第5話 燕の子安貝


 燕の子安貝が当たった時は実に幸運に思えた。

 燕はごく稀に宝貝を産むという。その貝は、不思議な力を持ち、巣の中のヒナの成長を助けるという。その子安貝を手に入れればよいのだ。

 これは他の四人の課題に比べれば随分と容易いことに思えた。

 早速にして中納言石上麻呂は配下の者を集めて命令を発した。燕の巣を探り子安貝を見つけ出せ。領地の者にもお触れを出した。燕の巣の中に子安貝を探せ。見つけ出したものには莫大な褒美を与える。

 ほどなくして多くの者たちが石上麻呂の屋敷を尋ねて来た。

「殿様。ご所望の子安貝です」

 ことここに至って、石上麻呂ははたと気がついた。

 眼の前に並ぶこの子安貝の数々、いかにして本物と証明するのか。貝は大きさ色形の違いはあれど、どれも普通の貝に見えたからだ。漠然とだが、この世に二つと無き至宝であるからには、暗闇の中で光るとか何とか、ひと目で見て判る違いがあるものだと思いこんでいたのだ。

 心の中に浮かんだこの疑問は、そのまま貝を持参した者たちにぶつけられた。お主たち、この貝が本物であることを証明してみせよと。

 一刻もしない内に訪れた全員が退散した。最後まで粘っていた者も、結局は何もできぬまま帰る羽目となった。

 果たしてこれらの中に本物は混ざっていたのか?

 いや、本物かどうかはこの際問題ではない。問題は、輝夜姫がそれを本物と認めるかどうかなのだ。たとえそれが本当に燕が産んだ子安貝であろうとも、ただの子安貝と寸分変わらぬならばそれは意味がないのだ。例えば暗闇の中で燦然と輝くや、あるいはそれが触れた傷を治すなど、普通と異なる所がないといけない。


 これは途轍もない難問であった。

 だが、だからと言って輝夜姫を諦める気は毛頭なかった。

 困ったときは、陰陽師に任せればよい。石上麻呂は陰陽寮を尋ねた。


「さよう。では、貝のことならば、貝の王を尋ねるが良いでしょうな」

 陰陽博士安倍公麿は説明した。目の前に金子を積まれればさしもの無口な博士も饒舌となろうというもの。

「中つ国の東の浜の沖に、蜃とよばれる巨大な蛤が生きております。この蜃、ときたま海上に浮き上がり息を吐きますると、これが蜃気楼となりまして海上に幻の都を作り出しまする」

「そこに燕の子安貝があるのじゃな」

 石上麻呂ははっしと己の膝を叩いた。ついに解決の緒を掴んだのだ。

「さようでございます。貝の王ならば当然ながら燕の子安貝も臣下に収めておる理屈。恐らくは蜃気楼の中に浮かぶという幻の都の宝物庫の中に、大事に収められておるに違いありませぬや」

 そこまで聞けば十分であった。領地に飛んで帰ると旅の手配をして、ただちに出発した。摂津から回船に乗って下関に回り、危険なることこの上ない遣唐船にも躊躇わずに乗り込んだ。中つ国沿岸を南下し、蜃気楼が出るという噂のある浜についたは、出立より六ヶ月後のことであった。

 分からぬ言葉ながらも何とか身振り手振りで聞き出した浜に立ち、待つことしばし、海上に靄が立ち込めたと思ったら、またたく間にそれは成長し、見事な都市へと化けた。


 蜃気楼である。

 その威容に見とれている中、蜃気楼の城郭から一本の道が伸びてきた。それは雲でできているようなどことなく頼りなげな感じがあったが、試しに足を乗せてみると石上麻呂の体の重みを見事に受け止めてみせた。

 蜃気楼は時間が経つと消える。そう聞いていたので慌てて幻の道をたどり、蜃気楼の城郭へと登った。城の中はまるで普通の城に見えた。少しだけ色が透き通っているような感じはしたが。

 白い肌の背の高い人々が急に周囲に現れると、話しかけてきた。日の本の言葉とも中つ国の言葉とも聞き取れる奇妙な言葉であった。

「ようこそ。稀人。お客人よ。歓迎いたしましょう」

 蜃気楼の街に棲む蜃気楼人たちは石上麻呂を街の奥へと案内した。

「待ってくれ。私は輝夜姫との婚礼の祝いとなす燕の子安貝を探してここに来たんだ」

「燕の子安貝ならば宮殿の宝物庫にあります。ここではそれほど貴重なものではありませんので、後ほど差し上げましょう。まずは私たちの歓待をお受けくださいませ。ここでは地上から人が来るのはとても稀なのです」

 ここで石上麻呂は大事なことを思い出した。

「燕の子安貝とは一目見て判るものなのか?

