第17話 前途多難

 どうしたものかと顔を引き攣らせていると、環さんがにっこりと微笑み浮かべ、口を開けた。


「あなたが樹くんね……」

「は、はい。初めまして、近藤樹です」

「私はよ。私の娘を助けてくれたと聞いたわ。本当にありがとう」

「い、いいえ。こちらこそ、同じクラスの神崎さんにはいつも助けられています……」

「ふふ……助けるのはとても大事よね」

「っ!」

「とりあえず入って」

「は、はい。失礼します」


 環奈は俺たちを交互に見て嬉しそうにしているが、環さんはの笑顔には棘があるように思えるほど鋭い。


 身の毛がよだつ思いをしている俺の鼻をくすぐるのは、食欲をそそる肉じゃがの匂いだった。

  

 キッチンに通された俺は環奈が作った肉じゃがとお惣菜などが用意されたテーブルに案内され椅子に座る。


「ご飯どれぐらいいる?」

「……大盛りで」

「お母さんは?」

「私はいつも通りでいいの」


 環奈はご飯茶碗にあつあつのご飯を、茶碗には味噌汁を入れ、俺たちに渡した。


 俺だけ器が大きいが、おそらくお客用だろうか。


 口ずさみながら椅子に座る環奈を見て、環さんが興味ありげに訪ねた。


「環奈、樹くんが来てくれたことがそんなに嬉しい?」

「え!?い、いや……べ、別に……ただ、こういうの久しぶりだったから」

 

 環奈は視線をあっちこっちにやって、戸惑いながら返事をする。そんな自分の娘の表情を見て、環さんはこともなげに言う。


「そうね、翔太も最近こないし」

「っ!」


 俺はあの(葉山)翔太という名前を聞いた途端、体をひくつかせた。


「お母さん!なんでそこで翔太が出てくるのよ!」


 環奈は自分の母に向かった抗議するように捲し立てた。それから、俺をチラチラ見ながら顔色を窺っている。


 そうか。


 あいつは最近までこの家に来て、環奈が作ってくれる美味しい料理をずっと食べたということか。


 まあ、幼馴染だからしょうがない。


 別に、あいつが環奈を襲ったり、良からぬことをしたわけじゃないから、彼を咎める理由はない。


 だが、

 

 俺の手は微かに震えていた。


 おそらくこのデッカい茶碗も葉山が使ったりして。


「あら、樹くん、どうした?」


 環さんが心配そうに俺に問うた。


「い、いいえ。なんでもないです。それより美味しそうですね」


 俺は作り笑いを浮かべて、適当にはぐらかすと、環さんはその鮮やかな青い瞳を動かすことなく、俺を凝視した。


「さ!食べて食べて!」


 環奈は両手を広げて朗らかな声音で言った。


 なので、俺は環さんから目を逸らして合掌する。


「いただきます」


 それぞれいただきますを言ってから、俺たちを食事を始めた。


 結論から言うと、俺は環奈が作った全ての料理を食べ尽くした。味はもちろん美味しかったが、それ以上に、心のモヤモヤを忘れるためにひたすら食べることに集中した。


 二人はそんな俺のことをもの珍しく見つめては目をパチパチさせた。


「ごちそうさまでした」


 食後には色んな話をした。


 環さんの本名は神崎環で、仕事の都合上、旧姓を名乗っているという。


 環さんはちゃんと俺に合わせてくれて、幸いなことに環奈に怪しまれず済みそうだ。


 驚いたのは、環さんは夫を亡くしてからずっと未亡人であり、女手一つで環奈を育てたという。彼女はファッション業界で働いていると言っていたが、こんな大きな一戸建てで暮らしているわけだから、おそらく相当な能力者だろう。


 ソファーで寛ぎながら談話している俺たち3人。


 だが、この平和に亀裂が生じた。


「私、ちょっとトイレに行ってくるね」

 

 と環奈が言って、立ち上がり、タタタっと小走りに走る。


 取り残された俺たち二人。


 動揺せざるを得ない状況だ。なので、向かい側のソファーに座っている環さんをチラ見してみた。

 

