第8話 鹿怖い
三月になったのでそろそろキャンプをしたい。というかしたかった。
先日恵に話した静岡のキャンプ場に行くのはどうだろう。うまくいけばダイヤモンド富士が見られる。
だが、聖地巡礼というのは大分一般の人にも定着してきて、今回のキャンプでもそういった人がそれなりにいてもおかしくないだろう。
「ここは先輩にアドバイスをもらおう」
鈴香さんにラインを送る。
「すみません、静岡のキャンプ場に行ったことあったら教えてほしいんですけど」
ラインで打つとどうしてか敬語になってしまう。不思議だ。
すぐには返信は来ないので、キャンプ用具のチェックリストなどを作る。忘れ物をしても取りに戻れない距離だからな。
『静岡のどのあたりですか?』
リストにチェックを入れてる間に返信が来た。
「富士宮のあたりなんですが」
キャンプ地のアドレスを送る。
『ここ行ったことありますよー』
それは助かる。
「漫画の聖地巡礼な感じで行くんですが、気を付けたほうがいいこととかありますか?」
『聖地巡礼って言うとマナーの悪い人もいますからね。とりあえずマナーを守ること。ごみを見つけたら捨てること、挨拶すること、とかでしょうか』
まぁ基本か。
『いいですねぇ。私一回だけそこに行ったんですけど、夜土砂降りで結局車中泊になったんですよ』
あぁ、雨対策してなかったな。傘や合羽が必要になるな。
『いつ頃いかれる予定ですか?』
「今月の下旬ですよー」
すぐに返信は来る。
『お邪魔でなければ私もついていってもいいですか?』
ソロじゃなくなる、ことが嫌なわけじゃないけど
「一回しか会ってないのに大丈夫? 俺が親御さんだったら心配しちゃうんですけど」
『そうですね。じゃあ成仁さん一度うちの家族に顔合わせてください』
それだけ⁉
「いやもっとこう、身の危険とか心配しない?」
『成仁さんはそんなことする人なんですか?』
ニヤリとしたスタンプを送ってくる。なんだか見透かされているな。
「勿論しないですよ」
『じゃあ、大丈夫ですよ。今度都合のいい日にうちのキャンプ場の入り口に来てください。大抵来シーズンの薪作ったりとかしてるので』
自分の意志無視されてません? いや可愛い子とキャンプは嬉しいのだけど、俺意志が弱いのかなぁ。
キャンプ場入り口の看板辺りに到着すると、すぐ近くに大きな庭のある家が建っている。ドッグランみたいな庭だ。もしかしてあそこ?
ラインで到着したと連絡すると、その家から鈴香さんが出てくる。
「こんにちは」
「ようこそ」
ささ、と家に招かれる。この子警戒心低くない?
「今お茶入れますね」
「いやいやそんなお気遣いなく」
ととととっと階段を下りてくる音が聞こえる。
「おねーちゃん彼氏―?」
鈴香さんとよく似た声の女の子が入ってきた。
「お友達」
コラ、と軽いげんこつをする。
「紹介します。妹の涼音です」
「桜沢涼音、高校三年生です。ちなみにおねーちゃんには彼氏いません」
「余計なこと言わなくていい!」
顔を赤くしてちょっと強めにげんこつをする。
「それよりお父さん呼んできて」
「はーい」
元気な子だなぁ。お父さんはどんな人だろう。恵のお父さんみたいな、厳格な感じじゃなければいいなぁ。なんて言うかこう、フレンドリーな
「いらっしゃい、君が澤海君?」
うん、そんな背中をボバンバン叩くまでじゃなくていいんだけど。
鈴香さんのお父さんはガハハと笑いながら握手してきた。力強いな。豆もできてる。
「今さっき薪割をしていたところだったんだけど、澤海君はやったことあるかい?」
「いえ、ちょうどいい大きさのを買って使ってます」
「じゃあせっかくだしやってみないか?」
え?
