第10話 魔王、和解する2

 止めるべきか、行かせるべきか。

 迷っていたところ、意外にも魔理沙が待ったをかけた。


「龍之介さん。助けに入るのなら少々お待ちを。あなたの魔力を最大まで引き出せるようにします」

「魔力を?」


 説明する時間も惜しいと言わんばかりに、魔理沙は龍之介の背中に手を当てた。

 すると龍之介が驚いたように目を見開く。


「なんだこりゃ。身体の中から魔力が溢れ出てくるぞ?」

「概念体から切り離された時に付いてきた、微量の魔力を活性化させました。絶対的な魔力量は増えていませんが、眠っていた魔力を一時的にフルで使えるはずです」

「ちょちょちょ、ちょい待ち。なんで魔理沙はそんなことができるんだよ」

「私は《魔女》ですよ? 魔力の扱い方は誰よりも心得ています」


 事もなげに言ってみせる魔理沙。


 よくよく考えてみれば、確かにその通りだ。魔力操作は転生前から心得ている技術であり、今が人間の身体だとかは関係ない。そこに魔力さえ存在すれば簡単にできる。別に魔力を増加させたり、魔法に昇華させたりしたわけではないのだ。


「ってことは、俺様も多少は無茶できるってわけか」


 龍之介が全身に力を込める。

 突然、腕や頬に薄い鱗のような物が浮かび上がった。


「お前も!?」

「実感できるくらいの魔力が使えるわけだからな。つっても、これが限界だ。近距離で見ないと判別できない程度にしか変身できねえよ」

「魔理沙、私もお願い!」

「分かりました」


 魔理沙の手が背中に触れるのと同時、体内の中にある何かが弾けた。


 馴染みあるこの感覚は、間違いなく魔力だ。眠っていた魔力が今、全身を駆け巡っている。

 これなら私も少しは戦えるはずだ。


「人質を取っている男の視力を奪います。合図をしたら突撃してください」


 言うやいなや、魔理沙が虚空へと息を吹きかけた。

 息はやがて風となり、空中に舞っていた塵を集めていく。そして男の元へと到達したのか、人質から手を放して目をこすり始めた。


「な、なんだ? 目にゴミが……」

「今です!」


 龍之介が疾風のごとく勢いで土手を駆け降りる。私も転がるようにその背中を追う。


 河川敷に降りてからは早かった。目にも止まらぬ速さで距離を詰めた龍之介が、人質を取っている男をワンパン。解放されてたたらを踏む女の子を、私が抱きしめる。


「大丈夫?」

「う、うん」


 一目見た感じでは怪我らしい怪我はないようだ。一安心。


「鬼頭! 人質は保護したぞ!」


 声を上げる。すると岩山が動いた。二メートルを超す大男が、のっそりと立ち上がる。


 その時点で、すでに鬼頭への暴行は止まっていた。武器を持っているにもかかわらず、チンピラは自分たちを見下ろす《鬼》にしり込みする。


 拳を握る鬼頭。そのまま反撃するのかと思いきや、奴は何故か地面を殴りつけた。


 それは人の業ではなかった。拳が衝突した場所を中心に、周囲数メートルの範囲で地割れが起きる。それはまさに稲妻が落ちたが如くの衝撃だった。


「一回だ」


 チンピラたちを睨み上げる形になった鬼頭が、小さく警告する。


「一回だけ、俺はこの拳を人に向けて振るおう。だが一回でも振るった場合、俺は罪の意識に耐えかねて戦う気力を失うだろう。それ以上は抵抗するまい。お前たちの制裁を受け入れる」


 言い換えれば、一人を生贄に捧げればいくらでも殴らせてやるということだ。


 だがしかし、あんな威力の拳を食らってしまえば、上半身と下半身がおさらばするのは目に見えている。そこに待っているのは確実な死だ。


「さあ、誰が受ける?」


 一発だけは必ず撃つ。鬼頭の目は、嘘偽りでないことを物語っていた。


 どうやら世界一と称しても過言ではない鬼頭のパンチを受ける度胸のある者はいなかったようだ。恐れ戦いたチンピラたちが、一人、また一人と震える足を酷使して逃げていく。


「お、おい、逃げんなやテメェら! 待て!」


 恨み節で挑んできたチンピラが引き留めるも、残念ながら立ち止まる者はいない。

 自分の命と引き換えに命令を聞けるほど、人望があったわけではないということだ。

 慌てふためくチンピラの前に、鬼頭が立った。


「俺の一回は拳を振るうまで常に有効だ。もし覚悟が決まったら、また俺の元に来い」

「ひい」


 情けない悲鳴を上げたと思えば、チンピラは脱兎のごとく逃げ出していた。

 ふん、ざまあみろ! 可愛い女の子を巻き込んだ罰さぁ!


