私を連れ去って⑤

「……りさ…。なとりさ……。名取さん!」


 景は人の声で目を覚ます。背中が節々が痛む。重い瞼の向こうには眩い光があった。どうやら、車の中で一夜を明かしていたらしい。


「やっと、起きましたか」


 隣から聞こえる呆れ声に景は反応する。


「おはようございます……」

「おはようございますじゃないですよ。昨日、あの後車に戻ってきたら熟睡してるんですもん。びっくりしましたよ」


 真は新川を送り届けた後、車に戻ってきたのだが、その時既に景は眠っていたのだ。真も事情が事情なだけに朝までは起こすまいと自らも助手席で仮眠を取っていた。


「名取さん、運転できますか?」

「ええ、もう少しすれば」

「だったら一度帰りましょう」

「ですが、依頼と紀田さんの件は……」

「一旦切り上げましょう。何も連日動く必要はないですよ。それに、みんな学校があります。俺たちだけで探し回ったて無駄に時間使うだけですよ!」


 真は、ちなみに新川さんと紀田家の連絡先は聞いておきましたと付け加えた。

 今回の帰還は、真なりの配慮であった。今、これ以上景の負担を増やすわけにはいかないと判断したのだ。


「分かりました。一度戻りましょう」


 万全ではないにしろ活力を取り戻した景は、高速道路を利用し約1時間半のドライブを行い、だがしやなとりへと帰ってきた。


「今日は俺が店番するんで、名取さんは休んでて下さい。何か考えることもありそうだし」

「多田くん……。ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせてもらいます」


 その後、店に立つ真の裏で、景は丸一日眠っていた。


 翌日、明智、新川、紀田家に連絡を入れ、次の土曜日に伺う旨を伝えていた。

 それまでの間、景は記憶の断片について思い返していた。捜し人である片桐硝子が死んでいるとして、その遺体が見つからないということは、文字通り海の藻屑となっている可能性もある。そして、彼女を殺して、紀田をあそこまで追い詰めた犯人の顔がわからないということ。

 紀田の記憶は虫食いで、真相に繋がる肝心な部分が抜け落ちていたからだ。


 答えに辿り着かないまま、その日を迎えた。

 景は真と共に車へと乗り込みエンジンをかけた。

 その時……。


「ちょっとまってくださーい!」


 遠くから女性の声が聞こえた。まだ、朝の7時。それも休日だというのに、その女性はだがしやなとりへやって来た。

 景と真、二人はその姿を知っていた。


「朱音さん!?」


 真っ先の声を上げたのは真だ。


「どうしたんですか? こんな時間に」

「私も……何か手伝えないかなって……思っ…て……」


 途中から全速力で走ってきた朱音の息は大きく乱れていた。朱音の言葉受けて、真は嬉しそうに景の方へ向いたが、当の景は渋い表情を浮かべていた。


「朱音さん、今回の件は関わらないで欲しいです」

「えっ……」


 突然の景からの拒絶に思考が止まる朱音。その姿を景は直視出来なかった。朱音の周りに悲しみの影が滲み始めたからだ。


「ど、どうして、ですか? 猿渡さんの時は一緒に……」

「今回は駄目です……」

「だから、どうしてっ!」

「名取さん……。ちゃんと説明したほうが」


 瞳に涙を浮かべた朱音を黙ってみていられなかった真が景に説明が必要だと進言した。


「前回のような、優しいものではないんです……。今回の件、確実に人が死んでます……」

「……嘘!?」


 真に確かめるように朱音は視線を移す。それに真は静かに頷き肯定した。


「そんな危険があるかも知れない場所に、朱音さんを連れて行くわけにはいかないんです」

「……嫌です」

「え?」

「嫌です! それでも一緒に行きます! 私は、名取さんが心配なんです。この前みたいに倒れられたら、私は……そこに居ないと何もできないじゃないですか……」


 朱音は泣きそうな震えた声で続ける。


「真くんから聞きました。また倒れて、一日中眠ったままだったって! そんな状態になるまで頑張ろうとするなら助けたいって思ってしまうじゃないですか!」

「……」

「だから、私もついていきます。……たとえ、置いていかれたって必ず探し出しますから!」


 朱音の意思は固かった。

 それは、景の眼を通しても伝わっていた。揺るぎない芯の通った想いだった。


「分かりました。朱音さんも一緒に行きましょう」

「は、はい!」

「ですが、条件があります」

「うわっ、出た!」


 景の言ったことに真が反応して茶化す。

 景は真っ直ぐ朱音の目を見た。


「絶対に無茶はしないでください」




 

 景と真、新たに朱音を含めた三人は再び千葉県へと足を運んでいた。この日は、晴れのち雨の予報で午後から天気が崩れるとニュースで流れていた。

 

