって猛スピードで振り下ろす。


 たっ!という軽快な音と共に二分されるお肉。


 結構大きな音だったので、環奈はビクッとなって花音の顔を見る。


 すると、生気を失った虚ろな青い目をした彼女はさらに包丁を振り下ろす。


「ふふ……うふふふふふふ……」


「……」


 花音がお肉を細切れにする姿を固唾を呑んで見つめる環。


「あの……花音ちゃん?」

「うふふふふふふふ!!あはは……はい?」

「普段もそういう風にお肉を切るの?」

「はい。いつもこんな感じです」

「……」


 シュールすぎる光景に環奈はただただ苦笑いを浮かべるよりほかなかった。


 それからは環奈は花音の指示に従い野菜をカットしたり、お湯を沸かしたりしながら忙しなく動いた。


「えっと……醤油と味醂はこれくらいで……」


 と言って慎重な表情を浮かべる花音。そんな彼女の横で顔をぴょこんと出す環奈は不思議そうに呟いた。


「花音ちゃんはお料理とても上手だね」

「……そういう環奈さんもとてもお上手です」

「え?」

「野菜の洗い方といい皮の剥き方といい、素人の動きではありませんでした」

「あはは……実は私、母子家庭でお母さん仕事で忙しいから料理とか家事全般は私がやるの」

「なるほど……」


 手に顎とやり、考え考えする花音。そんな姿もまた可愛らしく、つい見惚れてしまう環奈だった。


 考えがまとまった花音は環奈に真面目な表情で口を開く。


「やっぱり……あなたは優しいですね」

「え?私が?」

「はい。私の個人的見解に過ぎませんが、環奈さんはとてもお優しい方だと思います」

「ははは……なんか、恥ずかしい……」


 照れ臭そうに目を逸らし頬を桜色に染める環奈の姿を見る花音。


 この青い髪を持った小さな少女の表情はいつもより暗く、哀愁を漂わせていた。


「でも、あなたも、いつか私のお兄様を見下して馬鹿にするんでしょう……」


 自信なさげに言う花音の瞳と目尻には少量の涙が溜まっていた。


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