私に似合う髪飾り

朝田さやか

私に似合う髪飾り

 店棚に並ぶ髪飾りが私なんかを呼ぶことはない。


 ショッピングモールの照明を反射して、銀色や金色がきらきらと輝く。花柄のシュシュも、デニム生地のカチューシャも、大きなリボンのついたピンも、私に似合うことのないそれらに視線を吸い寄せられては、胸がギュッと締まった。


「うわぁ、これめっちゃ可愛くね??」

「本当だー! これとかもいいじゃん」


 私のすぐ前を歩いていた女子高生が二人、光を呼ぶ店棚の前で立ち止まった。ストレートパーマをかけたさらさらの黒髪に、持ち上げたバレッタの銀と青が映える。二人の指は白くて細長くて、手入れされた桃色の爪とバレッタの装飾の花柄が呼応して煌めきを放った。


「んー、どうしよー決めらんない」

「先、あっちのアクセサリー見ね?」

「いいよー」


 どう喉を震わせたらあんなに高くて、ハープの音色ように綺麗な声が出せるんだろう。店内のイヤリングコーナーへと足を踏み入れる二人を目で送りながら、心の中で小さなため息を吐いた。


 店棚と私の間を遮るものがなくなって、髪飾りと直接目が合う。「お前には付けてほしくない」と、そうはっきりと言われた気がしたから。知らぬ間に歩みを止めて、私なんかが髪飾りを眺めていたことが急にひどく恥ずかしくなった。


 それでも。強く惹きつけられる煌めきに抗うことはできなかった。辺りをきょろきょろと見回して、誰もいないのを確認してからにじり寄る。そして割れ物を触るようにやわやわと、金色の、小さな蝶々が施されたピン留めを手に取った。


 私が触れた刹那から色褪せていくようだった。そのことに行き場のない申し訳なさを感じながら、おそるおそる髪の毛の方へ持っていく。


 この髪飾りは私の髪でどんな風に映るだろう。花柄に縁取られた丸い鏡に視線を向けた途端に、心の底で抱いていたほんの小さな憧れさえ萎んでいく。


 ベリーショートの手入れしていない髪の毛は、毛先が跳ねていて。朝起きて一度櫛を入れただけのぼさぼさ頭に綺麗な飾りは、やっぱり似合うはずもなく。反射的に腕を下ろして、あまりの場違いさに顔が赤く熱を持った。


「赤城さん?」


 そんな時、不意に呼ばれた名前に肩がびくりと震える。


「青木くん、と奏多」


 振り返った先にいたのは、私が想いを寄せる男の子と幼なじみだった。ワインレッドのシャツにカーキ色のズボンを合わせた青木くんは、高校の制服を着ている時より何倍もかっこいい。


 ただでさえ熱かった体温が、沸騰するまで急上昇していく。特に、青木くんの声を拾った耳は、髪の毛で隠すこともできないのにりんごみたいに赤く熟れた。


「優、一人?」

「うん」


 幼なじみの奏多はきっと、私の様子のおかしさに気づいているんだろう。白のパーカーに黒いスキニーパンツを履く奏多は見慣れた安心感が漂っていて、荒ぶっていた心も少しだけ落ち着いた。


「買い物?」


 気づけば二人の視線は、私が掴んでいた髪飾りに集まっていた。良かった、と内心ほっと胸を撫で下ろす。もう少し声をかけられるのが早かったら、髪飾りを髪に合わせる惨めな姿を見られるところだった。


「あ、ああうん、こころちゃんの誕生日プレゼント選んでて」


 慌てながら、早口で捲し立てる。私には到底似合わない髪飾りを持っている状況になんとか理由を与えて。付けてみたいなんて感情をほんの少しだけでも持っていたことを決して悟られないように。


「そっか、来週の水曜日だもんね、こころの誕生日」


 青木くんが呼び捨てる「こころ」の三文字に、心臓が歪んだ音を放った。天然ゆるふわパーマの黒髪に、庇護欲をそそられる華奢な身体つき。


 天地がひっくり返っても、生まれ変わっても絶対、絶対に私はあんな、髪飾りが似合う女の子にはなれない。きっと私とは魂の根本の部分が違うんだ。


「へえ、優と同じじゃん」

「あっ」


 途端、奏多と青木くんの目が大きく見開かれる。気づいても言わないで欲しかった。知られたくなかったのに、私がよりによって一番生まれちゃいけない日に生まれてしまったことなんて。


