第十話 疑い

 俺は今、あの日彼女が歩いていた道をたどっている。

 人通りが多いとは言えない道を一人で歩く。夜に呑まれた住宅地は点在する街灯の明かり以外は滅多に通らない車が来ない限り、とても暗い。街灯と街灯の間では色の判別も難しいかもしれない。


 思考がどんどん内にのめり込んでいく。

 疑問は多い。

 彼女が葉山さんでないとすれば一体誰か。

 なぜ葉山さんと瓜二つだったのか。

 部長の部屋の謎。

 机の空いたスペース、奥の湯飲みと乾いた湯飲み。

 そういえば、なぜあの時手が掴めなかったのか……。

「別人だからか」

 一人呟いて気づく。

 彼女は俺の存在に気付いていなかったのに、俺の手を避けたとは考えにくい。

 俺と葉山さんが意識し合うようになったのは、手がよく触れたから。それからの付き合いも長く、彼女はよく手を繋ぐ人だった。

 ノールックでも繋げるほど長く接してきた手のはずはない。

 ということは、すれ違った彼女は葉山さんよりもんだ。

「ん? どういうことだ?」

 確か……身長と両手を広げた長さが同じという話を聞いたことがある。

 その法則に当てはめると彼女は葉山さんよりも小柄ということになる。


 あの日の葉山さんと同じ服装をして同じ香水をつけた誰か。

 葉山さんは出勤退勤するときはきっちりコートの前を閉めている。よって通勤時に中の服まで見ることは難しいだろう。

 だが、彼女はコートだけでなく、隙間から見えた中の服まで同じだった。


 もしかして彼女は社内にいる?


 そうなるともう一人しかいない。

 後輩だ。

 でもなぜ彼女が?


「違うか」

 後輩は葉山さんと全く似ていない。

 丸顔の後輩、面長の葉山さん。

 クリッとした大きなツリ目の後輩、伏し目がちなタレ目の葉山さん。

 鼻筋の通った葉山さんとコロンとした丸い額の後輩。

 やっぱりどこも似ていない。

 それに変装しても髪が難しいだろう。

 黒髪ロングの葉山さんとブラウンに染めたボブの後輩はそもそも長さからして違う。

 長い髪を短くはできても、短い髪を長くは難しいだろう。


 俺はまた迷宮の中へ潜り込んでいく。

 後輩が犯人と仮定して葉山さんに罪を被せて何の得があるのだろうか?

 後輩は葉山さんと仲が良かったはずだ。

 それに後輩の動機が見当たらない。


 駅が近づき、道が活気づいてくる。

 帰宅する人々が吐き出され、各々が家路を急ぐ。自転車や車のライトが眩しく道を浮かび上がらせる。

 光る道の先にはきっと温かく安らぎのある場所があるのだろう。

 今はそれが羨ましい。

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