受付嬢という概念

「し、失礼しまーす」

 厳重な解除音のわりには軽い力でドアは開いた。

 花のような匂いがふわりと香る。

 小さな部屋の真ん中に簡素な机があり、それを挟んで、黒革のソファが向かいあうように置かれている。

 部屋の奥には一つドアがあった。どこへ繋がっているのだろうか。

 両側の壁をみても窓はなかった。

 壁際には木製のタンスがあり、その上には花瓶に一輪の花がささっていた。

 百合のような形をしたピンク色の花だ。名前はわからない。先程の匂いはここからきていたのだろうか。

 そして、上座のソファには、

「いらっしゃい。座って」

 部屋の主が微笑をたたえて座っていた。

「どうも……失礼します」

 赤い着物を着崩していて、何というか目のやり場に困る。長く伸ばされた黒髪はシルクのように柔らかく輝いている。

 眼は気だるげで、しかし、瞳が元来持っている力強さを隠せておらず、何もかも見通されているような錯覚におちいる。「目を合わせただけで寿命を吸い取られる魔法とかないよな?」と失礼な考えが頭によぎった。

 気圧されながらも着席する。ソファの柔らかさに身が沈み込む。ソファに「逃さないぞ」というメッセージが込められているような気がした。


「協会の受付嬢とでも思ってくれていいわ。魔法、魔法使い、協会。そのあたりについて説明が必要でしょ? 井龍くん。私のことは……馬刺しがそうしたように姐さんとでも呼んでちょうだい」

「あねさん……。わかりました。正直なにもかもわからないって状況なんで、説明してもらえるなら助かります」

 こんな受付嬢がいてたまるか。明らかに訳ありな人にしか見えない。そういえばこの人も魔法使いなのだろうか? 普通、どのような魔法を使うかは隠すような気がするのでこちらから聞く気はないが。

「魔法のことはどこまで知ってる?」

「自分の手品――みたいな何かが魔法だったってことと、お茶屋さんのお茶しかり、馬刺しの動物操作しかり……科学的に説明がつかない事象を引き起こす能力。どちらかというと魔法というより超能力っぽいなって思ったんですが」

「そうね、今どきの日本人がそれらの能力を見て場合『超能力』だと感じる人のほうが多いんじゃないかしら。正直にいって魔法の定義は曖昧よ。協会の人員のなかにも『魔法』と表現するより『能力』という表現をよく使う人もいるし……」

「じゃあ何で魔法協会って名前になったんです?」

「それには協会の成り立ちが関係するわ。統一魔法協会は、約百年前、1900年ごろにイギリスで創設されたの。その頃、『黄金の夜明け団』という魔術結社があったんだけど知ってる?」

「あぁ! 名前だけは聞いたことあります。え? 黄金の夜明け団は本当に魔法を使えたってことですか?」

「いいえ、おそらく使えなかったと思う。で、黄金の夜明け団自体は解散してしまったのだけれど、一人の団員がその後も密かに研究を続けていたらしくてね。その人こそ統一魔法協会の創設者『A.A.』であり、最初の魔法使いと言われているわ」

「A.A.? イニシャルだけですか?」

「そ。名前は不明。残っていた書類にはイニシャルしか記載がなかったみたい。そして、彼は自分の能力を『魔法』と定義し、それを行使する人間を『魔法使い』と呼んだ。以降、自分以外にも魔法使いがいるはずだと信じてメンバーを集めていき、徐々に組織が大きくなっていったってとこね」

「なるほど、魔法呼びはそこから来ていると。当たり前ですけど、魔法使いがいるのは日本だけじゃないんですね」

「ふふ、そうね。絶対数が少ないけど、世界中にいるわ」

「で、結局魔法ってなんなんです?」

「わからない」

「はい?」

「いまだにわからないの。使えるようになるきっかけも、その発動原理も、曖昧な推測しかたてられていないのよ――」

 それから三十分程度かけて姐さんが色々と説明してくれたが、何ともつかみどころのない話ばかりであった。

 曰く、ある日突然魔法が使えるようになる。

 確かに、俺はあの日、河原で、突然使えるようになった。

 曰く、本人の生きてきた環境に影響を受けて魔法の内容が決まる。

 そうなのだろうか? 俺は特に手品好きというわけでもなかったが……強いていうなら煙草をよく吸うという点において、煙草を使った魔法が使えるようになるというのであればわかるが、煙草以外でも発動している時点でその考えは崩壊する。

 曰く、魔法の発動には何らかのエネルギーを使うため、回数制限がある。

 魔法の規模が大きくなるほど必要なエネルギーも大きくなっていく。

 あまり回数を意識したことはなかったが、そもそも俺の魔法はしょぼすぎるから使える回数も多いのかもしれない。

 曰く、魔法使い同士はひかれあい、影響を受ける。

 いつの間にか、魔法使いの近くには魔法使いが集まることがあるそうな。また、強い魔法使いの近くにいる人間は新しく魔法使いになりやすい。不用意に魔法使いを増やさないためにも、強力な魔法使いは協会により行動が制限されることになると説明を受けた。「あなたは……多分その心配は不要だわ」とも言われた。少しイラっとした。

 敏感な魔法使いは、魔法使いが持つ特有の雰囲気やオーラのようなものを感じ取ることが出来るらしく、そういうタイプの人は『新たな魔法使いの捜索』をするための人員として情報部に所属することになるという。今回、俺のことを魔法使いの可能性ありと発見したのも、その力によるものとのこと。この探索能力は、あくまで感覚的な部分であり『魔法』ではないらしい。

「ふぅ、少し休憩しましょうか。君も眉間のしわが濃くなり始めているようだし」

「あ、あぁ、すみません。常識が通用しない話ばかりで……処理しきれてないです」

 いつの間にか呼吸すら忘れるほどぐるぐる考え込んでいた。

 姐さんは席を立ち、「ちょっと待ってて」といいながら部屋の奥にあるドアを開けて入っていく。

 開ける瞬間覗いてみたが、中は暗くて何も見えなかった。倉庫か何かだろうか。

 ソファに背をあずけ目を閉じる。

 わからない、何も。

 黄金の夜明け団? 百年前から協会がある?

 魔法。フィクションの話だ。学校でも習わないし、ニュースにもならない。ネットでも見たことが……ないはずだ。いや、あったとしてもただのオカルトと思って目にも留めなかっただけなのか?

 ともかく俺は魔法使いになった。なったとして、どうしろと?

 強力な魔法使いは協会により行動が制限されるだと? 俺はあいにくしょぼい魔法しか使えないから、気にしなくてもいいのだろうが、本当にそうだろうか? いつの間にか監視されていたこともあり、どこまでこの組織を信じていいのかわからなかった。

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