第9話 魔王、和解する1
「鬼頭先輩は学校の備品を壊してしまった償いの意味も込めて、一生懸命ボランティアに取り組んでいます。そろそろ許してあげてもいいんじゃないですか? 桃田先輩」
「…………」
私と魔理沙と龍之介、そして桃田の四人は今、河川敷で一人ゴミ拾いに勤しんでいる鬼頭を土手の上から見下ろしていた。
ほんの数十分前までは、私たちも含めてクリーン作戦に参加していた。他の参加者が帰った今も鬼頭一人で活動しているのは、桃田にその姿を見せつけるためである。だからまあ、半分は演技みたいなものだ。
「ほら、見てくださいよ。鬼頭先輩、地元の人たちとすっかり仲良くなっています」
「…………」
私はボランティアの参加者と一緒に撮った集合写真を見せた。
それらを険しい顔のまま眺める桃田。
見終わった後の返答には、深いため息が混じっていた。
「それで、瀬良君は何が言いたいんだ?」
桃田がチラリと龍之介を一瞥した。あれだけ警告したのにまだ交友を続けているのか、とでも言っているかのよう。呆れられるのは目に見えていたので、龍之介には何も喋るなと事前に釘を刺しておいた。
「鬼頭先輩を模範的な生徒であると認めてあげてほしいんです。そりゃあ不可抗力で物を壊すこともあるし、あの体格なので他の生徒に威圧感を与えることもあると思います。でも、決して粗暴な人ではないと知ってほしいんです」
「私が認めるまでもなく、ボランティアに従事する姿勢は立派なことだろう。称賛に値する。それで?」
「それで、って……」
あまりに淡白な反応に、私は困惑してしまった。
称賛するとまで言うのなら、鬼頭に対する態度を改めようとかならないのか? 今後は人前で怒鳴るのを控えようとはならないのか?
桃田の考えが分からず、思わず口ごもってしまう。
「もう一度言うが、キミたちの行いは本当に素晴らしいものだ。誰が認める認めない関係なく誇っていい。だがそれはあくまで課外活動でのこと。学内の鬼頭とは何も関係がない」
「ですから鬼頭先輩が立派な人物だと知っていれば、必要以上に目くじらを立てなくてもいいでしょう?」
「外では良い顔をする奴が家ではDV三昧。よくある話だ」
「なっ――」
さすがに耳を疑った。
投げられた言葉を頭の中で反芻することで、血の巡りが良くなっていく。
「鬼頭は別に暴力を振るってるわけじゃない!」
「やめろ。あんたがキレてどうする」
桃田に向かって一歩踏み出すと、後ろから龍之介に腕を掴まれた。
同志に窘められ、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
「……そうだな。今の例えは行き過ぎた表現だった。反省する」
なんだこの女、おちょくってるのか?