「天気が悪くなる前にできる限り調べましょう」


 景たち三人は、先日訪れた紀田家へと向かった。

 紀田家二階、和希の部屋の扉は依然として壊れていた。そこには、人が居るはずなのに気配を感じないのも変わっていなかった。


「まず、僕が一人で聞いてきます。二人は、僕が手に負えなそうになったら助けてください」


 景は二人に言い残すと暗い部屋へと足を踏み入れた。

 部屋では紀田が一人、ベッドに横になっていた。


「失礼します。紀田和希くん、君に話があります」


 先日とは違い、声に動揺することはなかった。寝返りをうつ形で景へと向き直る。


「誰……?」

「僕は、名取景といいます。先日もお邪魔してましたが覚えてないですか?」


 紀田は首を横に振り、覚えていないと伝える。景は紀田の状態に気を遣いながら慎重に言葉を選んだ。


「僕は紀田さんに質問があって来ました。分かる範囲でいいので話を聞かせてもらえますか?」

「はい……」

「先ず、君はこうなる前のことを覚えていますか?」


 景の質問に紀田は答えていく。

 前後日の記憶が欠落していること。引き籠もった経緯がよくわかっていないこと。紀田は気付いたときには怖くて部屋を出れなくなったと話した。


「片桐硝子さんのことを聞いてもいいですか?」

「硝子ちゃんのこと……」

「彼女が行方不明になっていることは知ってますか?」

「いえ……。行方不明?」

「君が家から出なくなった時期と片桐さんが消えたタイミングが近いんです。なにか思い当たる節はありますか?」


 景は考えていた。あの記憶の断片が紀田のものであるということは、それを見ているはずなのだ。


「……俺、飲み物を買って……。それから、海に行きました……。そこに、硝子ちゃんも一緒にいたような……」

「誰か他に人はいませんでしたか?」

「他に……」

「っ! いえ、何でもありません。気にしないで下さい」


 景は突然、口を開きかけた紀田を止めた。黒い靄のような影が紀田から溢れ出したからだ。このままでは、またパニックを起こしかねないと判断した景は話を切り上げた。


 景は、朱音と真の二人と合流し、休憩を挟んだ後に海へと向かった。

 本来なら先日の段階で、真っ先に現場を確認するべきであった。だが、流されるように学校へ行き、当然のように問題が重なる。そして、一番大事な場所を訪れていなかった。


 再び車を動かし、海近くのパーキングエリアに駐車する。件の場所について話を聞いていない景は、己の眼に頼る他なく、海辺に残る多くの想いを読み取っていた。


「名取さん……大丈夫かな?」

「まあ、いざとなったら俺たちが助けるしかないわな」


 朱音と真は遠巻きに景を見守っていた。


 海辺。波打ち際を歩く景の動きが止まった。


「これは……」


 景は海でも砂浜でもない場所を見ていた。海沿いの道路を見つめていたのだ。

 景はゆっくりと道路まで進み、歩道から海を眺めた。


「ここです……」


 景の後を二人が駆け足でついて行く。


「僕が視たのは、ここからの景色です」

「名取さん、それってこの前の?」

「はい、紀田さんの記憶で視た場所です」


 そこから見える景色は、なんの変哲もない海と砂浜。それと、奥に堤防があるだけだ。

 景は再び波打ち際まで行き、想影を探し始めた。それから数分、景は目的のものを見つけ出した。


「ちょ、ちょっと名取さん!」

「濡れちゃいますよ!」


 景は靴も脱がずに海の中へと足を踏み入れる。始め、朱音と真は何か意図があるのだと黙っていたが、そんな状況ではなくなる。


「名取さん! いい加減戻ってきてください!」


 真の呼びかけに景は反応を示さなかった。ただ、海の中に向かって真っ直ぐ進む。次第に脚は見えなくなり、上半身が海の中へと消え始めた。


「朱音さん……。たぶん、あれまずいですよ!」


 異変に気づいた真が景を連れ戻そうと海の中に入る。朱音も助けに行こうとしたが、真がそれを制した。


「名取さんは俺が何とかしますから、何か身体を拭けるもの探してきてください!」

「わかったわ!」


 真は今を、朱音は後の為に、それぞれ出来ることをした。真が景に追いついた時には、既に胸の辺りまで海に浸かっていた。


「くっ……。重い……」


 言葉の通じない景を、真は無理やり砂浜へと引っ張り出す。投げつけられた景は、身体を打った拍子に自我を取り戻す。


「僕は……何で、濡れて……」

「そりゃ……あれだけ海に入れば濡れるでしょ! てか、何やってんですか。あれじゃ自殺ですよ」

「自殺……。あの想いが……?」


 景が触れた想影は、強い希望の影であった。

 望み、報われるといった期待の影。その強い影が景の心を奪い動かしていた。


「真くん! タオル買ってきたよっ!」


 コンビニでタオルを買った朱音が戻ってくる。

 景と真、二人は濡れた身体と衣服を軽く拭いていたのだが、ポツポツと小雨が降り始める。

 その雨は涙のように生暖かく、雲行きはこれから起こる舞台を整えるかのように薄暗く曇り始めた。

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