倒しても倒しても客引きが沸いてくる
サイレンの音が聞こえなくなるまで走った。
さすがに疲れたため、そのまま家に帰り、シャワーをあびてようやく人心地がついた。
「痛ぇ。これ完全にドキンちゃんのヤケドもらっちゃったよなぁ」
左手の甲を見ると赤く腫れている。
どういうことだ?
あの時ドキンちゃんのヤケドを見て、「煙草みたいに場所の入れ替えが出来ないかな?」と考えた。どたばたしていてあまり深く考えずに実行してしまった――そして成功してしまったが、今思えばおかしい気がする。煙草と煙草の場所を入れ替えるのとはわけが違う。煙草やコイン、魚や鳩。それらの入れ替え程度ならテレビで似たようなことを手品師がやっているのを見たことがある。それを俺が指一つ鳴らすだけで出来てしまうのは未だに意味がわからないが、とにもかくにも「手品っぽいことができる」と理解していた。
ところが、ここにきてケガの移動という新たな技が開花してしまった。さすがに手品の域を超えているのではないだろうか。
人から人へ移動できるのなら、自分の体の中で――例えば左手から右手へヤケドの位置を移動できたりしないだろうか?
パチン!
移動しない。その後、複数回試すも成功しなかった。
「うーん。わからん。さすがにドキンちゃんに返品はできないし、道行くおっさんに犠牲になってもらうってのもなぁ」
煙草のすり替えとはわけが違うので、さすがに無差別に他人を使って実験はできない。
幸い軽い痛みがある程度なので、検証は保留にして自然に治るのを待つことにした。
夕方頃、ヤケドの塗り薬が欲しくなり、再び薬局へ向かった。
買ってすぐ店の外で患部に塗りこんだ。変な臭いがした。
晩飯を買うためにスーパーを目指して繁華街を歩く。
「オニイサン、マッサージイカガデスカ」
アジア系の客引き。マッサージってなんだろう、と思いながら無視する。
「はい、あっしゃっせー。今ならすぐご案内できますよー」
若い兄ちゃん。居酒屋の客引きだろう。こういうのは大抵お通しがバカ高い店だ。当然無視する。
「こんばんは!」
ついて来やがった! 俺の歩くスピードに合わせ並走し始める兄ちゃんを無視しながら進む。
「こんばんは!」
どうやらこちらが挨拶を返すまで挨拶し続けるタイプのモンスターのようだ。
中学の時、こういう暑苦しい教師がいた。今も挨拶し続けてるのかな。
「……こんばんは、滝川クリスタルです」
「ぶふっ!」
クソッ! 思わず笑っちまった。やるじゃねぇか。
兄ちゃんはニヤりと笑いそのまま去っていった。
なんなんだあいつ。俺を笑わせたかっただけか?
「お兄さん? ……お兄さん!」
今度は女の客引きだ。いい加減めんどくさくなって文句を言ってやろうかと顔を見ると、
「あれ? ドキンちゃん?」
「だからDQNじゃないって! マリアだってば」
薄闇におおわれた夕暮れ時でも輝くド金髪が眩しい。
ドキンちゃん改めマリアちゃんが立っていた。
ショートボブ。両耳にはピアスがたくさんついていて重そうだ。
可愛いというよりかっこいい感じの整った顔つきは後輩の女子にモテそうな気がした。
170㎝ある俺よりも背が高い。175㎝くらいあるのではなかろうか。
今日は制服ではなく黒いスキニーパンツにミリタリージャケットを着こなしていて、全体的にボーイッシュに見えた。
「ド金髪だからドキンちゃんって勝手にあだ名付けたんだけど、どうかな?」
「はぁ!? 何それひどくない?」
「俺以外だれもこんな呼び方するやついないだろ? 俺と君の間だけに通用する特別なあだ名……どうだい?」
「特別……まぁいいよ」
てれてれし始めたドキンちゃん。ちょろすぎて将来が心配だ。
「って、それは置いといて、お礼言いたかったんだ。昼間、カバンが燃えた時、助けてくれてありがと」
「あぁ、気にしなくていいよ。それよりあの後大丈夫だった?」
「うん。警察にちょっと話聞かれて、荷物も調べられたんだけど、なんか……何故かライターから火が出たみたい」
カバンの中に入れていたライターから? そんな簡単に勝手に火がつくものだろうか?
「というかなんで女子高生がライターなんか持ってんだよ。煙草は二十歳になってからだぞ」
「ちがうし! お兄さんほんと失礼! お墓参りするためにたまたま持ってただけだし」
「ごめん! ほんとごめんなさい……」
「まあいいけど。それよりお兄さんの名前は? LINE教えて。いま暇? ご飯いこう、おごるから」
今日出会った客引き達がお遊びに見えるほどのチャラい台詞で畳みかけられ動揺しつつも自己紹介する。
「名前は井龍。割り勘でいいよ。あ、お店は『おさかな煉獄』以外でお願いします」
ドキンちゃん行きつけのファミレスへ入る。混雑しているが待たずに座ることができた。
彼女はドリア、俺はハンバーグを頼んだ。
「乾杯!」
ジンジャーエールを流し込む。さすがに酒は飲まない。
「はー、おいし」
ドリアをちまちまつつくドキンちゃん。見た目のわりに所作は可愛らしい。
「お兄さんってよくわかんないんだけど、手品師? なんだっけ」
「いや、まぁ手品師になろうかなと思ってたけど、あの日の結果見ればわかるでしょ? 諦めて他の仕事さがすわ」
「それがいいよ。鳩怖かったし、タピオカ増やしすぎできもかったし」
「きもい言うな」
鉄板の上でジュージューいいながら音と臭いをまきちらすハンバーグを切り分ける。ちょうどいい火加減。肉汁が舌に触れるやいなや脳みそに直接届く旨味の暴力。俺、今、肉を食っている。という満足感。
「ドキンちゃんは高校生だよね? どこ高?」
ナンパな台詞だな。はたから見たらこれ援助交際に見えるのか? いや、制服じゃないし、なんなら彼女のほうが大人っぽいし問題ないだろう。
「西高。二年だよ」
「え!? このあたりで一番偏差値高いよね」
バリバリ進学校だ。
それにしてはド金髪にピアスって怒られないのだろうかと疑問に思ったが、「勉強さえできればいい」という校風のため何も言われないのだとか。
趣味もないし、やりたい仕事もない。とりあえず勉強をしているが、まだ将来何になりたいかわからない、と語る彼女はあまりにも普通の女子高生だった。十七歳。不定形の生き物。一番不確かな時期なのかもしれない。
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