私を連れ去って⑥

 ポツポツ……。雨が降る。

 少女は傘も差さず、踏切で電車が過ぎるのを待っていた。

 交互に変わる赤のライト、小気味のいいリズムを刻む警笛、目の前を過ぎるけたたましい音。その全てが止み、黒と黄の遮断桿しゃだんかんが上がる。


「いかないと……」


 少女は少しずつ歩を進める。それは、常人の動きよりゆっくりとしていて、何かにいざなわれるように足を前に出した。

 次第に雨脚は激しくなりつつあった。




 景、朱音、真の三人は明智に会うために学校を訪れていた。しかし、そこには明智の姿がなかったのだ。


「名取さんが視た想影が明智さんのもの?」

「ええ、あれは彼女のものでした」

「でも、一体何で?」

「わかりません……。明智さんは片桐さんが消えた現場にいました。だから、想影が残っていてもおかしくないです。ですが、そういった場合、不安や心配といった影が残るはずなんです」


 景はあの場にあった影のことを詳しく説明する。


「僕が触れた想影は、希望や願望といったものでした」

「えっ!? それじゃあ……明智さんは海に入ることが望みだったということですか?」

「そうなります」


 景の言葉に朱音は頭を悩ませる。何故、明智は海に入りたいのか。どうして、そんなことが望みなのか。


「先程、なぜあんな想いが残っていたのか分からないと言いましたが、少し予想は出来てます」

「それって……?」

「多田くんが言った通りです」

「マジで! でもそれって……」

「彼女は、死を望んでいるということです」


 朱音と真の二人は言葉が出なかった。実際に、景の身に危険が及んだ先程の状況から考えて、死を望んでいるという言葉は十分現実味のあるものだったからだ。


「早く彼女を見つけないと……」


 ゆく先々で生徒に話を聴くが、明智の所在は一向に掴めないでいた。

 景たちは一度、新川のもとへ寄ることにした。


「こんにちは、新川さん」

「えと、名取さんですか」


 新川は部活に来たはいいが、天候が悪く休みになったらしい。今から景たちが来るまで、時間を潰す予定だったそうだ。


「新川さん、今日は明智さん来てませんか?」

「ここには来てないですね。学校には多分来てますけど」

「放課後はいつもどうしてるかわかりますか?」

「さあ、流石に分からないですよ」


 明智の足取りが掴めないことに焦りを覚える景。


「ああ、でも何かずっと海の方にいるって話を聞いたかな……。クラスのやつが何人か見てるって。裸足になって海の向こうをずっと見てるらしいです」


 新川の情報を聞いた三人は思った。

 最悪なタイミングですれ違ってしまったと……。

 景は新川に後で海に来るように伝えた。雨が強くなるから十分気をつけてと添えて。



 暗雲が空を覆い。鋭い雨が横殴りで降りかかる。

 明智は、片桐硝子が消えた海に立っていた。髪と制服は雨に濡れ、もはや海に入った後と変わらないまでに濡れていた。


「硝子……」


 明智は靴と靴下を脱ぎ、海辺を歩く。

 数メートル歩いた先で足を止めた。


「どうして……硝子……」


 明智は横殴り雨の中、荒々しく波打つ海へと足を入れた。足首から膝、膝から腰とどんどん深く入っていく。


「硝子……一人にしないから……私も一緒に……」


 明智の身体が全て沈もうとした瞬間。


「何してるんですか! どうして貴方がこんなことを!」


 間一髪、景が明智を掴み上げた。

 横から吹く風に、結んだ長髪は大きく乱れていた。

 景は明智を抱え、海岸まで運び出す。


「どうして……止めたんですか……? あと少しで、硝子に逢えたのに……」

「貴方が死んでしまうことを片桐さんが望んでいるとは思えません」

「硝子が死んだなら、私も死ねば……また二人きりになれるのに……」

「誰から聞いたんですか? 僕は片桐さんが亡くなっていることを貴方に話していませんが……」

「え?」


 自分でも何を言っているのか分からないという様に混乱する明智。その瞬間、景の目には真っ黒な影が明智の身体から溢れ出すのが目に入る。