「だがニュアンスとして分かってくれ。学校内の鬼頭と、学校外の鬼頭。そこには何の関連性もない。鬼頭が学外でどれだけ善い行いをしようと、学校内での奴に対する私の態度は変わらない」
「…………」
完全に話が平行線だ。というか認識がズレている。
私は、鬼頭が優しい心の持ち主だと分かれば桃田も認識を改めると思った。
対して桃田は、鬼頭がどんな心の持ち主でも関係がないと言う。
どうしてここまで考え方に違いがあるのだろう。
「前にも言っただろう? 鬼頭はその体格と過去の暴力事件のせいで恐れられているんだ。目に見えない心なんて物を論じたところで、他の生徒の抱く恐怖心が薄れるわけでもない」
言い返せず、私は悔しさから歯を噛みしめた。
いや、言いたい言葉ならたくさんあった。だが想像してしまったのだ。仮に世界を恐怖のどん底に叩き落とした魔王が改心し、人間に対して善い行いをしたとして、果たして彼らの恐怖心は無くなるのか、と。
無くなるわけがない。むしろ何か裏があるのかと勘繰ってしまい、疑心暗鬼というさらなる恐怖心を植え付けられるかもしれない。
魔王の心と人間の心。両方持っている私だからこそ、理解できてしまった。
「じゃあ桃田先輩は、どうあっても鬼頭に対する態度を改めたりはしない。そう言っているのですね?」
「そうだな」
ある意味、《勇者》と《魔王》がことごとく敵対する理由を垣間見た気がした。
考え方が根本から違う。見ている方向が違う。これでは話し合いもままならない。
やはり相互理解は無理なのか? と諦めかけた、その時だった。
「オラァ! 見つけたぞ『地獄の腕』! 覚悟しとけやテメェ!!!」
非常に不細工な金切り声が河川敷に響き渡った。
見れば、どう好意的に受け止めてもまともな人間とは思えないチンピラの群れが、河川敷の向こうから歩いてくる。数はおよそ二十人ほど。そのほとんどが金属バットや木刀を手にしていた。
「あ、アイツ……」
声を張り上げた先頭のチンピラには見覚えがあった。
募金活動の時、魔理沙をナンパしてきた奴だ。
鬼頭はゴミ拾いをやめ、無言のままチンピラの前に立ちはだかった。
「ほら、見なさい。鬼頭はその存在だけで悪い奴を引き付ける」
「別に鬼頭のせいってわけじゃ……」
「そんなことは分かっている。鬼頭には何の責任もない。でも、そういうものなんだ」
そう私たちに諭した桃田が、意外にも前に乗り出した。
「ちょ、ちょっと。どこへ行くんですか?」
「鬼頭はうちの生徒だろう。生徒が悪そうな連中に絡まれているんだ。風紀委員として見過ごすわけにはいかない」
「見過ごすわけにはいかないって……」
唖然としている間にも、桃田は土手を降りて行ってしまった。
女一人が加勢したからといって、何が変わるというんだ。助けるって言うんなら、ここは警察でも呼ぶべきなんじゃないか?
「なんだ? 喧嘩なら俺様も行くぜ?」
「お前は少し待て。話がややこしくなる」
意気揚々と腕まくりする龍之介を慌てて引き留める。
そうしている間にも、桃田が鬼頭の横へと並んだ。
「ンだ? テメェ」
「私は鬼頭が通う高校の風紀委員だ。どうやら鬼頭に用があるみたいだが、一人に対してそんな大勢を引き連れてくるのは褒められた行為ではないな」
「あぁ!?」
「まずは何よりも話し合いだ。キミたちは、それほどの仲間を連れてこざるを得ない理由があったのかもしれない」
マジか。話し合いができる相手じゃないだろ。
二十人ものチンピラを前にしても、桃田はまったく臆していなかった。いつも鬼頭を叱る時のように、威風堂々とした立ち振る舞いである。
決して気圧されたわけでないにしろ、チンピラは突然の闖入者に空気を飲まれたようだ。耳をほじりながら、面倒くさそうに桃田の問いに答える。
「見りゃ分かんだろ。『地獄の腕』をボコりに来たんだよ」
「一方的に嬲るのか? 感心せんな。本来なら違法行為ではあるが、仮に一対一の決闘を申し込むと言うのであれば、私は目を瞑ろう」
「はぁ? バカか!? こんな巨人にサシで敵うわけねえだろ!」
「道理だな。では、キミたちがそうまでして鬼頭を襲う理由を訊きたい」
「俺のこと、忘れたわけじゃねえよなぁ? 『地獄の腕』さんよ」
チンピラが唐突に上着をはだけさせた。
その胸には大きな傷跡が。いや、手術痕か?
