1話 落ちこぼれ海軍士官の日常

王国歴216年 11月5日06時30分

アングレット要塞自治領 軍港


「相変わらず平和だな…」


俺は掃除用具を放り出し、軍艦の甲板に仰向けになって空を眺めていた。

日が出始めたばかりで寒いが、防寒対策をしっかりしていれば空気が澄み切っており、二度寝するには絶好の時間だ。


「平和なのはいい事だろクルト。お陰で軍の規律は緩々で勤務中に堂々とサボってもバレない」


「いつもならまだ宿舎でベッドの中なのに、お前が昨夜に門限を破ったせいで早朝に掃除する羽目になってんだよ。俺はお前を探しに行ったとばっちりでな!」


「すまんすまん。昨日は出会った女の子と飲んでたんだが中々帰してくれなくてな」


「はいはい」


士官学校を卒業し、海軍に配属され早一年。栄えある王国海軍士官となった俺は同僚のラースと何故か門限を破った罰として甲板掃除をしていた。

ラースとは士官学校時代からの腐れ縁だ。こいつは黙っていればイケメンなんだが、口を開くと兵器か女の話しかしない典型的な残念系イケメンだ。

昨夜もナンパに繰り出していたがこいつのことだから戦果は永遠にゼロだろう。


「まあまあ。お前もこの艦を綺麗に出来て嬉しいだろ」


ラースの言葉に反対しようと口を開いた直後、遠くから爆発音が聞こえた。

軽く地面が揺れる程であったが、海に出ている漁師たちは気にも留めず、市民達も既に慣れている様子で洗濯物を干していたりと各々の仕事をしていた。


「また陸軍の連中が派手にやってるな。まあ当然海軍の出番はない訳だが」


「これは今夜も陸軍の連中が調子に乗って街を練り歩くぜ。帝国の連中がちょっかい出してきただけなのによ」


俺達の母国、フェルゼルシア王国。長年にわたり周辺国の争いには一切介入しない永世中立の理念を貫き、今日まで戦争とは無縁の生活を国民は謳歌していた。

しかし北には技術革新が進んだ連邦。東には革命を経て国民から絶対的支持を集めて即位した皇帝擁する帝国。

2つの大国に囲まれている状況であり、連邦と帝国は昨年から全面戦争に突入していた。

当初は両国、一進一退の攻防が繰り広げられていたが、現在は互いの国境にある山脈付近で両軍は完全に膠着状態となっていた。

帝国はこの状況を打破する為にフェルゼルシア王国から連邦に攻め込む作戦を検討しているとの噂だ。

最近は国境沿いでの小競り合いが頻発している。

このアングレット要塞は帝国からの侵攻を阻止する要であり、今の要塞司令官であるカルステン将軍が着任してからは帝国軍の攻撃をことごとく返り討ちにし、

帝国からいつしか難攻不落の要塞[アングレットの悪魔]と呼ばれるほどであった。

その為、ここに住んでいる市民にとって帝国からの攻撃は脅威ではなく、もはや日常的に起こるイベントのようなものであると認識しているのだろう。


「ラースは狙った女が陸軍の連中に取られるのが嫌なだけだろう」


「絶対俺の方がかっこいいのにな…」


「まあ俺達は世間曰く落ちこぼれの海軍だから仕方がないな」


「それだよ!どいつも海軍は落ちこぼれ落ちこぼれ言うがな、こいつは今までの艦とは違うんだぞ」


ラースは持っていたデッキブラシで甲板を軽く叩きながら自慢げに語る。


「排水量約15,000トン。速力25ノット。主砲は新造の40口径20センチ2連装砲が前に二門。これほどロマンのある艦は他にないだろ!」


「まあこいつは実験艦だけどな。こいつの建造費、噂では王室の資金もつぎ込んでるらしいぜ」


「その噂は俺も聞いたことがある。確かにただでさえ少ない海軍の予算でこの艦を建造できるとは思っていなかったが…」


俺達が話していると頭上から突然女性の叱責するような声が飛んできた。


「二人とも何やってるんですか!」


「「!!」」


俺とラースは驚きのあまり飛び起き振り返る。


話に夢中になっていて気づくことが出来なかったのか、そこにはいつの間にか海軍の士官服を着た少女が立っていた。


「全く…サボってるとまた艦長に叱られますよ」


「いやいや、さっきまでちゃんと掃除してたよなクルト!」


「ああ、そうだアンナ。俺達はさっきまでしっかりやってたんだ」


アンナは士官学校時代の後輩で今年の春に俺達と同じ艦に配属された新米士官だ。しかし一年先に配属された俺達よりしっかりしており、ラースはその素行から日常的に怒られている。


