吾輩は猫である
色々ありすぎて何もわからない。
よし、忘れよう。
襲われたその日、俺は何も考えず家に帰り、何も考えずに寝ることにした。
しかし、人間、考えないようにすればするほど意識してしまうもので、結局意識を手放したのはベッドに入ってから二時間後であった。
次の日、寝不足で働かない頭をもたげて朝のニュースを軽く見てみるも、ドキンちゃんのカバンが燃えた件や俺が襲われた件についてはどこにも情報が無かった。
統一魔法協会。彼らが情報統制でもしているのだろうか? ただたんにニュースにするまでもないしょうもない事件だったからだろうか。
狭い自分の部屋にいても無駄に不安になるだけだ。親分に愚痴でも聞いてもらおう。
「あ、親分、今日もお早いですね」
少し寒いのに、何もないのに、今日も今日とて親分は険しい顔で川の流れを眺めていた。
流れるような仕草で、着席と同時に俺は煙草に火を着けた。
しばし沈黙。
沈黙が心地よい。なんだ、俺たち付き合ってんのか?
しかし、心地よかったのはどうやら俺だけのようで、親分がその沈黙を破った。
「吾輩は猫である」
「えぇ!?」
おかしい。昨日からおかしいこと続きでいい加減慣れてしまいそうだが、これはおかしい。
親分は猫だろう? 喋らないだろう?
今までの長い付き合いの中でにゃあにゃあ返事をしてくれることはあったが、人語を喋ったことなんてなかった。
「名前はまだない……なんつって」
「なんつって!?」
「どもども、協会の遠藤っす。協会まで案内したいんすけど、井龍さん今時間あります?」
「ニートなので暇ですけど……って親分も魔法使いだったの!?」
「親分ってなんすか? とりあえず軽く説明すると――」
遠藤翼。彼は協会の魔法使いで、使える魔法は『動物に意識を移し遠隔操作する』というものらしい。つまり、親分はやはりただの猫で、今は操られている状態にある。
以前から時々親分に意識を移し、俺のことを観察していたらしい。
協会には情報部があり、そこの人員が魔法使いを探す役割もになう。遠藤翼氏はそこに所属している。部の人員が『魔法使いの兆候』を掴んだ時点で、監視対象におかれるのだが、今回監視役に彼が選ばれた。その後、親分の目を通して、俺が手品――魔法を使う様子を確認し、正式に魔法使いと断定され、今回の招待に繋がった。
「馬刺しは何年前から協会にいるんだ?」
「五年っすね。新人扱いされなくなってきてキツイっす」
俺の気が狂って馬刺しに話しかけているわけではない。
遠藤翼氏、バサシ、馬刺し。ということで彼のあだ名だ。変なあだ名だが彼自身気に入っているそうで、そう呼べと言われた。ちなみに昨日助けてくれた伊藤さんは『お茶屋』というあだ名で呼ばれているらしい。コードネームがてらあだ名で呼び合うのが協会では流行っているらしい。
ぽてぽてと歩く親分――馬刺しに着いていくと、そこは最寄り駅だった。
「え? まさか電車でいくの?」
「そっすね。神奈川の新百合ヶ丘に日本の協会本部があるんで、電車で最寄り駅までいって、その後歩きっすね」
電車ではどうするのだろうと思ったら、馬刺しは俺の膝の上に行儀よく座った。
「わぁー、猫ちゃん」
「可愛いねぇ」
「はは、どうも」
親子連れに大人気だ。
当たり前だが馬刺しは人前では何も喋らないため、俺が対応するはめになった。
「名前はなんていうのー?」
幼女が綺麗な目でたずねる。
親分か? 馬刺しか? まともな名前がない。どちらを選んでもアウトだろう。
「く、クロちゃんだよ」
「クロちゃぁん」
「ふひっ」
こら! 笑うんじゃねぇ馬刺し! バレるだろうが。
新百合ヶ丘駅で降りる。酷く疲れた気がする。
「初めて来たけど、綺麗な住宅街って感じだなぁ。こんなとこにあんの?」
「二十分ほど歩くっす。道を外れたら結構田舎っすよ」
お高そうな戸建てが並ぶ閑静な住宅街を突き進む。各家の車庫にはアウディやらBMWやらが並んでおり、俺には縁のなさそうな世界だ。
しばし歩くと、家の数が減り、なるほど確かに緑が増えてきた。
やがて、大きな敷地を持つ施設にたどり着いた。
入口の看板には『UMA研究所』と書いてある。
「UMAってネッシーとかチュパカブラとか、いわゆる未確認動物のことだよな? 怪しすぎるだろ。もう少しましな擬態をしろよ」
「違うっすよ。Unified Magic Associationの略っす」
「訳すと?」
「統一魔法協会」
「そのまんまじゃねぇか!」
擬態すらせず堂々と看板を出しているアホっぽい組織にがっかりしたが気を取りなおし中に入っていく。
入口の守衛は、
「馬刺しっす」
と喋る猫を一瞥すると、
「おう、お疲れ」
とだけ返事をした。特に手続きはいらないらしい。
敷地の奥には小学校のような白くて大きな建物が見える。それとは別に体育館のような建物や運動場のようなスペースもあり、全体的に学校のような外観である。
奥の白い建物に入り、一階の廊下を進み、ちょうど建物の真ん中あたりにある一室についた。
ドアには血のように赤い文字で『禁』と書かれていた。
え? このヤバそうな部屋に入るの? とビビっている俺を無視し、馬刺しはためらいなくノックし――肉球のせいで音がならなかったが――、大声をあげた。
「あねさーん! 連れてきましたよー」
数秒の無音が続いた後、解除音が鳴り響く。
ガシャコン! ガシャコン! ガシャコン! キリキリキリキリ……カチャリ。
一枚のドアを開けるだけでそんな音する? という言葉を必死に飲み込みながら顔をゆがめていると、中から、
「馬刺し、ご苦労。もう行っていいわよ。坊やは中へ入んなさいな」
と、少し低めで大人っぽい女性の声がした。
「了解っす! じゃ、井龍さん、自分はこれで失礼します。親分の体はこっちで保護しておくんで、申し訳ないっすけど、後で連れて帰ってやってほしいっす」
「こっから俺一人なのね……ま、いいや。了解。案内ありがとな」
馬刺しは本当に案内だけの役割だったようだ。
他意は無いのだろうが、逃げるように廊下を走り去る馬刺しの姿を見て裏切られたような気持ちになった。
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