「お父さん、それより」
鈴香さんに止められ、あぁそうだったとソファに腰を下ろす。
「娘が欲しいだって?」
「言ってません」
「可愛いじゃないか、どこが気に入らないというかね?」
「そういうことじゃなく」
また大きく笑う。冗談が好きな人だ。調子狂うなぁ。
「お父さんってば!」
鈴香さんも怒ってるじゃないか。
「すまんすまん。真面目そうだったんで和ませようとしただけだ」
本当かよ。
「で、静岡に一緒に行きたいって話だったね?」
俺は一人でもいいんだけどね。
「シーズン始まっちゃうとほかのキャンプ場とか行けなくなっちゃうから」
鈴香さんのキャンプ場は四月からだ。確かにその前にはどこか行きたいよな。
「まぁいいんじゃないかな」
そんな簡単に決めちゃっていいの?
「やったぁ!」
鈴香さんが後ろからお父さんに抱き着く。
「羨ましいかい?」
「いえ」
俺には到底ないことだ。
「娘のどこに不満が⁉」
「ありませんから!」
面倒くさいお父さんだなぁ。
「いくら娘が可愛いからって手を出したら責任は取ってもらうからな」
はいはい、手は出しませんから大丈夫です。
「大丈夫だよ。成仁さんそんな悪い人じゃないから」
どういう基準なんだか。
「そういうわけだから鈴香のこと、よろしく頼むよ」
「はい。安全に配慮していってきます」
結局ソロキャンプできなくなったけど、まぁまたの機会にするか。
「実はこうやって誰かとキャンプに行くのは初めてじゃないんです」
「そうなの?」
「はい。キャンパーのSNSがありまして」
鈴香さんがスマホの画面を見せてくれる。
「掲示板形式になってるところで一緒に行くキャンパーさんを募集してたりするんですよ」
キャンパーのSNSなんてあるんだ。
「でも、初めて会う人と行ったりするんでしょ?」
「最近登録制になって、身分証明書やクレジットカードを登録してるので事件になることが少ないんですよ」
でもリスクはゼロじゃないだろうに。
「最終的には一度リモートで話して判断しますけどね」
「危ない感じの人ってわかるものなの?」
「危ない、というよりは何か違う目的がありそうな人ですかね。ナンパとか」
あぁ、そういう人ね。
「そういう人がいた場合はどうするの?」
「家の仕事とか言ってキャンセルします」
断固拒否、といった感じで眉間にしわを寄せる。なんか嫌な思いしたんだろうなぁ。
俺の車に荷物を積み込む。行くのはまだだが、先に乗せておけるものはやっておいた方が当日楽できる。静岡まで行くんだ。出発は早い。
「鈴香さんは朝早いの大丈夫?」
「いつもは六時くらいに犬に起こしてもらってるんですけど」
餌をねだられてるのか。見かけないけど散歩中かな?
「それ以上早いのには自信がないですね」
「いい場所を取ろうとか考えなければ六時でいいんじゃないかな?」
「でもちょっと髪とかしたりするんで、もうちょっと早めに起きるようにします」
女性の身だしなみか。まぁ、年頃の女性だもんな、当然か。
「じゃあ六時に迎えに来るから、それまでにってことで」
「はい、当日はよろしくお願いします」
三月二十二日、午前六時半。
「ちょっと心配してたけど、やっぱり」
鈴香さんは犬に起こされてそれから身だしなみを整えていた。
「ごめんなさい!」
「三十分なら大丈夫だと思うよ」
静岡まで車で行ったことないからわからないけど、遅いなんて言う気にはならない。朝一に喧嘩なんてする気もないし、キャンプの先輩に教わることも多々あるだろう。これくらいで目くじら立てるなんてどんだけえらいんだよって。
「忘れ物はない?」
鈴香さんがバッグの中を確認する。
「大丈夫です」
よし、と車を発進させる。
「寝不足だったら寝てていいからね。静岡まで長いし」
休憩も含めて十五時に到着目標だ。先は長い。
「起きたばかりなんで今は大丈夫です。今は」