「まさかっ!」


 景はその影から逃れようとしたが間に合わず、全身でその想影に触れてしまった。



『ねぇ、有貴……私達ずっと一緒だよね?』

『もちろんだよ! 硝子!』

『有貴、大好きだよ……』

『私も硝子が大好きだよ……』


 二人の少女は互いを大切に思い合い、強い絆で結ばれていた。それは、友情を通り越し、深い愛情と呼べるものであった。


『私ね、大人になっても有貴とこうして、一緒に海を眺めてたいな……』

『何言ってるの? ずっと、大人になっても一緒だよ』

『ありがとう有貴……』

『ううん。私こそ硝子と過ごせて幸せだよ』


 繋いだ手を強く握り返し、若く瑞々しい柔らかな唇をそっと重ねた。何度も何度も、時間が許す限り。


『ねぇ有貴……。大事な話があるの……』

『どうしたの?』

『私……好きな人ができたの……』

『えっ……』

『有貴には、言わなきゃって思ってて……でも、中々言い出せなくて……』

『硝子、その好きな人って……』

『うん。和希くん……。最近よく一緒いてくれるんだ。今だって、あそこで待ってくれてる』

『…………』

『だからさ有貴……』

『やめてよ……。やめてよ! そんなの嫌だよ! だって硝子は私と一緒でしょ!』

『……ごめんね』

『謝らないで!』

『うわっ! ちょ、やめ……ゆ、き……苦し……』

『あんな男にたぶらかされて、どうして私じゃ駄目なの! ねぇ! どうして!』

『…………………』

『し、硝子? 硝子……?』


 目の前で、長い髪の少女が横たわる。手にはその少女の首を絞めた感触が残っていた。


『おい! 何してんだよ明智!』

『ち、違う……、私じゃない、私じゃない!』

『おい硝子! 硝子!』

『……全部、あんたのせいじゃない。あんたが私の硝子を誑かしたからこんなことになったのよっ!』

『ん、ぐぁっ。やめ……っ』

『死ね、死ね、死んじゃえぇぇぇ!』

『や、……めろ! ゴホッゴホッ!』

『殺してやる……。絶対に殺してやるからな、キダァァァ!』

『うわぁぁぁぁぁ!!』


 少年は怯え、転げ回りながら逃げていく。


『あはは、硝子……邪魔者はいなくなったよ。これからは私と硝子二人だけだからね……』

『…………』

『硝子?』


 ぐったり倒れた少女を引きずる。動かなくなった最愛の人を堤防横の海に投げ入れた。




「……りさん! やめてください! 名取さん!」


 朱音の叫びは景には届かない。恐ろしい形相の景は、今にも明智の首をし折ろうとしていた。


「ん……んぐぁぁぁ、ぁがぁ」

「名取さん!」


 朱音は涙ながらに景を明智から話そうと試みる。だが、景の力は強く、朱音の力では景を引き離すことが出来なかった。

 そこに車からタオルを持ってきていた真が合流する。


「真くん! 名取さんが!」

「今度はそういう! どいて朱音さん!」


 真は、朱音が景から離れると、力強く景の身体を蹴り上げた。景の身体は真の蹴りによって吹き飛ばされる。

 朱音は景を、真は明智の状態を確認した。


「朱音さん! 明智さんは大丈夫そうです!」


 真は明智の無事を伝える。しかし、明智とは対象的に景の様子がおかしかった。


「名取さん! 名取さん!!」


 朱音の呼びかけに景は応えなかった。ぐったりと横たわったまま、動かない。辛うじて呼吸はしているが、酷く憔悴した様子だった。

 雨の中、いつまでも外にいるのは良くないと移動を試みる。そこには、タイミングよく新川の姿もあった。


 真は明智、朱音と新川は景を運び出した。

 三人は景の車に二人を運び、運転席に景、助手席に明智を寝かせた。雨に濡れた身体が体温を奪わないようにそれぞれタオルで寝れた箇所を拭き上げていた。


 いつ目覚めるか分からない緊張感の中、車内は暗い空気に包まれていた。

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