失くしたレポート③
「ここは、加納くんの研究室か……」
「う、嘘よ……。きっとあなたがこの男にこの場所を教えたんでしょ!」
「違います! そもそも俺は加納教授と面識がないじゃないですか! 何処に研究室があるかなんて知りませんよ……」
加納は、多田に対して物凄い勢いで迫っていた。その表情には、先程まで僅かながら残っていた余裕は全て消えていた。
景は扉に手を掛け、室内へと入る。室内を見回した景は、山貝に向かって、研究データがあると思われる場所を言った。
「紙のものに関しては、そちらの棚にあります。データは奥のパソコンに入っているでしょう」
「あ、あぁ」
促されるまま、山貝は棚を漁る。件の研究レポートは直ぐに見つかった。巧妙に隠したつもりだったのだろう。ファイルのタイトルと中身が一致していなかった。
続いて、パソコンを確認する。ロックが掛けられていてログインが出来なかったが、ここまで来てしまえば言い逃れが出来ない。加納は大人しくパスワードを打ち込みロック画面を解除した。
「あった……。我々の研究データ……。」
廊下で喜ぶ生徒たち。しかし、多田は別だった。
なんで? どうして? という疑問が先行していた。
放心状態の多田に、景は声を掛ける。
「これで依頼完了です。後日でいいのでしっかりお支払いお願いしますね。では、僕はこれで……」
「えっ! ちょっと待って下さい!」
「はい? まだ何か?」
「いや、だってまだ終わったわけじゃ……」
「終わりましたよ。僕の仕事は探し物を見つけることでした。現物を確認した時点で仕事は終了です」
帰ろうとした景の腕を掴んで呼び止めた多田だったが、あっさりと仕事はここまでと言われてしまった。
「ですが、このあとどうすれば?」
「申し訳ないですが、その辺は力になれません。依頼は完了しました。僕は加納さんがどうなろうが、どうでもいいので、後は好きに処理して下さい」
「そんな……」
依頼を終えた景は、一同から踵を返し、その場を後にした。その後ろ姿は、とても淡々として、それは、冷淡にも映るほど澄んだ空気を纏っていた。
話を終えた景は、朱音の方を向き、こんな感じですといったふうに笑ってみせた。
昨日の数時間のうちにそんな大変な事があったとは露にも思っていなかった朱音はただ一言、大変でしたねと景を労った。
「まあ、偶にこんな感じで、探し物の依頼が来ることがあるんです」
「正直、信じていい話なのかわからないですけど、名取さんって思ってた感じとは大分違うんですね……」
「お恥ずかしい話で、怒ってしまうと人が変わったようになるって言われますね」
「そんな……恥ずかしいだなんて……。私は嫌なことも否定出来ない側の人間なので、名取さんみたいな人羨ましいです」
「そう言って頂けると助かります……。そうだ! うっかりしてた! まだ、自己紹介も何もしてないですね。子供たち以外にお話ができる人が少なくて、浮かれてました」
景は恥ずかしそうに頭をかいていた。
そして、改めてと一言前置きを入れて━━
「僕は
「私、
お互いの自己紹介を終えると、なんだか急に照れ臭くなってきた二人。そんな空気を紛らわすために朱音は駄菓子の並ぶ棚へ行き、数個選んでレジと持って行く。
「良かったら一緒に食べませんか?」
朱音が持ってきたのは酸っぱいハズレ付きのチューインガム。これを見た景は、分かってますねぇといった具合に嬉しそうに微笑んだ。
「はい喜んで! でも、ここは僕が払います。朱音さんはまたお店に来てくれたときに購入して下さい」
「ふふ、分かりました。また、空いた時間に来ますね!」
お互い椅子に座り直し、3個入りのチューインガムにそれぞれ手をのばす。
「「せーのっ!」」
タイミングを揃えるべく声を掛ける二人。
同時に食べたチューインガムは甘くて少し酸っぱい味がした朱音であった。
〜後日談〜
依頼を完了した3日後の事である。
景のもとに多田がやってきた。提示した条件通りの金額を持ってきたのだ。多田は律儀にも剥き身のお札ではなく封筒に入れて手渡してきた。
