第3話 龍の首の珠
東海龍王。
唐の国の東の海を支配すると言われる龍の王様。そんな大物であればこそ、必ずや龍の珠を持っているはずと、大納言大伴御行は結論づけた。そうと決まれば愚図愚図はしていられなかった。首尾よく龍の珠を手に入れたとしても、他の求婚者より後になってしまえば意味が無いのだ。輝夜姫のあの美しい肢体が誰か他の男のものになってしまうことを考えると、大伴御行の心は嫉妬に燃え、その魂は焼け焦がれた。
何としても、自分が最初の一人でないといけない。
そのためには金に糸目などつけてはいられなかった。所領を担保に大金を借り、めぼしいもの総てを売り払って、一艘の大船を仕立て上げた。熟練の水夫を雇い、百戦錬磨の強者どもを呼び寄せた。敵は龍王。どれだけの軍備を揃えたとしても足りはしない。
ありったけのものを集めると、吉日を選んで船は出航した。船の舳先に立つは綺羅びやかな甲冑に身を包んだ大伴御行の姿があった。
船が出て四十と八日目。船はついに目的の海域へとたどり着いた。ここは土佐の沖合。波が荒れることで有名な場所だ。陰陽寮頭の話によると、この荒れた波の下に竜宮城が眠っているとのことであった。
竜宮城には招待された者しか入れぬ。だが、大伴御行の目的は竜宮城に入ることではなく、龍王に相まみえること。ならば話は簡単だ。
「東海龍王。東海龍王。ここにいるは大納言大伴御行なり。いざやその姿を見せたまえ」
船の上で大声でおらばった。
「姿を見せねば、東海龍王は大納言大伴御行を恐れて姿を隠したと天下に広めよう。その名ほどではない臆病者と罵り、あざけ笑ってみせようぞ!」
それを聞いて船の上にいた者たちは顔色を変えた。特に元より海の者たる水夫たちは。嵐と海の神である龍王を怒らせたら、陸へ戻ることはできぬ。
周囲の人間がこの大伴御行の蛮行を止める間も無く、大風が吹いた。海の表面がざわめき、波打ち、のたうち回った。深海の底の底から、何か大きなものが浮かび上がって来た。巨大なる顎、蘭蘭と光る眼、無数の鱗に覆われたその体。
東海龍王が出現した。その首に光る珠が一つ燦然と輝いている。
「弓を貸せ!」
大伴御行は叫ぶと、震えるお供の手から長弓を奪い取る。矢を一本つがえると、ひょうと放ってみせた。
矢は龍王の鋼の鱗に当たり、情けない音を立てながら、むなしく跳ね返った。
「何をしている。皆の者。矢を放て!」
大伴御行は背後を振り返り、皆が腰を抜かしてへたり込んでいるのを見て、唖然とした。
龍王の体が素早く動いた。船の帆を破り、甲板に穴を開け、舵を叩き砕き、ついでに水夫を数人海の中へと引きずり込むと、再び海の中へと消え去った。
龍王たるものその威容を見せた以上は、愚か者にいつまでもかかずりあってはおれぬ。
船が漂流した挙句、陸にたどり着くまでに十日ほどかかった。
陸につくとすぐに次の船を仕立てようとしたが、その前に噂は広がり、もはや水夫になろうとするものは誰もいなくなってしまった。屈強だったはずの剛の者たちもどこへとなり逃げてしまい、大伴御行は一人で孤立した。
ここで諦めてなるものか。大伴御行は決心した。脳裏に映るはあの美しき姫の姿。龍王に出会う所まではいけたのだ。あの首に掛かっていた龍の珠まではあとわずかだったのだから、諦めきれるわけがない。
今度は一人で扱える漁船を仕立てた。たった一人で船に乗り、恐らくは竜宮の真上であるはずの場所へと再び漕ぎついた。ところがいくら大音量で呼ばわっても、二度と龍王は出て来なかった。
「うぬ。あやつ。この私から逃げおって」
半分正解で半分誤解の言葉を吐くと、大伴御行は龍王を追った。この海にいないならば、きっと別の海に移ったに違いない。きっとまだ遠くには行っていないだろう。
そう信じた。
船は西へ西へと進んだ。関門海峡を過ぎ、荒れた日本海へと出た。そうして九州の西岸を南下し続けた。道々、龍王の居場所を尋ねながら。
