第2話 蓬莱の金銀珊瑚でできた枝


 車持皇子は頭を抱えていた。

 蓬莱の木の枝だと? そのようなものがこの世にあるものか。

 だが、輝夜姫のあの真っ白なうなじ。凛とした佇まい。一点の傷も無い滑らかなる肌。傾国という表現がぴったりくるほどの美貌。輝夜姫という名の芸術品が存在する以上、金銀珊瑚の枝もまた存在するはずであった。

 真っ先に考えたのは、本物の金銀珊瑚で枝を偽造すること。一応輝夜姫には釘を刺されてはいたものの、それが根付かぬと気づかれるまではごまかせる。その間に輝夜姫との間に既成事実を作ってしまえばバレたとて何ほどのものでもない。

 車持皇子は夜遅くに工芸の匠の頭の下を訪れた。しばらく話をしてからそれとなく水を向けたところ、喜んで金銀珊瑚の枝を作ってくれるとの色良い返事が貰えた。

 それを聞いて車持皇子は内心小躍りした。ただし代金は前払いと続けて聞かされるまでは。考えてみれば当たり前のこと。それほどの金銀珊瑚の細工物、前払いでなければまず材料自体が揃わぬ。

 次の日の夜には車持皇子が匠の頭を訪ねたことはすでに周囲で噂になっており、偽物を作る企ては敢え無く潰えた。

 こうなっては実際に実物を手に入れる他は手が無い。


 蓬莱島は中つ国の東の海上にあるという仙人たちの住まう島だ。ということは日の本からは南にあることになる。日の本でも金銀は算出するが珊瑚が生えることはないから、蓬莱島の枝に珊瑚が生るのは確かに理屈ではあっている。

 車持皇子は船を仕立てて旅に出た。幸いにも遣唐使に伝手があり、長い長い時間がかかったが中つ国へと辿り着くことができた。

 一緒に出た四隻の船の内の二隻が沈んだ。想像以上の長旅により旅費の大部分を使い果たし、車持皇子は相当みすぼらしい成りになっていた。金銀珊瑚の枝を贖うための余分な金子を持っていなければ、ここに辿り着くこともなく旅の途中でのたれ死んでいただろう。

 問題はその金子をすでに旅費に使い果たしてしまっていること。これでどうやって金銀珊瑚の枝を買い求めよう。そしてまた日の本の国へどうやって帰るのか。

 それ以上は考えるのを止め、車持皇子は周囲一帯で聞き込みをした。やがて海の上に蓬莱島が見えるという噂を聞きつけ、その場へと赴いた。


 着いてみれば噂は本当で、海の向こうに小さな島が一つ燦然とした輝きに包まれて鎮座ましましていた。島の大部分は霧に包まれていたが、見える部分だけでもキラキラと何かが輝いている。

 思わず海岸へと走りいでると、浜には一艘の小舟が乗り上げていた。これぞ天の助けとばかりに乗り込むと、小舟はギイギイときしみ音を立てながら、蓬莱の島目掛けて勝手に進み始めた。

 はて、これは面妖な。櫂もないのにこの船はどうやって進んでいるのか、と呆れているうちに、やがて小舟は島に一つだけある桟橋へと着いた。

 体の半分を覆う白い顎髭を生やした老人が一人、そこで待っていた。老人は車持皇子の顔を見ると声をかけて来た。

「よくぞ、ここまで参られた。弟子入り志願者じゃな。さあ、島に上がるがよい。そうともここが蓬莱島じゃ」

「ということは貴方は仙人さまで」

「うむ。まあ、当たりじゃ。さあ、こちらに来るがよい」

 老人の後について島の中央に聳える蓬莱山に登ることになった。柔らかな緑と見たこともないような極彩色の鳥に囲まれて、何やら良い香りのする中を島の中央目掛けて進んだ。木々はやがて煌めく何かに置き換わっていった。それが金銀珊瑚でできていると知って車持皇子の心臓は高鳴った。背後を歩む車持皇子の物欲しげな視線を知ってか、案内をしていた仙人がどことなくおかしさを含んだ声で言った。

「欲しければ枝を取ってもよい。枝が取れたらそのまま帰ってもいいよ」

 躊躇う理由はなかった。車持皇子は手を伸ばし、枝を一本折り取ろうとした。だがその華奢に見える枝はどれだけ力を込めてもびくともしない。

 それを見て老人はカラカラと笑った。

「仙人としての修行をしない限り、お主が素手でここの枝を折り取ることはできぬというものよ。さあ、諦めてこっちへおいで」

 老人につれて行かれた先には、この島には似つかわしくない粗末な小屋があった。

「今日からここでお前は修行をするのだ。修行を積んで位が上がれば、そのたびにより山の高い場所に移ることになる。蓬莱山の中腹に至った頃には、島の木の枝を折り取ることもできよう。そうなったら自由に枝を取って、家に帰ってよい」