慌てていたから落ち着くまでは興奮状態なんだよな。落ち着くとうつらうつらとしてくる。
そう、一時間もしたら鈴香さんは舟をこぎだした。
「ブランケット出しておけばよかったかな」
きれいなうなじが見え、ちょっとドキッとした。
あくまでキャンパーとしての先輩という目線で見ていたが、やはり可愛い。無防備な姿を見せられるとどうしてこう、胸が高鳴ってしまうんだろうな。
そんなことを思ったりもしたが、交通事故を起こすわけにもいかないので運転に集中する。コーヒータイムをはさみつつ、お昼頃には宇都宮に到着した。
「餃子鍋とかいいですよね」
鈴香さんがお土産コーナーを見て今晩のメニューの話題を出す。
今回も、というべきか二人とも作ってシェアする形だ。
「美味しそう」
やったことはないが、汁のうまみを吸った餃子は美味しそうだ。
「今日は何を作るんですかー?」
ここで食材を買っていくわけではないが、予定を変更して餃子鍋も悪くない。
しかしやってみたいと思っていたものがある。
「今日はガーリックシュリンプを」
よく動画サイトとかで見てやったことのあるレシピで、個人的にも自信がある。
「成仁さん、結構お料理されるんですか?」
「今は実家暮らしだからあまりしてないけれど、一人暮らしのときにはそこそこ」
「そうなんですね、じゃあ期待してます」
「そういう鈴香さんは?」
うーん、と悩むそぶりを見せてから秘密です、と口元に人差し指を当てる。可愛い、うん可愛い。大事なことなので二回言った。
昼食にはサーロインステーキ丼を食べたかったのだが、夕飯のことを考え醤油ラーメンにしておく。
「ちょっとだけ仮眠させて」
十五分ほど仮眠をとらせてもらう。朝が早かったうえにお腹も膨れて居眠り運転しそうだった。
スマホのアラームで起きる。あれ? 鈴香さんがいない。
ガチャと車に入ってきたのは鈴香さんだ。
「あ、目は覚めましたか? これどーぞ」
ボトルからコーヒーを注いで差し出してくれた。
「ありがとう」
コーヒーも家で飲んだり、キャンプで飲んだり、今みたいな場での飲むのでは感じる味が全然違う。今回のキャンプ場ではどんな味がするのか、楽しみだ。
「このコーヒー豆、北上で買ってきてるんです。どうですか?」
「うん、起きがけに飲むのにいいね」
ちょっと濃いめで目が覚める。北上か。恵がいるなぁ。
「どうしました?」
「いや、北上って友達が住んでるなぁって思っただけ」
「そうなんですね。このコーヒー豆のお店、ケーキもやってるのでもしその友達が女性なら一緒に行ってみたらどうですか?」
ふむ、恵を誘ってみようかな。
「そうだね、今度ちょっと誘ってみるよ」
コーヒーを飲み終えてまた運転に戻る。
ラジオを聴きながら雑談をしたりしていると、富士山が見えてきた。
「ふーじーさーーーん!」
鈴香さんのテンションが上がってきた。
「富士山お久しぶりー」
富士山に挨拶してる。これからずっとこのテンションじゃないだろうな。
「成仁さんは富士山行ったことありますか?」
「新幹線で見たくらいかなぁ」
以前修学旅行で新幹線に乗った時かな。本当数える程度。
そのせいか、近づく富士山の大きさがリアルに伝わってくる。あの時見た富士山とは全然違う。上るほどの近くではなくてもこれが富士山だ、とわかる。
「もう少しですね」
そう言って到着するまでには一時間かかる。
街中からキャンプ地までは時間がかかる。インターチェンジからだともう少しかかった。
また、途中で夕飯の食材を購入したのでその時間もあった。
「やー、お疲れさまでした」
車から降りて鈴香さんからねぎらいの言葉をいただく。
「さすがにこの距離は疲れるね」
首をゴキゴキ鳴らしてぐるりと回す。
「後で肩もみしてあげますね」
ありがたい。帰りもしてくれるのかな?