 彼女は腕を組んで俺にジト目を向けていた。こうして見ると、結構似ているな……


「ふん〜まさか、環奈と知り合いだったなんて」

「……俺もびっくりしました」

「これからどうする気?」

「いやどうも何も……」


 俺は視線を逸らして後ろ髪を引っ掻く。そんな俺を環さんは逃してくれなかった。


「環奈はね、私の一人しかいない大切な娘よ。だから幸せになってほしいの」


 まあ、言いたいことは痛いほど分かる。


「安心してください。俺と環奈は健全な関係を築いていますので」

 

 だが、環さんは俺をあまり信用してない様子だ。


「私にしといてよく言うね」

「……」


 返す言葉もない!


 ここで「こんなの初めて〜を連発した人に言われたくありません」とか返したら完全にアウトだな。


 俺が冷や汗をかいていると、環さんが急に不安そうな表情を向け、試すような口調で俺に警告する。


「言っとくけど、私の環奈に勝手に手出して、悲しませたら、許さないわよ」


 彼女に言われた俺は顔を俯かせた。


 これまで葉山と環奈と関わらないようにするために、俺は努力してきた。本来、この世界での俺の立ち位置は、環奈に催眠をかけて思いっきり寝取るキモデブの竿役。そんな悲劇を避けるために、学と啓介と一緒にイメチェンしたのに……

 

 そのことを思うと、俺は居ても立っても居られなくなり、気がついたら、向かい側のソファーに座っている環さんに近づき、彼女の肩を俺の右手でガッツリ掴んでいた。


「俺が……そんなことするわけねーだろ!」

「っ!」


 俺の突然すぎる行動に彼女は口をポカンと開けたまま、俺の瞳を無言で見つめる。


 彼女のフェロモンが俺の鼻を刺激した頃には俺はハッと我に返って、彼女の肩を解放してあげた。


「す、すみせん。つい……」


 俺が申し訳なさそうに頭を少し下げると、彼女は自分の肩に目をすっと見て、俺から視線を外してから口を開ける。


「ふん〜子供っぽいところもあるのね」

「え?」


 表情は見えないが、頬はほんのり桜色を帯びている。


 どういう意味だろう。


 そう考えていると、後ろから聞き慣れた声が俺の耳に入った。


「二人とも……何してる?」


「「っ!!」」


 トイレから戻った環奈が俺たちがくっついている姿を見て、怪訝そうな表情で訪ねてきたのだ。


「こ、これは……」

「私、ちょっと仕事で疲れてよろよろしていたけど、樹くんが助けてくれたの!」

「そ、そう?」


 環さんは手をブンブン振って、自分の娘に向かって弁明した。


 環さん、すみません。


「もう夜遅いし、俺、そろそろ帰る」

「もう帰るの!?」

「明日学校あるしな」


X X X


「今日は本当に疲れた……」


 環奈をチャラいナンパ男から守ったと言うことでご馳走になったが、なんでこんなにも疲労困憊するのだろう。


 長くため息をついた俺は、帰り際に環さんが発した言葉を思い返してみる。


『これからも環奈のことよろしくね』


 少なくとも敵意を向けられてはいないようで、明日もいつものように振る舞うことができそうだ。


 でも……


「前途多難だな」


X X X

 

神崎環奈side


 樹を玄関まで送った母娘は、家に戻るべく踵を返そうとする。


 が、


「ねえ、お母さん」


 娘に呼び止められて、「ん?」と小首を傾げる母。視線だけで続きを促すと、環奈が意味あり気に口を開いた。


「樹と何があったのか私に全部言ってちょうだい」

「えっ!」

って何のこと?」

「っ!!!!!」


 娘の勘は鋭かった。


 最初から二人の言動が怪しいことに気が付き、トイレに行くフリをしたのだ。


「もしかしてここのところずっとニコニコしてたのと何か関係ある?」


 



 

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