二か月も経たぬうちにただでさえ乏しい路銀は尽きた。漁船は売り払い、代わりにその港に来ていた貿易船に乗った。水夫として雇われたのだ。生まれて初めて労働というものをした。最初はきつかったが、やがて厳しい労働にも慣れた。筋肉もつき、日に焼け、水夫の使う汚い言葉も覚えた。
それでも龍王は見つからなかった。
日本海の荒波を越えるのは恐ろしい体験だった。しかし彼はくじけなかった。
その内に日ノ本の国の言葉の通じぬ所にたどり着いた。苦労の末にそこの国の言葉も覚えた。何度もここで引き返そうとも考えたが、その度に脳裏に輝夜姫の芳しい姿が浮かんだ。整った顔に、すらりと伸びた手足。鈴を震わすような素敵な声に、優雅な仕草。それら総てが龍の首の珠一つで贖うことができるのだ。諦められるわけがない。
言葉は覚えた。覚えないと野垂れ死にだ。そうやって西へ西へと流れ続ける内に、新しく覚えた言葉の通じぬ所にたどり着く。またもや片言ながらも知らぬ言葉を覚えた。
そうこうしている内に、小さいながらも自分の船を持つようになった。貿易は儲かる。途中に待ち構える悪天候に海賊に悪辣な役人さえうまく避けるコツさえ掴めば。
船はやがて大きなものへと代わり、部下も増えた。それ以上大きな船が手に入らなくなると、今度は船の数を増やした。大船団をまとめあげ、あらゆる海を巡った。
それでも龍王は見つからなかった。
じきに行き合う国の王が深々と頭を下げるようになった。彼の率いる船団は伝説となり、一国の経済を左右するほどの財物を運ぶようになった。行き先は船団長以外はしかと分からず、ただ噂では龍が出没するという話があれば、ためらわずに出航するという話があった。
大きな船団の一番大きな船の舳先に立って、大伴御行は常に前を見つめていた。
大海原の先に伸び上がる竜巻を見ては龍ではないかと胸を高鳴らせ、見知らぬ陸地の影を見ては龍の隠れたる棲家ではないかと疑ったりもした。
船団はさらに大きくなり、背後に長い航跡を引く。それ自体がまるで大きな龍のように。青い海に白い跡を残して、ひたすらに進んだ。
凍てつく氷の海を。大声で叫ぶ嵐の中を。照り返す赤道の暑さの中を。潮と、風と、太陽が、大伴御行を鍛え上げていた。血に飢えた原住民と海賊たちと敵国の海軍が、大伴御行を磨き上げていた。
盛り上がった筋肉に見事に日に焼けた肌。背後に続く大船団はいずれも彼に無謬の忠誠を誓っている。
ある日、長い長い航海の後に、緑の大地に行き着いた。
優しい木々の匂いのする大地であった。大船を指示して浜に着くと、村人が恐る恐る近づいて来た。
「あんた達、あんな大きな船を引き連れて、どこから来なすったね?」
村長と思われる男が訪ねた。
知らない言葉。だが聞き覚えがある。思い出す。懐かしい故郷の言葉。
大伴御行は、はっと気づいた。龍を求めてひたすらに西へ西へと旅をしてきた。ギリシアなる賢者の国にて聞いたことがある。世界は丸いのだと。とすればこうして西へと旅を続ければ、いつかは、故郷、日の本の国へと着くのではないかと考えたことがある。
まさか事実だったとは。
龍は見つからなかった。だが代わりに天地を丸ごと買えるほどの財物を手に入れた。
姫は待っていてくれているのだろうか?
この財物で龍の宝珠の代わりと認めてくれるのだろうか?
だが、と大伴御行は思った。ここで姫の下に帰れば俺の旅は終わる。二度と再び航海に出ることはなくなるだろう。大伴御行は目の前に広がる緑の大地を見て、そして背後の青く果て無き海を見た。
両者を見比べ、考えた。俺が住むべき、いや、俺が棲むべき場所はどちらなのかと。
答えが出るまでに長くはかからなかった。
「出航だ!」
大納言大伴御行は部下に向けて叫んだ。
「龍を探しに行くぞ!」
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