第九話 実況見分風
俺は藤さんに連れられて部長の家の前に立つ。
「やっぱり納得いかなくなったら現場に戻って一からやり直すにかぎるね。パズルも一回リセットした方が早く解けるだろう?」
そうですね、と相槌を打っている今も心が分離しているような気分になる。
もう二度と来ることはないと思っていた場所。黄色いテープで封をされた場所。
あんなにきっちりした立方体も今はなんだか寂しそうな古民家に見える。
あまり好いてはいなかったが、いざ二度と会えないとなるとグッと目の奥が熱くなり、喉が震える。あれでも一応俺の教育係だった。お世話にはなったんだ。
「ここなら泣いてもいいぞ」
肩に置かれた藤さんの手が温かい。
「大丈夫です」
そっとその手を下ろす。
この温かさに甘えてはいけない。
ただ俺は一昔前の人間に教育された人間だ、男が泣くものじゃない。それにここにはまだ部長がいる気がする。
「気楽にね。思い出したくないだろうけど、詳しく詰めていくからよろしく」
ポケットからハンカチに包んだイヤリングを差し出す。
藤さんは小袋にそれを受けとる。
「どこで見つけたの?」
「廊下の端。部長の指の先を見たらそれがあり、彼女の物と似ていてとっさに隠しました」
俺が盗んだ多分彼女の証拠品。
「そうかポケットに入っちゃってたのか~おっちょこちょいだね」
藤さんはわざとらしく言うと預かるね、と言って鞄にしまった。
はじめから現場で何があって何がなかったかを擦り合わせていく。
玄関で一瞬彼女の使っている香水の香りがして彼女がここにいたと断定したこと。
倒れた部長の伸ばした指の先、庭を望む廊下の窓ガラスの下にイヤリングが落ちていたこと。
話せなかったことを話した。
藤さんからは比較的物が多い居間で中央の机がきれいだったのが引っ掛かるという。
俺は触れていないけれど、来たときからそこはきれいだった証言する。
机の右奥に湯飲みが置かれていたそうだ。
見せられた湯飲みの写真は会社でも好んで使っている部長の湯飲みだった。会社と家両方で使うとは相当気に入っているようだ。
だが、不思議だ。
何も置かれていない机でわざわざ遠くに湯飲みを置く。なぜ?
俺が遠くに置く時は手前で濡らしたくないものを扱うとき。
部長は何か紙でも使っていたのか?
台所では別の湯飲みが洗われており、確認したところ完全に乾いていたという。
その時、藤さんの胸ポケットが光る。
着信らしい。
「お疲れ。はいはい……」
状況が変わったらしい。
藤さんは急いで戻らないとならないという。
「彼女、葉山さんにはまだ会えませんか?」
「会える状況じゃないんだ。じゃまた連絡するから」
藤さんは行ってしまった。
彼女にあいたい。
そして何があったか聞きたい。
でも会える状況じゃないってまだ取り調べとかあるのか?
とそこまで考えてからこの流行中のウイルスのせいかと思い浮かんだ。
最近よく高齢者施設や病院での面会謝絶が取り上げられていた。
警察もそういうことか。
一人で納得して帰路につく。
そして誰もいない外で少しだけマスクをずらす。新鮮な空気を肺とマスクに補てんする。
マスクに慣れすぎて外で外すことに一抹の背徳感を覚える。これがまたクセになる。
新たな扉が開きそうで少し不安になった。
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