第9話 私は流れる、流れのままに

「ここでもなんですから、奥の部屋に移動しましょう」

そう言うと、イケメンさんはズンズンと店の奥に歩いて行きました。私は置いて行かれないように、カバンとコートをつかんで、小走りでその後を追いました。

 店の奥には「STAFF ONLY」と書いてあるドアがあって、そこにイケメンさんは入っていきます。私も滑り込むようにその中に入りました。

 中は、ひと言でいえばゴージャスな感じ。外の客席よりフカフカのカーペットが敷かれていて。椅子とかテーブルは、マリーアントワネットを連想するフランスっぽい高級感が漂っていた。奥のひとり掛けのソファにイケメンさんが座って、長い脚を組む。

 私は手前の5人くらいが座れそうな大型のソファに座るように、ハンドサインで促される。

「遅れましてすみません。私はこういうものです」

 イケメンさんから手渡された高そうな名刺。分厚くて和紙っぽい手触りで、毛筆で書かれた感じの書体がかっこいい感じがした。

「“М”グループ代表 藤井 龍」

 それを見てビックリした。目の前にいる30代くらいの、私より若そうな男性が、私が調べた中で一番大きな風俗グループの代表だなんて。

 でもさっき乗ってきたスポーツカーからして、この人が只者ではないのは確かだと思いました。

「ビックリしましたか。代表がこんなに若くって。実はボク、二代目なんです。まぁ、親の七光りっていうか、そんな感じなんですよ」

 人懐っこそうな大きな目で私を見つめて、そう語る代表に、私がもう少し若かったら、好きになっていたかもしれません。

 私は感心したようにうなづいてみせた。まだ緊張していて言葉がうまく出てこないのです。  

「こう言っては何ですが、遠藤さんがウチのグループを選んでくれてホントに良かったと思っているんです。ご存じかもしれませんが、ウチらの業界は、過当競争気味で、サービスがドンドン過激になってきているんです。それを女の子たちに無理強いする”お店”が多くて、女の子たちの中には精神的なダメージに耐えきれずに、廃人同様になってしまうこともあるんです。でもウチのグループは違うんです。ウチのモットーは、「美しい女性と恋人感覚で楽しく遊べるお店」なんです。あくまでも恋人感覚なんですから、ハードなサービスは求めません。普通のカップルが楽しむような、普通のエッチでいいんです。そういう意味で遠藤さんみたいな素敵な女性が、ウチのグループを選んでくれたことは、私たちにとっても、遠藤さんにとっても、とてもいいことだと思うんです」

 熱く語る代表に、私はまたうなづくだけしかできなかった。 

「どうですか、ウチで働く決心はつきましたか」

 一応、藤井代表は信用してもよさそうだった。私は「はい」と小さく答えた。

「そうですか。ありがとうございます。それでは一応いくつか質問させていただいてもいいですか」と言われて、私は面接なんだから当然だと思い「はぁ」と答えた。

「風俗店で働こうと思ったきっかけはなんですか」と聞かれた。

 私は「夫が浮気をしてまして、いつ家庭が崩壊するかもしれなくなりました。もし離婚したら私どうやって、子供ふたりと生活していけるかが不安で。それで少しでもお金を稼ぐ方法を捜さなくちゃと思ったんです」と正直に話した。

 藤井代表は目を閉じて味わうように私の話を聞いてくれた。そして「離婚したら、実家に帰るわけにはいかないのですか」と訊いてきた。

「実家は山形で造り酒屋をしているんですけど、地元ではちょっと有名な旧家で、他人の目が厳しいから、今更のこのこと帰るわけにはいかないんです。弟夫婦が今は家業を次いで頑張っているんですけど、造り酒屋の経営はとても難しくて、私がお荷物になるわけにはいかないんです」と、私はホントのことを話した。

「じゃあ、もう後には引けないわけですね」と藤井代表が念を押してきた。私は「そうなんです」と自分に言い聞かせるように答えたのです。

すると藤井代表は、「それなら、採用決定です」と輝くような笑顔で言いました。

「こういう仕事はとにかく、”覚悟”が肝心なんです。仕事はそんなに難しいことじゃない。カップルになれば普通にしていることをするだけです。お客さんを大事にしたい。そういう気持ちがあるだけで、十分なんです」

 そう言われて、私はまた、ただ「はぁ」と返事した。

「さて、採用と決まったら、次は”お店”での名前ですよね。実はボク、遠藤さんの第一印象でもう名前を決めてあるんです。遠藤さんって、女優の長澤まさみに似ているって言われませんか。ボクは似ていると思うんです。それでどうですか『まさみ』っていうのは」


 藤井代表にそう言われて、私は正直、困惑してしまった。長澤まさみさんと似ている点と言えば、身長がそこそこ高くって、童顔で、髪型がショートってことくらいだと思う。「いぇ~、そんな名前、恐れ多いです」と内心思ったが、”かりそめ”の名前を決めるのに時間を掛けても意味がない。私は、「分かりました」と答えました。

 すると、藤井代表は携帯電話で誰かに連絡を取りました。

「あぁ、とても素敵な女性で即、採用決定したよ。で、お店の状況はどう。あぁ、そう、そりゃラッキーだね。じゃあ、本人に仕事できるかどうか確認して、すぐ折り返すから」

 電話を切ると、藤井代表はまた、少年のように目をキラキラさせて、私を見つめて言いました。

「まさみさん。ラッキーですね。今ちょうど、ウチの”お店”で一番のお得意さまの、お爺さんの予約が入ったところだそうです。ヨボヨボのお爺さんで、ただ、一緒にお風呂に入って、時間になるまで裸で添い寝してればいいっていう、とてもラクなお仕事なんですけど、やってみますか」

 私は、突然のお話でビックリしました。だけど、そんなことなら初めての私にもできそうだし、この後、予定があるわけでもないので、やってみようとすぐに決心しました。

「あぁ、そう。やってもらえる。嬉しいな。それならこれに着替えてくれる」

 藤井代表は部屋の片隅に置かれていた大きな段ボール箱をふたつ引っ張ってきました。見るとひとつの箱の中には、新品の高級下着がたくさん入っていました。もう一つはキャミソールがたくさん入っています。

「いろんなタイプがあるから、自分のサイズに合いそうなモノを選んで着替えてね。ホテルの前までクルマで送っていくからコートを引っ掛ければ大丈夫。そして、あとコレ」とスプレー缶を渡してくれました。

「お爺さん、ちょっと老人臭がキツいらしいんだ。だから、コレ持って行ってお風呂上り吹きかけちゃって」

 どうやらスプレー缶はデオドラント用らしいです。

「あと、ホテルに備え付けのがあるとは思うけどマウスウォッシュとかコンドームとかタオルとか、連絡用の携帯電話とかが入ったトートバックを持って行けば、それでオーケーかな」

 テキパキと仕事の準備をする藤井代表に気圧(けお)されて、私はもう、この流れに乗るしかないと心にキメました。

「そうだ、最後にひとつ、まさみさんにお願いがあるんだ。アナタの体にタトゥーや大きな傷があるかどうか裸になってチェックさせて欲しいんだ。お客さんによるんだけど、中にはそういうの、とても気にする人もいて、一応確認させてもらうルールなんだ」と言われた頃には、「それは当然のことですね」とすぐに納得できるほど、私の決心は固まっていました。

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