 それだけ言うと老人は姿を消した。


 修行は水汲みであった。用意された瓶を持って泉に行き、水を汲んでは寝床の傍に置いてある大瓶の所まで運びそこに貯める。大瓶が一杯になると、どういう仕組か中味はまた空になり、最初から同じことが繰り返される。

 この修業を初めて百日目、再び老人が現れると、次の庵へと案内してくれた。

 今度は火炊きの修行であった。目の前で燃え盛る炎にうず高く積まれた薪を投げ込みながら、車持皇子は尋ねた。

「今度の修行はいつまで続くのですか。それと修行は後いくつあるのですか」

「そなたの修練しだいじゃが、まあ百日ほどじゃろう」老人は説明した。

「それと今のお前さんは弱丹生という見習いの位じゃ。この火の修行が終われば柔和生と言う位になる。すべての修行が終り、仙人になるには百七の位を経る必要がある」

 心して励めとだけ言い残して老人は消えた。何としても逃げようと車持皇子は決意した。

 だが、このまま逃げても時間を無駄にしただけだ。何としても、金銀珊瑚の枝を手に入れなくてはいけない。だが、素手で枝を折り取ることは叶わぬ。ならばどうすればよい?

 答えの出ぬままに修行を続けた。また百日経つと老人が訪れ、次の小屋へと案内された。

 次の修行は島に算出する丹砂の採掘であった。鋼のように硬い赤い石に鶴嘴を振り下ろす。手にマメができ、そのマメが潰れてまた次のマメができる。

 さらに百日が経過する。今度は斧を渡されて、仙境ナナカマドの木を切らされた。切った枝は二番目の修行の小屋の外に積み上げておいた。

 ふと思いついて、車持皇子はその斧で金銀珊瑚の枝を切ってみた。素手では折り取れぬその枝も、仙界の道具である斧に当たるとあっさりと切ることができた。

 枝を手に取ってみると見た目よりもずっしりと重い。金の枝に、珊瑚と真珠がぶら下がっている。大粒の真珠の実がたわわに成ったそれは実に見事なものだった。残念ながら銀でできた根の部分はないが、これでも輝夜姫は喜ぶのではないかと思った。もちろん根が無くては根付くことはないはずだが、なにせ仙界の植物だ、案外にこれだけでも土に埋めれば根付くやもしれぬ。それに輝夜姫はどうあれ、竹取の長者の方はこの枝欲しさに輝夜姫を説得してくれるのではないか。そう思った。

 壊れぬように慎重に枝を布で包むと、見つからぬ内にと島の船着き場へと走った。

 桟橋に繋がれている幾つもの小舟はどれも同じに見えた。その舳先には何やら文字が彫られているが、そもそも仙界の文字など車持皇子に読めるわけがない。えいやと手近の小舟に飛び乗ると、もやい綱を解いた。船がゆらりと海流に乗って動き始める。

 そのとき蓬莱島の桟橋に老人の姿が見えたが、仙人は別に船を止める素振りをするでもなく、静かに車持皇子を見つめるばかりであった。

 来たときとは逆の光景を辿り、やがて小舟は海を渡り切ると浜へと着いた。


 ここはどこだ。追っ手はかからぬか。さて、どうやって日の本へ帰ろう。輝夜姫はまだ待っていてくれているだろうか。さまざまな思いが車持皇子の胸中を交差した。

 そこまで来て初めて、周囲が見慣れぬ光景であることに気づいた。

 地面は土でもなく石畳でもない継ぎ目のない白い石の素材で埋め尽くされている。周囲の建物もすべて石作りで、むしろ木の建物は見当たらなかった。金物でできた車が幾つも転がっている。それを引くべき馬も牛もどこにも見当たらなかった。

 外は日が暮れようとしていたが、その代わりに建物自体が奇妙な乳白色の光を放ち始めた。

 その夕焼けの空に黒い何かが群れをなして飛んでいた。遠くで雷のような音がして、幾人かの人々が必死の形相でこちらへ向けて走って来た。どの人も見慣れぬ服装をしている。空を飛んでいた黒い何かが小さなホコリのようなものを空中に吐き出すと、それは地面へと落下し、大きな音と炎を立てて空を焦がし始めた。

 あれは何だ?

 この国にはあのような妖怪がいたのか。驚きとともにあちらこちらと彷徨った。やがて自分が元いた場所から、いや、元いた時代から大きく異なる場所に居ることを理解した。仙境の小舟はなにか分からぬ術で彼を遥か遠くへと運んでしまったのだ。

 蓬莱島に戻ろうにもあの小舟はすでに無く、それから長い間探しはしたが、決して小舟が見つかることは無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る