謎解きはバズーカを撃つ前に

一初ゆずこ

1 白昼夢の名探偵

 この現実が、本当に白昼夢はくちゅうむならよかったのに。陽炎かげろうが立ち上るアスファルトを進んでたどり着いた決着の場で、僕は潮風しおかぜに吹かれながら思った。

 木製の扉にはまった窓ガラスには、くすんだ青色のカットソーに黒いズボン姿の僕が映っている。窓ガラスに掠れた白い文字で書かれた『白昼夢はくちゅうむ』という店名が、没個性的な男子大学生の顔を横断おうだんして、こめかみと両目にモザイクをかけていた。炎天下えんてんかを走った所為で乱れた呼吸を整えてから、僕は『白昼夢』に続く扉を開けた。

 カラン、とグラスに沈む氷のようなベルが鳴り、店内の視線が一瞬だけ僕に集まった。水色を基調きちょうとしたレトロな店内はせまく、レジスターがある入口から奥に向かって三つ並んだテーブル席に、厨房ちゅうぼうかこむカウンター席が寄り添っている。黒いエプロンを身に着けた高齢こうれいのマスターが「お好きな席へどうぞ」と低い声で言った。午前十時半という朝と昼のあわい純喫茶じゅんきっさに、客はたったの二人だけだ。

 一人は年配ねんぱいの男性で、一番奥のカウンター席に座って、オムライスを食べている。もう一人は、セミロングの黒髪が知的ちてきな女子大生。こちらも一番奥のテーブル席で、僕に気づかないふりをしている。僕は意識的に笑みを作り、ふじ色のサマーワンピースが似合う美人のもとへ近づいた。

「奇遇ですね、静乃しずの先輩」

「どうして羽柴はしばくんがここにいるの? みんなと一緒に映画研究部の撮影現場に行く予定だったんじゃないの?」

「寝坊しちゃって、置いていかれました。急いで追いかける途中で、この喫茶店の前を通りかかったら、窓から先輩が見えたので……」

「息が上がってるくせに、ゴールを間違えてるわよ。こんな所で油を売ってないで、早くみんなの所へ行ったほうがいいんじゃない?」

「僕は出演しませんから、いてもいなくても、どっちでもいいんです。それに、名探偵には助手が必要でしょう? 明智あけち静乃先輩、僕も同席させてください」

「ふざけてないで、本当の理由を言いなさい。君はどうしてここにいるの?」

 お決まりの軽口を叩いただけなのに、普段よりも強めに言い返された。しょぼくれた僕は「お腹が痛かったので、宿で休んでいました……」と弁解べんかいした。そのタイミングでマスターが水を運んできたので、僕は静乃先輩の対面の椅子に座ってメニューを見る。静乃先輩も注文はまだだったようで、風鈴ふうりんのように涼しげな声で言った。

「白昼夢カレーを一つ」

「あ、僕も同じものをお願いします」

「お腹が痛いんじゃなかったの? 刺激物しげきぶつ摂取せっしゅして平気なの?」

「平気です。胃の具合と空腹は別問題なので」

「ふうん」

 静乃先輩は胡乱うろんげに嘆息たんそくすると、八月の陽光が射し込む窓辺へ目を向けた。透明なグラスに注がれた冷たい水に、輪切わぎりのレモンが瑞々みずみずしく浮いている。さわやかなフレーバーの水で乾いた喉をうるおしてから、僕は静乃先輩にたずねた。

「静乃先輩は、撮影を見学に行かないんですか?」

「行かない。来月の文化祭で、出来上がりを上映するもの。過程かていには興味がないわ」

 そううそぶく静乃先輩は物憂ものうげで、薄茶色の瞳に僕を映そうとはしなかった。せみが賑やかに鳴く声が、店内に流れるピアノのBGMと重なった。水を飲み干した僕も、強い冷房を受けて汗が引いていくのを感じながら、窓の外に目を向ける。白い芙蓉ふようの花が咲き誇る低木の緑のけ目から、車道と防波堤ぼうはていを挟んだ向こう側の景色が見えた。

 青い海と空を分かつ水平線と、まばゆく照り輝く灼熱しゃくねつの砂浜が、今日が絶好のクランクアップ日和びよりだと教えてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る