第38話 大人になること
真凜。
世の中には真凜という名前の女の子は数え切れないほどいる。そしてマリーンの言い間違いである可能性は、ないよな。
みたいなどうでもいいことを考えていると、環奈は俺の逃げ場を潰すように続ける。
「隣の高校に通っている一つ年下の金髪美少女」
「……」
間違いない。
俺の知っている真凜という女の子を特定する情報として十分すぎた。
「どうして環奈が真凜のことを知ってるんだ?」
戸惑った顔で言葉を投げかけた俺を見て、環奈は裾を離し、冷めた声で言う。
「あの子は私の幼馴染……だったの」
「え?真凜と知り合いだった!?」
「ええ。ところで、樹はあの子の事知ってて仲良くしてるの?」
「真凜の事?」
「どこまで知ってるのか、私に教えて」
環奈は真面目な顔を作り、透き通った青い目で俺を捉えた。なんか取り調べを受ける加害者になったような気がするが、彼女の眼光があまりにも鋭かったので俺は答えることにした。
「真凜とはいつも通ってる喫茶店で知り合った仲だけど、性格いいし、波長合うから親しくしてるよ……」
「性格が良くて……波長が合う……」
「環奈、どうしたんだ!?」
急に環奈は俯いて体をブルブルと震わせた。
真凜と環奈はあまり仲がよろしくないのか?
俺の中で色んな思惑が交差する中、環奈は頭を上げて、顰めっ面をしてから返答をしてくれた。
「葉山真凜」
「え?」
「葉山翔太の妹なの」
「なっ!」
俺は開いた口が塞がらなかった。
そんな俺に追い討ちをかけるべく、環奈は自分の携帯を取り出し、アインを立ち上げ、真凜のプロフィールを見せてくれた。
これによって、環奈と俺が思い浮かべている真凜という女の子が完全に同一人物であることが証明された。
過去の近藤樹をひどくイジめ、今の俺を目の敵にして見下しているあの金髪野郎の妹……
「その反応だとわかってなかったようね」
「あ、ああ。初めて知った……真凜が、あいつの妹だなんて」
ショックを受けたせいで、頭が回らなかった。
だが、環奈は畳みかけるようにまた問うてくる。
「これから真凜とどうする気?」
「どうって言われても……」
環奈は相変わらず俺を見つめている。まるで、逃げることを許さぬ狩人のようにその青い目は光っている。
その瞬間、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ごめん。待たせたわね」
元の服に着替えた環さんが俺たちの前にやってきたのだ。
よし。ナイスタイミング!
なので、俺は安堵のため息をついて、手をゆっくり上げてから口を開く。
「んじゃ、俺はそろそろ帰りますので」
「え?」
だけど、環さんは俺を逃してくれない。
「私の家に泊まってもいいわよ」
「いや、それは流石に……」
「ダメ?」
「明日、学校あるから」
「学校ない日はいいのね」
「……気をつけて帰ってください」
俺はそう言って踵を返して歩き出した。
後ろから視線を感じるが、俺はてくてくと前を向いて進んだ。
X X X
環奈side
環の車の中
後部座席に座って物憂げな表情を浮かべ深々とため息をつく黒髪の美少女。LED照明に照らされた彼女の顔は一見儚く映るが、そこには重みがあった。
車窓越しに見える夜景。現れては消え、現れては消えを無限に繰り返す建物を流し見ながら彼女は思索に耽る。
言ってしまった。
彼に言ってしまった。
真凜と一悶着あってから、ずっと自分はもどかしい感情に支配されていた。けれど、彼に真凜のことを打ち明けたことで、スッキリすることができた。
まるで、水道管に詰まっていたゴミが一気に洗い流された感覚と言うべきか。
彼は翔太のことを毛嫌いしている。だから、真凜と彼がもっと仲良くなったとしても、翔太という最大の障害物が立ちはだかることになるだろう。
もっとも、自分が指摘しなくても、いずれ、翔太に二人の関係がバレるのは時間の問題だ。