「とりあえず受付行きましょう」
おおよそ予定通りの時間に到着した俺たちは受付を済ませ、荷物を持ってフリーサイトへ向かう。
「すみません、私の分まで持っていただいて」
「一応男ですから」
男を見せても何の役にも立たないだろうけど。それに、そこまで重いものは持ってない。選んで一番重いテントは持ったけど。
オートキャンプと違い、車の乗り入れは出来ないので駐車場と二往復した。
「とりあえずテントを張ってくつろげる状態にしよう」
そう言うと、それぞれにテントを張りチェアを出す。
「一旦シャワー浴びてきませんか? 荷物は入れ替わりで番をして」
荷物持ってくるときに汗かいたしな。
「じゃあ、先に行ってきてもいい?」
「はい、私はここで焚火の準備をしてますね」
お互いにシャワーを浴びて焚火にあたる。
日が長くなってきてはいるもののもう夕方で暗くなってきている。
「そろそろ夕飯作りましょうか」
「そうだね」
まずは俺から。買ってきたバナメイエビの殻をむき、ワタを取る。まな板は鈴香さんから借りた。極力生ごみも出したくはないのだが、ワタとかはしょうがない。
俺の料理を眺めている鈴香さんはニコニコと楽しそうだ。
「いいですね。こういうキャンプ飯って」
「ワクワクしますよね」
煮込んでる間にパンをカットする。エビオイルを染み込ませて食べるスタイルだ。
「もうちょっとで完成するから、鈴香さん準備始めちゃっていいよ」
はーい、と返事をして鈴香さんが準備にかかる。
秘密と言っていたが、何を作ってくれるのだろう。荷物にダッチオーブンはなかったと思ったけど。
鈴香さんはフライパンを取り出し、食パンを焼き始めた。
「トースト?」
「違いますよー」
アハハと笑ってほぐした鮭とほうれん草、缶詰を投入している。なんだ? 生クリームかな?
ピザ用チーズをのせ最後にパセリをかける。
「はい、簡単ピザの出来上がりです」
そういえば何か料理番組で、パンを使ったピザが紹介されたことがあったようななかったような。パン生地のパンって近いのかな?
「それにしてもいい匂い」
「暖かいうちに食べましょう」
今回は鈴香さんがお酒を飲めない、ということもあり普通の炭酸ジュースにした。
「いただきます」
チーズが蓋になっていて熱がこもっていたピザは熱々だった。
「あふいけど、美味しい」
「火傷しないでくださいね。こちらもいただきます」
まずはエビを一口頬張ってうんうんと頷いてくれてる。良かった、自己満足じゃないみたいだ。
「美味しいですよ。次はパンで」
エビの殻でうまみを出すようにしていたから、できてると思うが。
「これもなかなか。食が進みます」
長旅の疲れもあってか、二人ともすぐに食べ終わってしまった。
「コーヒー淹れますね」
今度はコーヒーミルを出して挽き始める。
「これは盛岡で買った浅煎りのコーヒーですので、眠気にはそんなに影響しないと思います」
俺はお湯を沸かしてマグカップをセットしておく。
コーヒーが抽出されると香りが漂ってきて、気持ちが落ち着く。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
薄味のコーヒーはあまり飲まないせいか味気なく感じもしたが、夜だしな。この程度にしておいた方がいいだろう。
「美味しかったよ」
「あ、私明日のご飯の下ごしらえしますね」
「じゃあ、俺は今洗えるものを洗っておくよ」
「お願いします」
役割分担がうまくいくと、こんな風になるんだな。恵といくとどちらかが、ってなってしまうから今度分担して作業してみるのもいいかもな。
洗い物から帰ってくると、鈴香さんが下処理をした野菜をジップロックにしまっていた。
「じゃあこれ片付けたらお約束の肩もみしますね」
「期待してるー」
使っているローチェアに腰掛け、足を伸ばす。
車では曲げてることが多いから、本当休憩時にストレッチしないとな。
「では、はじめまーす」
グッと押し込まれる。え?