 とはいえ、ほとんど怪我すら負わせずに撃退できてよかった。唯一龍之介にワンパンされた奴がめっちゃ苦しそうに腹を押さえて逃げてったけど、まあ大丈夫だろう。


 チンピラたちの完全撤退により、場の空気が安堵に満ちる。

 とそこへ、立ち上がった桃田が鬼頭の元へと歩み寄ってきた。


「すまない、鬼頭。今回ばかりは空気を読めず出しゃばりすぎてしまった。許してくれ」

「いや。お主が話し合いを提案しなければ、俺は手を出していたかもしれない。感謝する」


 やり取りを聞いていた私の耳がピンと跳ねた。


「そうですよ、桃田先輩! 鬼頭はあれだけのチンピラ相手でも手を出さなかった。力はあるけど、決して暴力的な奴じゃないんです! 中学の頃の暴力事件だってそう。あれは自分のクラスの生徒があのチンピラに襲われてたから、反射的に助けただけなんです。事実、アイツが魔理沙を無理やり連れて行こうとしたところを私たちも目撃しました!」

「鬼頭が暴力に及んだ理由なら、私も知ってるよ」

「へ?」


 知っていてもなお、暴力を肯定してはいけないと断言したのか? 他人を助けるためなのに? 当時の現場に居合わせたわけでもないのに、理想論だけ語るのはあまりに無責任じゃないか?


「違うんだ、瀬良君。私が鬼頭を気に掛ける理由はそうじゃない。そこじゃないんだ」

「?」


 だったら何なのだ?

 問い返そうとしたところで、鬼頭の身体が唐突に崩れた。「うぐぅ」と呻きながら、頭を押さえて膝をつく。


「おい鬼頭! 大丈夫か!?」

「待て瀬良君。頭を何度も殴られてるんだ。無暗に動かしちゃいけない」

「いや……少し眩暈がしただけだ」


 心配させまいと、鬼頭は無理やりにも立ち上がる。


「そうは言っても、一度は病院で診てもらった方がいい。肩を貸すぞ」

「……すまない」


 鬼頭に比べれば小さすぎる桃田の肩を借りて、二人は歩き出す。


 いがみ合っていた二人が助け合う。《勇者》と《魔王》ならあり得ない光景だな。と、複雑な心境のまま黙って二人を見送ろうとしていたのだが、ふと鬼頭が足を止めた。そのまま肩越しに振り返る。


「せっかくの機会だ。この際だからセラマオ殿には話しておこう。桃田が俺に突っかかってくる理由、俺が桃田の小言に反論しない理由を」

「え?」


 唐突な鬼頭の告白に思考がついていけず、思わず呆けた声を漏らしてしまった。

 だがそれは桃田も同じだったよう。鬼頭の腕を回している肩がビクッと揺れる。


「目を見れば分かる。桃田の心にあるのは曇りなき正義だ。風紀委員として全校生徒を守らねばという意思を感じるが……無論、その中には俺も含まれている」

「鬼頭自身も?」

「多くの生徒が俺を恐れているのは事実だ。体格然り、過去の事件然り。馬鹿力で備品を壊す様も実際に目の当たりにしているのだからな。仮にこの力を以って暴れだしたら、誰にも止めることはできないだろう。生徒は皆、いつ飛んでくるかも分からない拳に恐怖している。だからこそ桃田は俺を必要以上に叱責するのだ。他の生徒を安心させるために」

「他の生徒を安心させるため? ……どういう意味だ?」

「俺に突っかかる桃田を見て、他の生徒はこう思うだろう。『ああ。鬼頭がブチギレるようなことがあれば、真っ先に矛先が向くのは桃田だ』と。桃田は普段からヘイトを集めるような言動をして、自らがスケープゴートになろうとしているのだ」