 小さな鈍い痛みがこめかみのあたりを覆う。ずきずきと嫌に痛むこの痛みはまるで、不慣れな手つきでピンを差そうとして、肌をぐさりと突いてしまった時みたいだった。


「赤城さんもなんだね、俺同じ誕生日の人と出会ったことないな」

「あ、わ、私もこころちゃんが初めてだな」


 わはは、とからからに乾いた笑い声は私の肌と同じようにガサガサだった。Tシャツにジーパンを履いただけの服装に見合った低い声は空気を乱す。


 だから、口に出したそばから誰の耳にも入らずに消えてほしい。すぐに耳をふさいでしまいたくなるほど、自分の声が大嫌いだった。


「青木、映画の時間もうすぐだからそろそろ行こう」


 仄かに漂い始めた微妙な空気を断ち切るように、奏多が青木くんを誘う。


「あー、おう、じゃあまたね、赤城さん」

「うん」


 どうしてだろう。青木くんにせっかく名前を呼ばれても息が上手く吸えなくなるだけで、体温に比べて髪飾りを掴む指先だけが異様に冷たい。


「優、雨予報に変わったから早く帰れよ」


 その代わりに、奏多に呼ばれた名前が耳の奥で温かく響いて。低気圧という頭痛の正体を教えてもらったら、なんだか痛みも和らいだ気がして。


 遠ざかっていく二人の後ろ姿に手を振りたくて髪飾りを手放す。温かさが戻った指先から離された髪飾りが、光を受けてしゃらん、と音を立てた。


✳︎


「こころ、お誕生日おめでとうー!!!」


 クラスで目立つグループの子たちの華やかな声が、教室に入ってきたこころちゃんに注がれる。サプライズでお祝いされたこころちゃんの大きな目がぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「あ、ありがとうみんなー!!!」


 それでもすぐに状況を理解して、無機質な教室の壁さえ照れてしまうような笑顔を浮かべる。こころちゃんの机の上には大量のプレゼントが置かれていた。


 対する私の机の上には、プレゼントは一つもない。


「うわぁ、青木くんのプレゼントのヘアーカフ可愛いね、ありがとう!」


 彫刻みたいに綺麗な手が、色とりどりの花が光る金色のヘアーカフをそっと手に取った。髪の短い私には絶対に付けられない髪飾りも、こころちゃんには絶対によく似合う。


 そんなこころちゃんの一番近くにいる青木くんの視線は、嬉しそうに喜ぶこころちゃんだけを捉えていて。


 私は今日、青木くんと一度も目が合っていないのに。私も誕生日だってことなんて、すっかり忘れ去られているみたいだ。プレゼントなんていらなかったから、ただ一言、「おめでとう」を聞けるだけで良かったのに。


 抱いていた淡い期待さえ弾けて、弾けた衝撃で胸が痛みを訴える。それならいっそのこと、忘れられたままでいいと、心に言い聞かせる。


 こころちゃんと同じ誕生日だと、もっと多くの人に知られてしまうくらいなら、教室のお祝いムードをぶち壊すくらいなら、知られないままでいい。このままひっそりと、教室の隅で空気と化して、今日をやり過ごせば良い。


 ―――ガララッ。


 その時勢いよく開いたドアが、こころちゃんを中心にまわる教室の空気を変えた。


「あっ、おはよう奏多くん」


 こころちゃんの弾んだ声が教室に響く。ドアを開けた人物は奏多だった。


「遅いぞ奏多! もうこころ来ちゃってるし」


 奏多を怒る青木くんの声が飛ぶ。そうだ。あのグループに属しているはずの奏多はいなかったんだ。ドア付近に立つ奏多に駆け寄ったこころちゃんに付いて、男女数人のグループ全体が移動する。


「あぁ、ごめんごめん遅れて。おめでとう、萩原さん」


 いつも真面目で、約束の時間に遅れたことなんてない奏多なのに、なぜか悪びれている様子は感じられなかった。顔くらいの大きさのプレゼントをこころちゃんに渡して、反応を見る必要もないと言うように自分の席へ向かおうとする。


 そんな奏多を引き留めるように、こころちゃんが奏多の制服を指先で掴んだ。


「奏多くん、開けてもいい?」


 上目遣いでおねだりをするように。可愛さが全て詰まったような仕草は、こころちゃんにしかできない。私には到底無理だ。


「ああ、うん」


 奏多が、教室の空気を乱していた。誰もが惚れてしまいそうなこころちゃんに照れもしない奏多は異質だった。


 掴んでいた袖を名残惜しそうに離すこころちゃん、それを切なく見守る青木くん、そして、奏多に視線を移した瞬間に目が合って、ふいと逸らされる。奏多は私の隣の席だからだけれど、どうしてこころちゃんを祝うよりも席に座りたいんだろう。


