おさかな煉獄

 指を鳴らすと、煙草の場所が入れ替わる。種も仕掛けもないのに……。

 魔法使いになったのか? いや、俺は童貞だが、まだ三十歳にはなっていない。最近二十歳になったばかりだ。

 魔法使いになる条件が緩くなったのか?

 なんて現実逃避をしてみたが、本当にわからない。仮にヤラハタが魔法使いになる条件なら今頃世間は魔法使いであふれているだろうに。

 理解できないが、仮に俺が突然魔法使いになったとして、できることは煙草の入れ替えだけか?

「増やしたりできないのかな」

 一本を左手のひらに乗せ、右手で指を鳴らす。パチン。

 二本になった。が、増えた煙草にもきっちり「三」と書かれていた。

「そりゃそうか」

 箱の中の一本が手のひらに追加で移動しただけのようだ。

 いや、まだ諦めるのは早い。

 手品といえばコインマジックだろう。もしかして、お金を増やし放題なのでは? と考え、財布から百円玉を取り出した。

 指を鳴らす。二枚に増えた。

 指を鳴らす。三枚に増えた!

 指を鳴らす。……何も起きなかった。

「ですよね!」

 三枚で打ち止めとなった。もともと財布に入っていた百円玉の枚数である。こちらも煙草と同じで、元々俺が持っていた硬貨が行き来するだけのようだ。


 要するに、この魔法は『持ち物の位置を移動させる』程度のことしか出来ないというわけだ。

「手品レベルじゃねぇか! 魔法の意味なくね?」

 ここに手品の上手い無職が爆誕した。


 うだうだと手品魔法――勝手に命名した――を検証していると、いつのまにか空がオレンジに近くなっていた。

「やべぇ! 今日九条さんと飲みにいくんだった」

 散らかした煙草やらなんやらを片付けて、尻についた砂をはらい、俺は約束の店まで急いだ。


「ちょっとジオンくーん、遅刻なんだけどー」

「す、すんません。あとそのアホみたいな名前で呼ぶのやめてください」

 駅近くの安居酒屋『おさかな煉獄』――店内に大きな水槽があり、安価にいきのいい魚を出してくれる庶民の味方――に入ると、九条さんが水槽の魚を眺めながら先に一杯やっていた。九条さんは元バイト先の先輩で、少し年上の女性だ。久しぶりに会ったのだが、肩に少しかかるくらいの黒髪、洒落っ気のない眼鏡、黒っぽい服装といった目立たない恰好を好むのは相変わらずのようだった。しかし、いかんせん素材が良く、普通に美人で隠れ巨乳なためその魅力は隠せていなかった。今も周りの男達がちらちらと九条さんを盗み見している。

 九条さんとは同じ時間帯のシフトに入ることが多く、自然と仲良くなり、時々飲みにいく間柄となった。俺が辞めたあとも時々誘ってくれる優しい人だ。

 ちなみに俺の名前は井龍慈恩で、ジオンというのもあだ名ではなく本名である。まったく、命名した親の顔が見てみたい。

「かんぱーい」

 とりあえず生を流し込む。働かずに飲む酒は美味いか?

 美味いに決まってる。


「それで、就活どうよ?」

「いきなりそれですか。全然ですね。今日も河川敷でぼーっとしてたら一日終わりました」

「ほんと駄目なやつだなぁ」

 彼女はいつも苦笑いしながら軽く流してくれる。ありがたい。ここでマジトーンの説教が始まったら泣く自信がある。

「九条さんこそ就職しないんですか?」

「うっ、それを言われると弱いけど、少なくとも君が言うな」

「へへ。ですよね」

 いつものやり取り。この距離感が心地よかった。ついつい彼女には甘えてしまう。

 話しているうちに気が緩み切ってしまい、いつの間にか酔いはじめていたようで余計なことを口にだしてしまう。

「そういや俺手品できるようになったんですよ」

「はぁ? ほんと暇人だなぁ。まぁいいけど。何? 見せてくれるの?」

「はい。びびりますよ? ここに一本の煙草がありまーす」

 俺は机に置いていた煙草の箱から一本煙草を取り出して、左手で握り込む。

「これをこうして、指を鳴らすとー……」

 パチン! 手を開くと二本の煙草がそこにあった

「二本になりまーす」

「えぇ! すごいじゃん! どうやったの?」

 何の役にもたたないと思ったが、九条さんを楽しませることが出来ただけでも、この手品魔法には価値があるのかもしれない。

 彼女に喜んでもらえたことにより「無職でも生きていていいんだ」という気持ちがわいてきた。嬉しくなってつい酒が進んでしまう。

 煙草を出したり消したりしているうちに、気付いたらだいぶん酔っぱらっていて自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた。

「んー、つづいてはー、あの魚をご覧くださーい。うひひ」

「うひひってちょっと酔いすぎじゃない? 大丈夫? 魚って、あの水槽のこと?」

 水槽の中には料理にされる運命を知らない魚たちがたくさん泳いでいた。タイ、ヒラメ、伊勢エビなどがいる。

「魚を消しまーす」

 あれ? そういえば俺って遠くのもの消せるんだっけ? まぁなんかそんな手品見たことあるしできるだろ。

 指を鳴らした。

 次の瞬間、俺の胸ポケットから、ジョババビチチチ! と、ものすごい勢いで水と魚が飛び出して机の上になだれ込んだ。

「きゃあぁぁ! ちょ、なになになに!? これも手品なの? 馬鹿じゃないの!?」

「どわぁ! えぇい、戻れ」

 パチン! 

 指を鳴らすと魚は消えた。おそらく水槽に戻ったのだろう。

 しかし机の上の大惨事が元に戻ることはなかった。

 その後、九条さんとお店の人にハチャメチャ怒られた。

 おさかな煉獄の店長からは出禁を言い渡された。

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