リリアと『読んだだけで幸福になれる本』

 「こっちの部屋が洗面台、こっちにトイレね」

 「おう、丁寧にありがとう」


 リリアから親父さんと『英雄円卓』の話を聞いたあと、もう日も暮れてすっかり夜になってしまったので俺は彼女の家に泊めさせてもらうことになった。


 「クソおやじが作った別荘の一つを僕の家にしてるから狭いかも知れないけど大丈夫かい?」

 「いや、十分大きいよこの家。全然満足してる」


 部屋が三つあってリビングもそこそこ広い一階建ての一軒家。

 転生前にマンションに住んでいて大学生活を送っていた俺からすれば十分広い優良物件である。


 「そう言ってくれると嬉しいよ」


 リリアはそう言って、俺を客人用の部屋へと招いてくれる。


 「それじゃあ、今日はここで寝てね。何か困ったことがあったらミミを呼んで」

 「分かった、色々とありがとうな」

 

 「どういたしまして、それじゃあお休み」


 リリアはそう言って後ろを振り返り、俺の部屋のドアを開ける。


 「……リリア、ちょっとだけ時間いいか?」

 「ん、どうしたの?」


 俺はリリアを呼び止め、本用のホルスターが付いているベルトに収納していた『読んだだけで幸福になれる本』を手にとって彼女に渡す。


 「これは?」

 「俺が転生する前の世界……日本でよく読んでた本だ、緊張するときや自信がなくなった時によく読んでた」


 本を受け取った彼女は興味深そうに表紙をじっと見ている。


 「どうしてこの本を僕に?」

 「……この本読んでると自然と気持ちが楽になるんだ、大学受験っていう日本で行われる重大な試験を失敗して、ちょっと気持ちが病んでた時には大いに助けてもらったよ……だから、そのなんだ」


 俺は少し照れくさくなりながら頭を掻く。


 「親父さんのことや『英雄円卓』のこと、リリアにどれだけの重荷が乗ってるかなんて俺には想像もつかないけど……それでもお前の心の負担が少しでも軽くなればと思ってさ」


 俺がそう言うと、リリアはぎゅっと本を抱きしめて部屋にあるベッドの上にちょこんと座る。


 「ありがとう……すごく嬉しいよ」


 リリアはじっと本を見つめながら嬉しそうに微笑む。

 そして、ゆっくりとページを開いていく。


 「あっ」

 「どうした?」


 開いた瞬間驚いたような声を上げたリリアを見て首を傾げる。

 リリアは少し困った笑顔を俺に向けてきた。


 「僕、日本語読めない……」

 「あっ?!」


 そうだった……普通異世界で暮らしてる人が日本語読めるわけないよな。

 俺が頭を抱えてどうしよう、やってしまったと言いながらウロウロしている様子を見てリリアはくすっと笑う。


 「それならさ、ケイ。僕の隣に座ってこの本読み聞かせてくれないかな。きりの良いところまででいいからさ」


 彼女はここに座れと言わんばかりにベッドの上をポンポンと叩き、隣に座るように促してくる。


 「えっ?!いやその……それは恥ずかしいというかなんと言うか……」


 顔を真っ赤にして慌てふためく俺の様子を見てほほ笑みながらリリアは言った。


 「僕は気にしないから大丈夫だよ、それにケイだって僕に本の中身を知ってほしいでしょ」

 「そ、そりゃそうだが……」

 「ほらほら早く、夜が明けちゃうよ」


 リリアはまるで小悪魔見たいな笑みを浮かべて急かすように言ってくる。

 そして、俺はリリアの隣に座って、『読んだだけで幸福になれる本』の序盤の20ページぐらいを彼女に読み聞かせた。


 内容はどこにでもありそうな自己啓発本でプロローグである最初の20ページでは、悩みを持つ読者に共感を得られる話から始まり、その悩みを解決する方法としてこの本が何をテーマにしているのかを大々的に説明している。


 この本のテーマは「ありのままの自分を受け入れ、正直に生きること」だ。


 ネットをあさればたまに見かけるぐらいなんて事のないありふれたテーマなのだが……

 著者の書き方が上手いからなのか、この本を読んだだけで自分が抱えている問題すべてが解決したような錯覚に陥ってしまう。


 プロローグを読み終え本を閉じると、リリアは小さな声で本の内容を復唱していた。

 よほど本の内容が心に刺さったのかも知れない。

 それでリリアの心がちょっとでも救われるなら本望だ。


 「ねぇケイ……よかったらなんだけどさ」

 「ん?」

 「今日だけじゃなくてこれからも僕と一緒にここで暮らさないかい?」

 

 彼女はじっと俺の顔を見つめて囁いてくる。


 「僕も君も能力的に一人では戦えないけど二人一緒に居ればどんな相手だって倒せる、だから常に一緒にいた方が安全でしょ……それに……」

 「それに?」


 俺がそう問い返すと、彼女は『読んだだけで幸福になれる本』を手に取ってつぶやいた。


 「毎晩こうやって君がこの本を読み聞かせてくれたらいいなって……そう思ったんだ」


 小さな明かりが照らす夜の部屋で俺のことを見つめてそう言った彼女は凄く綺麗で、どこかすぐに壊れてしまう水晶の様だった。


 どうしても彼女をほおっておけない、近くで支えてあげたい……

 そんな気持ちが湧き上がってきた俺は、リリアのその誘いを承諾した。

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