「なるほど、な……」


 納得するのとともに、ちょっと無理筋なんじゃないかとも思った。


 確かに鬼頭が暴れだせば最初に被害を被るのは桃田だ。だが同時に、他の生徒はこうも考えるはず。『鬼頭を無駄に煽るんじゃねえよ』と。


 そう考えたところで、私はハッと気づいた。


 だから鬼頭はスケープゴートという言葉を使ったのだ。他の生徒が桃田を疎ましく思えば、それだけ鬼頭に向けられる畏怖の念も和らげることができる。その言葉通り、自分を犠牲にすることで。


 桃田は鬼頭をも守ろうとしている。その言葉が響いた。


「実際に桃田から言われたこともある。誰かを殴りたくなったら、まずは私の所へ来いとな。仮に俺から暴行を受けたとしても、桃田は誰にも告発しないだろう。滑って転んだとでも言うはずだ。暴力のせいで俺が停学や退学になってほしくないからな」


 私を見下ろす鬼頭の表情が、少しだけ綻んだ。


「だから俺は反論しない。怒り出したりもしない。理不尽な叱責も甘んじて受け入れる。桃田が正義の心を持っている限りな」

「そうだったのか……」


 知らなかったとはいえ、私も少しは反省しないといけないな。


 単に言動がムカつくからというだけで、一方的に桃田が悪いと決めつけてしまっていた。そこにどんな事情があるのか、まったく考慮もせずにだ。そもそも転生してからは、私よりも二人の関係の方がはるかに長いというのに。


「そう落ち込むな、セラマオ殿。俺はセラマオ殿には言葉では表現できないほどの感謝をしているつもりだ」

「わ、私にか? 私は何もしてないぞ?」

「ボランティアで桃田をぎゃふんと言わせると提案したことだ。暴力よりも善行で相手を屈服させるという発想は見事だと思った。その考え方は、俺も見習いたいものだ」

「お、おう……」


 こうも手放しで褒められるのは、どうもこそばゆくなってしまう。

 なので照れ隠しをするため、言わなくてもいいことを言ってお茶を濁した。


「言っちゃ悪いが……二人とも不器用だな」

「否定はしない」


 それには桃田が答えた。恐ろしいほど仏頂面で。


「そろそろ行くぞ、鬼頭」

「ああ。セラマオ殿、これからもよろしく頼む」

「もちろんだ!」


 言い出しっぺは私なんだ。そう簡単に責任を放棄したりはしないさ!


 とは思いつつも、桃田に連れられて行く鬼頭の背中を見ていると、少しばかり自信を失ってしまう。


「なんだかんだ言いつつ、あの二人は分かり合えてたんだよな。結局、一人空回りしてたのは私だけかぁ」

「その空回りのおかげで楽しめたんだから、別にいいんじゃねえか?」


 万年ノー天気な龍之介が何か言ってやがる。

 こちらと難しいお年頃なんじゃい。ちょっとは感傷に浸らせろや。


「で、あの子供のことなんだが……」

「あっ!」


 しまった、すっかり忘れてた!

 あれだけガラの悪いチンピラたちに囲まれていたのだ。とてつもなく恐ろしい体験だったに違いない。トラウマにならないよう、早くメンタルをケアしてあげないと。


「キミ、大丈夫かい!?」

「うん……」


 俯いて手をもじもじさせているが、怯えている様子はない。

 いや、心のことだから分からんぞ。後でフラッシュバックするかもしれないからな。


「おい、セラマオ。そうじゃなくてだな……」

「うるさい、龍之介は黙ってろ! ガルルルルルルル」

「なんでお前が《狼》みたいになってるんだよ」


 呆れてる場合か! こっちは真剣なんだ!


「とりあえず、落ち着いてコイツを凝視してみろ」

「凝視?」


 龍之介に言われ、私は眼力を強めて女の子をじっと見つめてみる。

 だがしかし、私が何かを見ようとするまでもなかった。


 女の子が「ん!」と声を上げて全身に力を入れる。すると小さな頭に獣の耳がぴょんと生えたのだった。

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