 宝物としての外見を持っているのか?」

 それを聞いて蜃気楼人たちはそよそよと不思議な笑い声を立てた。

「見た目は普通の宝貝です。しかし燕の子安貝は子供の成長を助け、病気を治す力があります。病気の子供に持たせればどんな病気も一晩で治りますので、それが宝物の貝であることが分かります」

 石上麻呂は驚いた。なんとそのような判別法であったとは。石上麻呂の気持ちには構わず、蜃気楼人たちは宴の席を設けた。宴会は何時果てるとも知れず続いた。

 蜃気楼の都は大きな貝の怪物である蜃が吐き出す気の塊の中に存在する。蜃が長い長い呼吸をするたびに短い時間だけ現世に出現し、すぐにまた消える。消えている間は蜃の体の中に蜃気楼は存在する。つまりその間は下界へ戻ることは叶わない。

 蜃気楼の中での生活は長く続いた。蜃がいつ気を吐くかは予測がつかなかったが、それは大概にして石上麻呂が眠っている間だったからだ。

 蜃気楼の街では石上麻呂は大事にされた。この街を訪れる客人は少なく、訪れている間に大勢の子を成して貰わねば、街が衰退してしまうからだ。今でさえ蜃気楼人は下界人とは異なる外観になりつつある。このまま後数世代経過すれば、きっと人とは似つかぬものになってしまう可能性があった。

 稀人たる石上麻呂の存在は街の存続のための子種としてそれだけ貴重であった。

 毎日、不思議な香りのする蜃気楼人の女人たちが石上麻呂の寝室を訪れた。食卓には山海の珍味が並べられ、さらには街の人々の尊敬が捧げられた。日々、石上麻呂を父親とする新しい子が生まれ、蜃気楼の街はそのたびに賑やかになっていった。

 その内、十分な数の子供ができたと思われたのか、石上麻呂に燕の子安貝が差し出された。

「今まで貴方を騙していたことを謝ります。できるだけ長くこの街に居て貰うために、お薬で眠っていただいていたのです。実は蜃が気を吐く周期は予測がつくのです。もう間もなくその時が訪れます。できるならばこの街に残っていただきたいのですが、無理に引き止めるのも恩知らずの所業と思い、このように致すことになりました」

 なんとそうであったか。いまさら怒る気にもなれず、石上麻呂は燕の子安貝を手に取った。手に入れてみれば何の変哲もないただの貝に見える。女官に案内されていった先には下界へとつながる道が続いていた。あの見覚えのある海岸へと雲の橋が繋がっている。

 石上麻呂は地上を見下ろし、そして背後の街を見た。大勢の蜃気楼人が、胸に赤子を抱いて見送りに来ている。すべて石上麻呂の子供たちだ。この子たちとももう会えない。これが今生の別れになるのだろう。女官の説明によると、一度この蜃気楼の街を出た人間は二度と再び戻って来ることはできない。そういう掟なのだと言う。

 足下を見下ろし、背後を振り返り、もう一度足下を見下ろした。この道の先には輝夜姫がいる。あの夜の中に美しく輝く姫がいる。

 しかし、はたして姫は待ってくれているのか?

 もう随分と長い時が経ってしまっている。よもや他の求婚者が先に宝物を手に入れて輝夜姫と婚姻を結んでしまったのではないか。あるいは女狂いで有名な帝が強権と強欲を発動して、五人の求婚者を差し置いて輝夜姫を手に入れているという可能性もある。あるいはあれほどの美しさなのだ。月からお迎えが来て輝夜姫を異界へと連れ去った後ということも、もしかしたらあるのかもしれない。あの現実ばなれした輝夜姫の挙動を思えば、そんなことがあっても不思議ではない。


 石上麻呂は踏み出しかけた足を引き戻した。

「私はこの街に住み続けようと思う。日の本の国に帰るのは諦める」

 それを聞き、蜃気楼人たちは歓声を上げた。

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