第6話 彼女は楽しみにしている

 オシャレな格好の神崎が発した言葉が俺の耳に入った瞬間、俺の体は固まってしまった。

  

 神崎にとって俺は単なる同じクラスのキモデブに過ぎないが、彼女は間違いなく俺の名前を口にしたのだ。


 なので、俺は再び踵を返し、神崎に向き直る。


「よ、よ……久しぶりだね……」


 俺はちょっと照れ臭そうに後ろ髪をガシガシしながら視線をずらして返事した。


「驚いたわ……本当に近藤くんだなんて……クラスの皆んなが知ったらすごくびっくりすると思うの」


 彼女は目を丸くして口を半開きにしつつ俺を穴が開くほど見つめている。


 それにしてもおかしい。


 学と啓介は、クラスのみんなは変わりすぎた俺があのキモデブの近藤樹であると気づくはずがないと公言した。なのに、彼女は俺が誰なのかはっきりとわかっているようである。


 ちょっと気になるな。


「あの、神崎、一つ聞いていいか?」

「うん?なに?」

「神崎はどうやって俺が近藤樹だと知ったんだ?昔の俺と今の俺って全く別人だと親にも言われたくらいだけど」

「ん……なんでかな?」


 俺に聞かれた神崎は頤に手をやり思案顔でしばし考える。そして、何か思いついたのか、ハッと目を見開いて話す。


「なんとなく……かな」

「え?何それ?」

「確かに、今の近藤くんってすっごく変わってて、別人だと言ったら信じちゃうかもしれないけど……でも、今の近藤くんの目を見ると、なぜか、いつもの近藤くんが浮かんでくるというか……」

「それはつまり、キモデブとしての俺の面影がまだ残っているということか……」

「い、いや!違うの!全然そうじゃなくて、今の近藤くんすごくイケメンで格好良いいから!」

「お、おう……格好いいか」

「今のは違くて!いや、違わなくて……」

「どっちだよ」

「うう……」


 神崎は目を潤ませて困り顔でため息をついた。なんだか子供っぽくてかわいいな。体は全然子供じゃないけど。


 向かい合っている俺たちに数秒間の静寂が流れた。彼女はポケットから携帯を取り出しては、電源の入ってない画面に視線をやってまた深くため息をついた。


 錯綜とした表情、そしてオシャレな格好。


 ふむ。これはそろそろお暇させていただくタイミングだな。


 俺は意を決したよう彼女を見て口を開く。


「あの」

「あの」


 俺と神崎の声が完全にはもってしまった。


「近藤くん、お先にどうぞ」

「いや神崎から」

「ううん、近藤くんからね」

「……俺、用事あるからそろそろ」

「え?行っちゃうの?」

「ああ」

「ごめん、時間取らせちゃって……この恩いつか返すから」

「気にすんな。んじゃ」

「うん。また学校でね!近藤くん」


 と、神崎は手を振った。そして微笑みを俺に向けてかけてくる。この前、落ちた消しゴムを俺から受け取った時に見せた笑顔をまた彼女は見せたのだ。


 いくら、こいつと葉山には関わらないようにしていても、この心が温まる気持ちは否定されるべきではないと思う。


 俺は微かに口角を吊り上げて靴屋へと向かった。


X X X


 夜


 近藤から別れてから神崎は真っ直ぐ自分の家に帰って、学校に行くための準備をした。鞄に教科書や鉛筆箱などを入れてから、シャワーを浴びて寝巻き姿でベッドに横たわる神崎。

 

 彼女の頬はほんのり赤く染まっている。湯上がりによるものではなく、残暑によるものでもない。


 近藤に出会ってからずっとこの状態である。


 ずっとクラスの生徒たちからひどいイジメを受けていたあのキモデブと呼ばれる近藤樹がイケメンになって自分の前に現れた。


「はあ……」


 神崎は深く息を吐いた。


 クラスにいるほとんどの人が近藤に対して良からぬ感情を抱いている。特に彼女の幼馴染である葉山は近藤のことを毛嫌いしていると言っていいほど嫌悪しているのだ。

 

 消しゴムを拾ってくれた近藤のいいところを葉山に言っても「そんなクズどうでもいい」とか「絡んできたら俺がボコボコにする」とかひどいことを言ってきた。


 憎悪、嫌悪、固定観念、などなど。そこへ集団心理が加わることによってよりエスカレートしていく。

 

 だけど、神崎はそんな良からぬ感情を近藤にぶつけたことはなく、憐れむべき対象として見ていた。


 だからこそ、変わった近藤を見た時はすごく嬉しかった。


 気持ちを感じずに彼と接することができた事に感謝しながら、今日起きたことを思い返してみる。


 すると、突然携帯が鳴った。


 彼女は素早く携帯の画面を見る。幼馴染である葉山からメッセージが来ていた。


『今日は本当にごめん。せっかくのデートだったのに……風邪にかかった俺の体を恨みたい気分だ』


 葉山からのメッセージに目を通した神崎は、一瞬顔を歪ませた。だが、やがてにっこりと笑顔を浮かべて返事をする。


『ううん。気にしなくていいよ。ちゃんと体に気をつけてね』

『病院行ったけど、薬飲んだら明日学校行ってもいいって言われたから、また学校で会おうね』


 神崎は、葉山のメッセージを見てから、無表情でアプリ専用のスタンプを送った。


「スタンプ(バイバイ)」

 

 手を振っているかわいい猫のスタンプ。その猫は悪戯っぽく笑っていた。


 彼女は携帯を手放して、今日起きた出来事をまた思い返した。


 葉山は熱を出して待ち合わせ時間まで寝込んでいたため、待ちぼうけを食らってしまった。


 落胆していたところ、変なナンパ男に絡まれて最悪な気分を味わっていたが、大変身を遂げた近藤がやってきて、自分を守って救ってくれた。


 近藤はあの時、一見なんの変哲もない服装をしていたが、ナンパ男を取り押さえた時の彼はとても格好よかったと神崎は思う。


 白いTシャツを破るのではないかと心配になるほど立派な筋肉に、端正な目鼻立ち。やや高校生離れした高い身長。


 そして……



『体は大丈夫か?』

『は、はい!お陰様で』


『よかった』


『よかった』







『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』『よかった』





 笑顔の彼が発した言葉がずっと彼女の心の中で木霊した。

 

 それと同時に、彼女の頭に電気が走り、胸、腰を伝い、に集まる。そして、まだ成熟していないフェロモンが神崎の部屋を徐々に満たしていく。だが、彼女はまだ自分の体の変化に気づいてない様子であった。



「ふふ、明日の学校、楽しみだね」



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