「あ、お菓子、美味しそう! ありがとうね」


 そう言うと、こころちゃんは桜がほころぶような笑顔を浮かべた。その笑顔にあてられて、教室中の男子の視線が一瞬ピンク色を含んだ、うっとりしたものに変わる。


「うん」


 それなのに、その笑顔を向けられた奏多本人は相変わらずの無表情さで。その場で談笑することもなく、すたすたと自分の席へやって来た。


 こころちゃんはそんな奏多の背中を切なげに見つめていたけれど、奏多も、周りの子も、そのことに気づかない。私と、私が見つめる青木くんだけがたぶん、こころちゃんの気持ちの行方を知ってしまったんだと思う。


「おはよう」


 鈍感な奏多はいつも通り、私なんかに声をかける。こころちゃんの前にはまた別の友人が現れて、小柄なこころちゃんの姿は隠れて見えなくなっていた。背の高い青木くんは未だこころちゃんの隣で、こころちゃんに視線をやっている。


「あっ、えっ、……おはよう」


 どうして教室の空気の一部にならせてくれないんだろう。今日はいつものグループの中に入って、こころちゃんのことだけ考えてればいいのに。


 胸の中が変にざわめく。悲しいのか怒っているのか、はたまた喜んでいるのか、自分でも感情がよく分からない。


「髪跳ねてるよ」


 そう言った奏多の手が躊躇いもなく私の髪の毛に触れる。ちょん、と跳ねている部分を掠めて、すぐに手を下ろした。


「ちょっ」


 顔が赤らむのが自分でも分かった。軽い雑談は交わすけれど、奏多に触れられたのなんていつぶりだろう。そんな突然の行動に心臓がばくばくと音を立てて、どうしていいか分からない私はただ抗議の目を奏多に向けるだけだった。


「はいこれ、ちょっとは見た目に気を遣えよ」


 奏多は眉をしかめる私のことなんて気にしない風に優しく微笑んで、バッグの中に入っていたラッピングの袋を取り出した。


「誕生日おめでとう、優」


 奏多の瞳には、私だけが映っていて。青木くんから貰えないなら、誰からも祝われなくていいとさえ思っていたのに、いざ言われたら、どうしようもなく胸が弾んで。


「え、ありがとう」


 奏多からの誕生日プレゼントなんて去年ももらったはずなのに、奏多のせいで気づかれてしまったクラスメイトの視線を感じるのに。なんでだろう、奏多の視線に触れたところから、身体中が明るい色に染まっていくみたいだ。


「あ、開けるね」


 奏多の視線に耐えられなくなって、理由をつけて目を逸らす。こころちゃんと同じ誕生日だという劣等感と後ろめたさはもう、心の中にはなかった。


 金色のリボンを解く。中に入っていたのは、ピンク色の桜のハンカチと、可愛らしいピンだった。


「ちょっとこれ」


 カラフルな色のピンたちが、教室の照明を受けてきらきらと輝く。とても可愛いと思うけれど、私のことを一番よく分かってるはずの奏多がこんなものを贈ってくるなんて、どうして。


「気に入らなかった?」


 こころちゃんと、プレゼントの中身を間違えたんじゃないかって本気で思った。けれど、戸惑いながら奏多に視線を戻せば、奏多は不安そうに私の表情を覗き込んでいて、それが最初から私へのプレゼントだったことが分かる。


「ううん、可愛いけど、私には似合わないのにって」


 自分に対する自信のなさが、素直に喜びたいと思う気持ちさえ消していく。私の汚い声は、自分の心を暗く重くして縛り付ける。


「そんなことない。この前休日で会った時、欲しそうにしてたし。似合うよ、シンプルなやつにしたし」


 そんな奏多の声には、少し怒りが滲んでいた。それはまるで、「自信を持て」と言われているみたいだった。


「そっか、ありがとう」


 そうだ。奏多が私のことを一番よく分かっているからこそなんだ。私が髪飾りに憧れていたのにも気づいて、こんな私にでも似合いそうなものを選んでくれた。そんな奏多の気持ちが胸に沁みる。


 ちゃんと私を見てくれている人がいることが、どうしようもなく嬉しい。こころちゃんの側じゃなくて、私の側にきてくれたこと。今だけは、そんな奏多の優しさに甘えたい。


「うん。この一年が優にとって、素晴らしいものとなりますように」


 今まで聞いたこともないくらい、優しい声だった。ふわり、と奏多の表情が緩む。そんな奏多に向けられる視線は底抜けないほど温かくて。


「う、うん」


 髪飾りの装飾が揺れるように、私の心がきらめいて揺れる。奏多に支配された思考の渦の奥で、心がしゃらん、と音を立てた。

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