だけど、言うしかなかった。
早く伝えて、樹と真凜がそういう関係にならないように手を打ちたかった。
環奈は、ジムで体を鍛えている彼を見て、ずっと思い悩んでいた。
樹がプッシュアップや他の運動をしている間、ジムの女たちが物欲しそうに彼の恵まれた身体を見ていた。
あの視線は、ただ単に憧れの視線ではなく、何かを欲しがる原初的本能に起因するものだった。
近藤樹という男はそれほど素敵で、女の心を満たすことのできる人間だ。
現に、環奈も彼のそういう魅力を知り、毎晩毎晩悶々としている。
だから、真凜が彼を放っておく訳が無い。
真凜が通っている学校で週に何回も告白を受けるほどの美少女であることは昔からよく知っている。
それに、
『性格いいし、波長合うから親しくしてるよ……』
「……」
彼の言葉を思い出すたびに、心が張り裂けそうに痛い。締め付けるように苦しい。
そんな環奈に襲いかかるのは
得体の知れぬ罪悪感。
彼を奪われるのが死んでも嫌で、今までずっと時間を共にしていた幼馴染の弱点をなんの躊躇いもなく言ってしまった。
自分がこんな醜い人間だったのかと、うちなる自分がずっと問いかけてくるみたいで、環奈は顔を歪める。
スッキリした感覚と罪悪感による苦しさ。
相反する二つの感情が入り混じった環奈のいつもと違う美しい顔。
「環奈、どうかしたの?」
ルームミラーに映る自分の愛娘の変化を素早く察知した環が運転しながら訊ねた。
だけど、環奈は何も言わない。気になった環は優しく笑んでまた口を開く。
「私は環奈の母よ。仕事があるからずっと一緒にはいてあげられないけど、ここで話を聞いて助けることはできるの」
そう。今頼れる相手は母しかいない。
いつもなら真っ先に樹の顔が出てくると思うが、彼女がこんなにヤキモキする原因となるのが彼だから、今回は自分がなんとかしないといけいないと思う環奈であった。
「私……自分のことがちょっと嫌になった」
「ふん〜何かあったのね」
「……何かあったってよりは、自分の嫌な部分が見えてきたって言った方が正しいかな?」
「そうか……」
「うん」
環は渋い顔でハンドルを握っている手に力をもっと入れる。だが、やがて、悟ったような顔で、言葉を紡いだ。
「人間、もともとそんな生き物よ。そういうところを受け入れて進んで行く人を私たちは大人って呼ぶの」
「なるほど……」
「ところで、どうして自分の嫌なところが見えてたの?きっかけがあったでしょ?」
「きっかけね……」
環から聞かれた環奈は思いを巡らしてみる。
自分が嫌になった理由。
きっかけになった人。
『環奈、男の前でそんな顔は見せちゃダメだよ』
『っ!!!!!!!!!』
やっぱりあの場面しか出てこない。
『なんで、ダメなの?』
『……知らないのか?』
『うん……私、知らない。なんで?』
何も知らない自分に新しい世界を教えてくれた男。
何も知らない……
それすらも言い訳ではなかろうか。
処女であることは事実だが、あの時の私は……
だとしたら、彼は、
新しい世界を教えてくれたわけじゃなく、
樹しか押せない自分の心のスイッチを押しだだけではなかろうか。
それを思うと、体がむずむずする。
「っ!」
環はそんな自分の娘をよく見ていた。
「環奈」
「う、うん!」
「私は、ずっと環奈の見方よ。ふふっ」
色気のある顔から放たれた環の言葉が、意外と環奈の心に落ち着きをもたらしてくれた。
なので、環奈は巨のつく自分の大きい胸にそっと手をのせて安堵のため息をついた。
「ありがとう……」
言葉だけ聞くとウブだが、彼女の顔は、すでに恋をする女だった。
X X X
葉山家
真凜の部屋
寝巻き姿の真凜は、小悪魔っぽく笑いながら、樹にメッセージを送った。
『兄貴の服、いつ返してくれる?』
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