「ラース先輩はともかく、クルト先輩までだらしなくなっては困ります。しっかりして下さい」


「おいアンナ誰がだらしないって?」


「昨晩も宿舎の門限を破って深夜にコソコソ帰ってましたよね」


「何故にバレてる!」


「学習しないなお前は…」


アンナは足元に落ちているデッキブラシを拾い俺達に渡すと「まだここが汚いですよ」と言い残し足早に去っていった。


「何であいつはあんなに怒ってんだ?」


「甲板掃除をサボってたことで怒ってる訳では無いだろうな」


相変わらず鈍感だなこいつは…。


「?。それはそうとクルト、今朝来た騎士団長殿と一緒にいたあの子だれなんだよ! いやに親しげだったじゃあないか? 団長と知り合いってことは聞いてたけど、あんな可愛い女の子とも知り合いだなんて聞いてないぞ?」


 当たり前だ。言ってないからな。このおしゃべり野郎に言ったら、あることないこと騒ぎたてられて、絶対に疲れる。女関係は特にそうだ。


「ああ、あいつは…ミアって言うんだ。彼女も騎士団長と同じく同郷で一緒に暮らしていた時期もあるくらいだから、まあなんだ…家族みたいなものなのかな」


「な、近衛のあんな綺麗な人とそんな関係だなんて? とんだうらやましいやつだ! 許されねぇ」


確かに一緒に暮らしている時はなんとも思わなかったけど、悪くない顔立ちだ。あれならそこらの男達もほっておかないのかもしれない…こんな男だらけの海軍にいると女と見るだけで反応してしまう自分が情けない。

邪念を払うため深呼吸をする。

俺が葛藤していた間もミアについて聞いてきたラースは、飽きたのか急に政治の話に切り替えてきた。まったくおしゃべりなヤツだ。


「おいクルト、そういえば今回騎士団長殿が要塞司令官のカルステン将軍に呼ばれたのってどうしてか知ってるか? どうやら、あの嫌われ者のゲオルグ宰相閣下が休戦中の帝国と終戦交渉をするってもっぱらの噂だろ。成功すれば国内の権力闘争がより活発化する。特に最近はクリストフ国王と宰相閣下の対立も表面化してきてるし、宰相閣下はカルステン将軍に騎士団長を自分の陣営に引き込むよう懐柔させようって腹積もりらしい・・・不穏だよなぁ。まあ俺ら弱小海軍は蚊帳の外よ」


「国王陛下と宰相閣下が政争ねぇ。国王陛下はそんな事に興味がある人には思えないけど。それに関して言えばマリーア皇女殿下ももうすぐ16歳になって皇位継承権が付与されるし、そこも関係あるのかも」


「えっマリーア皇女って俺らと同世代じゃん。推せるねぇ、可愛いよなぁ」


「表舞台に一切姿を見せないから可愛いかも分からないだろ・・・マリーア皇女」


「可愛いに決まってる!。皇女殿下だぞ」


今度は顔も見たことが無いマリーア皇女のことを饒舌に語り始めたラースを後目に、ふとが思い浮かぶ。

国王陛下と宰相閣下の対立は表立って新聞などのメディアでは取り上げられていないが、宰相閣下の動きからして国王陛下と権力闘争をする気なのは明白。対立関係が激化したらと…。

まあ一介の軍人には関係のないことか。

軍人、引いては騎士となって大活躍するという華々しい夢から、現実は、寂れた艦隊で、掃除雑用だ。しかし、こいつは曲がりなりにも王国の最新鋭戦艦。掃除の手を抜こうものなら艦長のお小言が飛んでくるだろう。

そうこう考えているうちに、日も落ち始めている。仕事も終わりだ。掃除の仕上げを行い、内容のない報告書をまとめて外出するか。

日々退屈の毎日だが、軍人になったとはいえ戦争とは無縁の中立国に生まれた自分の幸運を祝うべきか。

そう考えながら俺は今夜のナンパに誘ってくるラースを適当に流しつつ艦を後にした。

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