ドキンちゃん

 手品師なんてクソだ。まっとうに働こう。

 ライブが大失敗した夜、河川敷で一人やけ酒を飲みながらそう考えた。

 そもそも人前に出るのは苦手なのになんで手品師になれると思ったのだろうか。『歩く前に這うことを学ばなければいけない』と昔のえらい人が言っていた、気がする。人前でプレゼンすらしたことないのに、いきなりゲリラライブなんて出来るわけがなかったんだ。

 明日朝一でヘローワークに行こう。そして面接を受けよう。

 そう決意しながら脳みそがとけるまで酒を飲んだ……。

 

 翌日、寒さで目を覚ますと、綺麗な空が広がっていた。酔っぱらってそのまま河川敷で寝てしまったらしい。

 二日酔いに苦しみながら体を起こす。

「んー……ん?」

 何か大事なことを忘れている気がした。確か、今日朝一でどっか行かなきゃならなかったような……まあいい、スマホのカレンダーを見ても予定が入ってないしきっと大した用事じゃなかったんだろう。

「はぁ。なにか楽して稼げる金策ねぇかなぁ」

 とりあえず二日酔いをどうにかしたいので、ウコンか何かを買いに薬局へ行くことにした。


 駅近くをぶらぶら歩いていると、ド金髪の女性を見つけた。人込みの中から頭一つ抜けている。170㎝ある俺より確実に背が高いだろう。

 昨日タピオカを投げつけてきたドキンちゃんだった。

「あの野郎、今日ものんきにタピオカ飲んでやがる。どんだけ好きなんだ」

 タピオカミルクティーってけっこう値段するよな? 金持ちめ。俺なんて家から持ってきた麦茶だぞ。くそっ! 昨日の手品ライブが成功していれば今頃俺もタピオカを買えるくらいの金があったはずなのに。

 こっそり尾行していたら、だんだんイライラしてきた。

「そうだ、手品で地味な嫌がらせでもして憂さ晴らししよう」

 例えば、平和ボケした鳩ぽっぽをドキンちゃんのカバンに転移させることは可能だが、それだとさすがにやりすぎだ。俺は久しぶりに頭をフル稼働させた。そして、今できる中でもっとも無難な手品をチョイスする。

 パチン。

 ばれないように控えめに指を鳴らしたその瞬間、はらり、とドキンちゃんの靴ひもがほどけた。

 

「……なにやってんだ俺は」


 あまりのむなしさに、二日酔いもいつしか吹き飛んでしまっていた。

 薬局に行く必要もなくなったことだし、もう帰ろう。


「ドキンちゃんに靴ひもほどけてること教えてあげるかねぇ」

 溶け残った砂糖みたいな良心にひっぱられて、ドキンちゃんのほうへ歩き出す。

「すいませー……ん?」

 声をかけようとした時、彼女のカバンから煙が出ていることに気付いた。

 燃えている? カバンが?

「おい! カバンを手放せ!」

 叫んだ後に気付いたけど、これ強盗の台詞じゃねぇか。

 案の定ドキンちゃんは少し怯えたような顔をしながらもキレ気味で声をあげた。

「はぁ!? なにあんた、って熱っ!」

 くそっ、間に合わなかったか。軽いヤケド程度はしてしまったかもしれない。彼女の服などに引火する前に手放してくれただけよしとするか。

 既にカバンの口からは火が見え隠れしていた。

「えぇ、バッテリー燃えた? でもスマホはカバンに入れてないし……」

 意外と冷静に呟くドキンちゃんを尻目に、俺は消火器を探したが、街中ということもあって見当たらない。無造作に置いてあるものでもないらしい。どこかの店に借りるか? と思い見渡していると、ふと『おさかな煉獄』の看板が目に入った。そういえばこの店の近くだったか。今は開店準備中らしく入口が開けっ放しになっていた。店の奥にあの巨大な水槽が見え、そこで泳いでいる一匹の魚と目が合った。

 その瞬間、俺は答えにたどり着いた。

「これだ! ドキンちゃん離れて!」

「はぁ? DQNじゃねぇし」

 彼女がカバンから距離を取ったのを確認し、俺は指を鳴らした。


 パチン!


 ジュワーーーー!! っと大きな音をたててカバンから水蒸気が立ちのぼる。

「きゃあ! なになになに!?」

「あっつぅ! って、ヤバっ、戻れ!」


 パチン!


 再度指を鳴らすと蒸発音はおさまり、そこには火が消えた代わりにびしょびしょになったカバンが残されていた。

 急いで水槽のほうを振り返ると、先ほど目が合った魚がパニックになりながらも元気に泳ぎ回っているのが見えた。

「よかった……焼き魚にはならなかったか」

 以前、魚を転移させた時に、まわりの水も一緒に移動するらしいことを学んだので、今回もそれを利用することにした。魚は死んでしまう可能性はあったが、幸いそれは避けられたようである。

 しかし、改めて考えると、自分の能力の発動条件がいまいちわからない。

 以前、悪いとは思いながらも、近くにいるおっさんの煙草や、コンビニレジのお金を俺の手元へ転移できるか実験してみたことがある。結果、何度試しても失敗したのだ。よって、その時に俺の能力は『自分の持ち物の位置を移動させる』程度のことしか出来ないと結論づけた。

 ところが、駅前の鳩しかり、水槽の魚しかり、どちらも俺の持ち物ではないのに転移できてしまった。距離的にも結構離れていたのに、未だに失敗した覚えがない。

 能力が成長したとでもいうのか?


「っ、痛ーい。赤くなってんじゃん」

 ドキンちゃんの声で思考を中断させられた。見ると、彼女の一部が赤く変色している。

「ヤケドか? ちょっと貸してみ」

 まだ考え事から完全に戻ってこられていなかった俺は無意識に彼女の手を握っていた。

「痛いの痛いの飛んでけー……なんつってね、ははは」

 そういいながら指を鳴らした刹那、俺の左手の甲にびりびりっと痛みが走った。じんじんとうずく手に思わず顔をしかめたが、ドキンちゃんには気付かれていないようだ。

「ちょっ、どさくさに紛れて手ぇ握んなし。……あれ? 嘘、ほんとに痛いの飛んでった? ってかヤケド消えてるんだけど!? お兄さん何やったの?」

「へへ、ほら、俺、手品師だからさ」

「手品? っあぁ! 駅前で鳩ぶつけてきたお兄さんじゃん! え? 手品ってこんなこともできんの?」

「その節はどうも。ところでお姉さん、靴ひもほどけてますよ」

「あ、ほんとだ、ありがとー。ヤケドも治してくれたし、お兄さん優しいじゃん。よかったらLINEのアカウントおし――」

 ドキンちゃんが靴ひもを結びながら何か言いかけた。しかし、言い切る前に、怒鳴り声がそれをかき消す。

「なんか騒がしいと思ったら、またあんたか! もう来んなっつったろうが!」

「うげ、店長さん! ちが、これはちがうんです! たまたま! たまたま通りかかっただけで」

「うるせー! うせろ!」

「ひえ。じゃ、じゃあねドキンちゃん!」

「あ、ちょ。だからDQNじゃないし、マリアって呼ん――」

 おさかな煉獄の店長に通報される前に俺はダッシュで逃げた。

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