「三年前、テメェに殴られて病院送りにされた恨みをここで晴らしてやる。なんせ折れた肋骨が肺に刺さって、マジで死ぬかと思ったんだからよぉ!」
「……ああ」
やべ。あの顔は今思い出した顔だ。この前は知らないって言ってたもんな。
てかチンピラの方もよく生きてたな。どんな生命力だよ。
「話は聞いている。鬼頭は中学の時、他校の生徒を殴ったと言っていた。それがキミだってわけか」
「そうだ!」
ふん。結局はただの復讐か。しかも自分一人じゃ敵わないからって、大勢の仲間を引き連れやがって。くだらない。私が別の世界の魔王だったら、絶対に部下に欲しくない人材だな!
なんて私の妄想はさておき。
口元を押さえて思案顔だった桃田が、唐突に鬼頭を睨みつけた。
「ところで鬼頭。貴様、殴ってしまったことに対する謝罪はしたか?」
「…………」
桃田の場違いな問いに驚きつつも、鬼頭は律儀に首を横に振った。
「どうせ見舞いにも行っていないのだろう? ならばいい機会だ。この場で直接謝ってみてはどうだ?」
この発言には相手さんの方が納得できなかったらしい。
頭の血管の切れる音が、土手の上まで聞こえたような気がした。
「ッざけんな! 今さら謝ってどうにかなるわけねえだろ! お前は必ずぶっ殺す!」
チンピラが腕を上げて合図をする。
すると後ろに控えていた他の奴らが、手にしている長物を構えながら詰め寄ってきた。
「おい、待て!」
見知らぬ女の制止など聞くわけがない。
未だに話し合いでどうにかなると思っている桃田の前に、鬼頭が立ちはだかった。
「やめろ、鬼頭! 喧嘩はするな! 話し合え!」
「…………」
俊敏な動きで距離を詰めたチンピラが、鬼頭の脳天に向けて金属バットを振り下ろす。
不動の鬼頭は片腕で頭をガード。攻撃を阻まれた金属バットは、無残にも『ひ』の字に凹んでしまった。
続いて、木刀を持ったチンピラが鬼頭の首を目がけて矢のごとく突きを放つ。だが鬼頭はいとも簡単に片手でキャッチ。そのまま二本の凶器を奪い取り、川の方へと放り投げた。
「抵抗すんなや! おい!」
またもチンピラが後方に向けて叫んだ。
今度は突撃の合図ではなかった。チンピラの一人が、小さな女の子を連れて現れたのだ。
「あっ、あの女の子は!?」
この展開には、思わず私も驚きの声を上げてしまった。
人質に取られているのは、いつもボランティアで目撃するあの女の子だったからだ。
当然、いきなり登場した少女に桃田も困惑する。
「おい鬼頭。なんだあの子は? 知り合いか!?」
「いや」
「テメェの知り合いかどうかなんて関係ねえ。その辺にいたガキを連れてきただけだ。テメェが抵抗するなら、コイツの骨を折るぜ!」
「卑怯者!」
「黙れ! 俺ぁな、豚箱に行ってでも『地獄の腕』をぶっ殺さなきゃ気が済まねえんだよ!」
気が済まないじゃねえよ、私がお前をぶっ殺すぞコラ!
あんな可愛い女の子を巻き込むとか、人間のやることじゃない。ゴブリンにも劣る下等生物だ! いかん、私の方が今にもブチギレそうだ。
抵抗をやめた鬼頭が、桃田を庇うため押し倒してその上に覆い被さった。
好機と見たチンピラどもが、武器をもって一斉に襲い掛かる。
「やめろ、鬼頭! お前が危ない!」
「俺は大丈夫だ」
なわけない。いくら鬼頭とて、無抵抗で頭を殴り続けられれば、いつかは死ぬぞ!
「限界だな。俺様も加勢するぜ」
残虐な光景を一緒に見守っていた龍之介が上着を脱ぎ始めた。
期待はするが、しかし相手は武器を持った二十人のチンピラだ。それに人質のこともある。『銀龍』とまで呼ばれ恐れられた龍之介が加わっても、勝ち目があるかどうか……。
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