中身を確認し確かに受け取ったと伝える景。だが、多田は景の前から去ろうとはしなかった。
「どうかしましたか?」
「あー、いえ、あの時とは大分雰囲気違うなって思いまして……」
「ふふ、あの場の皆さんには少し怖い思いをさせてしまったかもしれませんね」
「そんなことは……。ん~、何ていうか、構内に密かにファンみたいなものが出来てるというか……。女子の間で名取さんの話題が持ちきりなんですよ」
「何故です?」
「先日、教授達に対して、『相手の気持ちを考えろ!』みたいな事言ってたじゃないですか。それがかなり響き渡ってたみたいで、それにあの髪の長いイケメンは何処の部だって感じで、もう盛り上がってます」
景の知らないところで評判は爆上がりだったようだ。
「一応、あれからどうなったのかっていうのを名取さんにお伝えしたくて」
「そうですか……。ですが、多田さん。君の影を視た限りでは、あまり良い結果にはならなかったみたいですね」
「……はい」
景には、多田の影が視えていた。それは少し淡い緑の色をしていた。疲れ、悩みが溜まっているのだ。
多田は聞いてくださいと事の顛末を語り始めた。
依頼終えて景が帰った後、山貝教授は加納教授を連れて教務室へと行き、事の経緯を聴き出し、糾弾していた。
加納は自身の研究が上手くいかない事に焦りを感じ、手早く成果を挙げるために研究データを盗んだようだ。その場では、皆解散してそれぞれ帰路に着いたが、帰る前にチームの全員が多田のもとへ謝りに来た。しかし、多田はモヤモヤした気持ちが晴れず、そのまま翌日に。
そして、大学へ行くとバカにしてきた連中が何事もなかったかの様に話しかけてくるではないか。
「大丈夫か?」「気にするな」「今度遊びに行こうぜ」
驚く程の掌返しに気持ち悪くなり、走ってその場を去った。
講義を受けた後、山貝教授が廊下で待っていた。来てほしいと言われ、後を追うと部屋には加納教授と理事長がいた。山貝教授に促されるまま、理事長と加納の前に座り話を聴いた。
内容については、学内で起こったことは警察に連絡せず、身内で処理するとのこと。加納は名誉を傷付けたとして教授の地位を剥奪、半年間の謹慎処分となった。山貝に関しては、地位剥奪こそなかったが1ヶ月の謹慎と半年間の雑務が言い渡された。これは、不当に我が校の生徒を貶めた罰であると理事長は述べた。
続けて、理事長は多田に向けて静かに頭を下げた。プライドの高い連中を束ねる人だ。そんな大学のトップに頭を下げられるとは全く思いもしなかった。
何か望みがあれば、我が校で出来る事はすると理事長は言った。その言葉に対して多田が出した答えは……。
「先程渡したお金と一年の休学です。勿論休学中の学費は全免除です」
「そうですか。君の疲れ悩みは、人間関係の崩壊。不信といったところでしょうか」
「わかりません……。でも、そんな気がします」
「お節介かもしれませんが、君は今後どうしていくつもりですか?」
「一応学生の身ですし、勉強は続けます。それに一人暮らしなのでアルバイトも増やそうかと……。あの、ここって雇ってもらえないですかね?」
想像もしていなかった言葉に、景は驚いた。
従業員は景しかおらず、依頼が入れば店を閉めることも多い景にとっては渡りに舟であったが……。
「君……駄菓子は好きかい?」
「駄菓子ですか? ……キャベツ太郎とかわさびのりとかはよく食べますね」
「うん! 採用!」
「えっ! こんなので採用ですか? いいんですか? それで……」
「いいよ。駄菓子が好きならそれで……。あー、あと賃金は低いけどそれは許して……」
「それは……まあ、別に」
「あ、もう1つ。僕がお店を空けるときは出来るだけ店番をしてほしい!」
多田は確認しなくてはならなかった。
「それは、条件ですか?」
その問いに景はクスリと笑って……。
「いいや、お願いだよ」
こうして、だがしやなとりに一人、従業員が増えたのであった。
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