「あれ、お父さんより凝ってないですね?」
薪割してるもんね、鈴香さんのお父さん。
「もうちょっと弱めにお願いしま~す」
「了解です」
あったかいご飯に焚き火、そしてなんでもない会話。二人キャンプ楽しいな。
「あ」
「夕方の赤富士写真忘れてた!」
「そういえば!」
到着してから準備、シャワーとここまでに大体日が沈みそうになるころ合いではあったのだが。
「明朝の日の出に期待しよう」
「そうですね!」
肩もみを終え、火の始末をした二人はそれぞれのキャンプに潜っていった。
「え⁉ きゃあ!」
「桜沢さん?」
夜も更けていたころ、鈴香さんのテントでガタゴトと物音がするので近づくと
バッ‼
何か大きいものが駆けていった。
「鈴香さん、けがはない?」
「はい、でも」
テント内部と中においてある物たちを見る。
ジップロックにしまっていた野菜は食い散らかされ、鈴香さんの声に驚いて暴れた何かがテントのポールを破壊していった。
「あれ、何?」
「多分、鹿でした」
しょんぼり顔の鈴香さんが後片付けをする。勿論俺も手伝う。
「朝ご飯、お米しかできないですよ~」
「いやそれより鈴香さんにケガがなくてよかったよ」
「あれだけ近くで暴れられると正直怖かったです」
ランタンで照らしていて見えたが、鈴香さんは涙目になっていた。
「テント修理できる?」
「それが、こんな時に限って持って来てなくて」
なんてこった。前回車中泊になった桜沢さんに車で、というわけにはいかない。
「鈴香さん、俺のテント使っていいよ」
「いえ、私またここに来れて、富士山見れただけで十分ですから」
「いやいや、テントで寝てこそじゃない?」
両者一歩も譲らない、と思ったが
「じゃあこうしましょう。一緒のテントに寝る、ということで」
「え?」
こんな可愛い子とこんな狭いテントに?
「俺の、一応二人用ってことになってるけど狭いよ?」
「ぎゅっと縮まれば大丈夫です」
と、シュラフを持って俺のテントに入る。
「どうですか?」
「う、うん」
シュラフは大丈夫だ。しかし、実際シュラフに潜ると顔が近い。
「顔、近いね」
「あ、アハハ。そーですねぇ」
なんだか鈴香さんの顔が少し赤く見える。気のせいだろうか。
それにしても鈴香さんとこんな接近するなんて思ってもみなかった。吊り橋効果ってやつかな? すごいどきどきしてる。
「ね、寝よっか」
「はいぃ」
口元までシュラフを被った鈴香さんは一層可愛かった。
……寝れねぇ。
寝れるわけがない。恵とだってキャンプしたときは別々のテントだったし、女性とこんなに近で過ごすのも滅多にない。彼女いない歴十年くらいの俺はほぼ童貞といっても差し支えない。
スマホをいじろうにも画面が明るくなると鈴香さんに気を使わせてしまうのでしばらくは黙って寝ようと試みてはいたのだが、やっぱり寝れないものは寝れない。
出来るだけ物音を立てずにテントから出て、夜風にあたる。
星空の森とはまた違い、富士山をメインに星空が煌めいていて、幻想的な空間にいるみたいだ。
「こういうの、パソコンのスクリーンセーバーとかで見たことありませんか?」
後ろから鈴香さんが話しかけてきた。起きてたんだ。
「そういえばお勧めにこういう写真が出てきてたりしたね」
「ロマンチックですよね」
「うん」
明日、寝不足になるかもしれないけど、この景色は瞼に焼き付けておいて損はない。
小一時間ほど夜空を眺め、テントに戻っていった俺たちは暖かいシュラフと空気に包まれて一晩を過ごした。
「ん」
この時間までには起きようと思ってセットしたアラームが鳴った。現在の時刻は八時。
隣に鈴香さんはいない。
「鈴香さん?」
テントを開けて外を見ると、鈴香さんが朝ご飯の用意を始めるところだった。
「おはようございます」
「おはよう、早いね」
「いつも起こされる時間に起きちゃいました」
習慣で起きるってのはよくあるよな。
「何を作るの?」
ご飯しかないって言ってたけど。
「親子丼っぽいものです」
缶詰の鶏肉を使い、卵を回しかける。
「最初は味を染み込ませたお肉と野菜を加えたものにする予定だったんですけど」
鹿に美味しくいただかれたわけか。
「でもこんなにできるんだね」
「缶詰とカップ麺は非常食です。持って行って損はないですよ」
確かに。まさかこんなトラブルになるとは思ってもみなかったけど、缶詰がなければただの卵かけご飯になっていたからな。
「唐辛子とかコショウはここにありますんで、好きなものを加えてくださいね」
コショウを少々かけていただく。
缶詰なのにこうやってキャンプして食べるとやっぱり美味しい。
「これでも十分美味しいよ」
「機会があればまたご馳走しますね」
次の機会は星空の森か、それとも来シーズンになるのかな。
ちなみに俺は朝寝坊気味だったので朝の赤富士をとれなかったのだが、鈴香さんは見事撮れた写真を送ってくれた。これは生で見たくなるな。
当初の予定では少し観光をしてから帰る予定だったが、起きるのが遅かったために近くの道の駅と途中のサービスエリアでお土産を買うにとどまった。
「浜松の餃子と宇都宮の餃子食べ比べ、楽しみです」
俺も鈴香さんもお土産に餃子を購入した。ちょうど場所柄もあって食べ比べをする形になってしまう。
「苺も買いたかったけど生ものだしね」
宇都宮では苺もあったが熟しすぎるのを懸念してやめておいた。
「あ、そうだ」
車の中で鈴香さんが何かを思い出したように言う。
「今回聖地巡礼と言ってましたけど、キャンパーとしての聖地って知ってます?」
「漫画とかじゃなく?」
そういったことは全然調べてなかったな。
「はい。実は北海道なんです。雄大な景色を眺めながらのコーヒー、いいですよ」
「行ったことあるんだ?」
「実は無いんです」
ガクッ。あると思わせといて落としてきたか。
「イメージだけでもいい感じしませんか? 今回行った場所も敷地は広かったと思いますけど、北海道はそれを超えるんです」
「なるほど、一度行ってみたいかも」
クマの危険性が高まる気がしてならないんだけど。
「機会があれば行ってみてください。あ、雪中キャンプには気を付けてください。毎年のように死者が出てますからね」
獣じゃなくても危険はあるわけか。肝に銘じておこう。
その後は段々と口数が減っていき、鈴香さんは寝息を立ててきた。
「朝早く起きたもんな」
ラジオの音量を下げて静かに高速を走る。
「おかえり鈴香、澤海君」
鈴香さんのお父さんが玄関の前で出迎えてくれた。
もう日も暮れているのに。待ち焦がれていたのかな?
「キャンプは楽しかったかい?」
「はい。鈴香さんのおかげでとても」
「そうかい。なら良かった。ちなみに、何もなかったよね?」
あぁ、やっぱり父親としては娘の身が心配なんだな。
「そうですね、はい」
多分。
「あのね、お父さん寝るときに鹿に襲われて、テントが壊れちゃったの。だから夜は成仁さんのテントで寝たよ」
「本っ当に何もなかったんだね?」
俺もお父さんもびっくりだよ! 言わなくてもいいのに!
「ありませんでしたよ!」
「成仁さん優しくてうれしかった」
「おちょくってるよね⁉」
アハハ、と笑ってお父さんにも冗談だ、と言う。なかなかハードな冗談を言うご家庭だなぁ。
「うちの娘は可愛いから心配になることもあるんだ。澤海君が事前に顔を合わせれる人でよかったよ」
リモートでしか顔を合わせてなかったら今回のことはさすがに心配だったろうな。
「そうですね、俺も最初念のため挨拶はしておくべきだと思ったので、良かったと思います」
「澤海君、これからも機会があったら娘とキャンプに行ったり、うちのキャンプ場にも来てくれるとありがたいよ」
お父さんが手を差し出してきたので握手をする。
って、両手で力強く握ってブンブン振ってきた。
「痛い、痛いですって」
「友情の強さだよ」
訳が分からないよ。
「本当、これからもよろしくね」
親子そろって笑顔でお願いされればそりゃ勿論こちらこそ、と返さねば。
こちらもがっしり握手を返した。
帰り際、妹さんから
「お姉ちゃんといいことありました?」
と聞かれたがご想像にお任せします、と返してやった。どや。
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