幼日の姉姫①
春が終わり、夏らしい季節へと替わりつつあったそんな時期。まだ小さな少年と着実に大人の階段を昇っていた少女は約束を交わしていた。
「俺、大人になったら、なっちゃんと結婚する!」
「ほんと? 嬉しいな。じゃあ、ふゆくんが大きくなったら迎えに来てね!」
「うん! わかった! 絶対の約束だからね。指切りしようよ!」
「うふふ、はいはい」
少女は笑うと少年から伸ばされた小指に、自身の小指を絡める。
「ゆびきりげんまんうそついたらはしせんぼんのーますゆびきった!」
「もーう。ふゆくんってば、はしじゃなくて針だよー」
「はりって言ったもん!」
だが、そんな優しい時間は残すところ僅かになっていた。少女には、町を離れなくてはならないという事実だけがあった。それは、町から離れる最後まで少年に伝えられることはなかった。
突然消えた少女を探して、少年は何日も泣いた。「どこ?」「遊ぼう」「おねぇちゃん」と……。
5月末、新入社員の教育だなんだと、少々多忙な時期を乗り越えた
「こんにちは。
「こんにちは。約一週間ぶりですね」
名取と呼ばれた男は品出しの最中だった。
お昼前ということもあり、まだ暖かい日差しが店内に入り込む。光は景を照らす。艶のある長い綺麗な黒髪に眩しさを感じた朱音。長身で顔立ちも良く、芸能人顔負けの美貌だろう。
「まだ、
真とは、先日のレポートの件以来、だがしやなとりで働くこととなった大学生、
「気になりますか? 真くんのこと?」
景は、いたずらっぽく微笑み言葉を返した。
「もう! 違います! ただ来てるのか確認しただけじゃないですか!」
「ふふ、冗談ですよ。多田くんは今日は来る予定がないですね。まあ、私が居なくなるようであれば呼びつけますが……」
柔和な笑みで凄いことを言う、と朱音は思った。しかし、二人の関係性を数日間だが近くで見てきた朱音には、微笑ましくも思えた。
今までは一人で店を切り盛りしてきたわけだが、多少なりとも活気が違う。真は意外にも子供たちに人気であった。
一方、朱音はというと、「オバチャン」「アカネーバ」「あかばあ」なんて呼ばれていた。朱音はそんな呼び方一度も許したことはなく、いつも、お姉さんと呼びなさいと子供たちを
「名取さん、真くんの一件の後は、依頼が来てないんですか?」
朱音は素朴な疑問を投げかけた。景には、人とは違う感性がある。その力を使って物や人を探すことができるのだ。
「来てないですね。それに、そんな公にしていることではないので……。朱音さんには普通に話してしまいましたけど、本来ならあまり口外しないんですよ」
「どうしてですか? それで、仕事が増えるならいいじゃないですか?」
思ったことを言った朱音だったが直ぐに後悔した。景の表情が少し翳ったからだ。
「ご、ごめんなさい。部外者が余計なことを……」
「いえ、いいんです。誰かの為になるなら、私は幾らでも影を追います。けれど、人は周りとは違うものを遠ざけてしまう。避けてしまう。疎ましく思うんです……。そして、見つけた真実が必ず幸福に繋がるわけではありません」
景の言葉を受け、朱音は、なぜ真がお店で働くようになったかを思い出した。
そして、景の翳った表情から、心の内にとても深い何かを持っているのではないかと、朱音は直感的に感じ取っていた。
朱音には、こんな顔する景を黙って見ていられなかった。
「それでも! 私は凄いことだと思います! 人の想いに触れて、追って、辿り着いた先が幸福でなくても、依頼者にはずっと欲しかった答えだと思うんです! だから、名取さんのやってることは誇らしいことだと思います!」
朱音は捲し立てるように思いの丈を景へとぶつけた。そのあまりの勢いに、普段落ち着いた態度の景であったが驚いたという顔した。そして再び柔和な笑みを浮かべると、朱音に向けて感謝を伝えた。
「ありがとうございます。そんなふうに言ってくれる人は中々いませんでしたので……素直に嬉しいですよ」
あはは、と照れ臭くそうに額をかく景。その表情からは先程の翳りが消えていた。
陽の差し込む中、二人で談笑していると入り口の扉が開いた。
「名取景って人いる? 頼みたいことがあんだけど」
店の入口に現れたのは、派手な金髪にツーブロックスタイル、耳と口にピアス。革ジャンにダメージジーンズといった、いかにも不良らしい男が立っていた。
「いらっしゃいませ。僕がその名取景ですが……一体どういったご要件でしょう?」
不良風の男に対して、物怖じすることなく淡々と続けた。対して、朱音はというとビビっていた。
「おう、頼みがあんだよ」
男はメンチを切ったまま、ゆらりゆらりと景の前に出る。景との距離は数センチまで近付いていた。景の顔を近くでジッと見つめ、何を思ったのだろうか、うんうんと首を縦に振りながら後ろへと下がった。
朱音の心臓はこれでもかという程脈打っていた。恐い恐すぎると!
「おめぇ、やんじゃねぇか。あん! メンチ切って微動だにしねぇなんて大したもんだ」
「それは、褒めてくれているんでしょうか?」
「あぁ、これから頼み事するやつがイモ野郎じゃ困るからな」
イモ野郎?
朱音は聞き慣れない言葉に首を傾げた。もちろん心の中で……。
景は、要件を言ってもらえないと話が進まないと伝えた。
その言葉を受けて、男は背筋を伸ばし着ている服を整えた。
「名取さん。捜してほしい
先程までのヤンチャな態度とは打って変わり、誠実ささえ感じる物言いで、依頼内容を告げたのであった。金色の頭を下げて、景に願う。その姿から不良らしさは消え、むしろ好青年味さえ感じる。
景は顎に指を当て、暫く考え込み……静かに口を開いた。
「確認なのですが、その人は故人でしょうか?」
「こじん?」
「亡くなった人という意味です」
「わかりません。会わなくなってから随分経ちましたから……。でも、流石に死んでねぇと思います。きっとまだ若けぇはずだし……」
「なるほど……」
朱音は景が依頼を受ける姿を初めて見ていた。真のときは話を聞いて即座に決めていたようなだけに、色々な場合があるんだなと思った。
「わかりました。その依頼受けましょう」
「マジですか! よっしゃああ!」
「ですが……。条件があります」
「ああ? 条件だぁ?」
男の威圧的な態度に臆する素振りもなく、景は続けた。
「一つ、この仕事の事は口外しないこと。二つ、僕の意に背かないこと。三つ、今から提示する金額を必ず納めること。以上三つです。守れますか?」
真の話の中で聞いた台詞だ。朱音は初めて聞くこの台詞にドキドキした。まるでドラマの世界にいるような感覚に陥りそうになっていた。
「なんだって? 一つが……老害? 二つはわかんねぇや、三つは金だな!」
ブチ壊しであった。
朱音の胸の高鳴りは一瞬にして元に戻ってしまう。
「はあ……。一つはここの仕事のことを誰にも話してはいけません。二つは僕の言うことに従ってください。最後の三つ目は依頼料です……」
景は疲れた様に再度説明した。
「ああ、わかったぜ! その条件飲んでやらあ!」
「それでは、金額ですが……30万です」
「さ、さんじゅう!!」
あまりの金額に朱音の方が声を上げてしまった。
「30万だな……わかったいいぜ! ほらよっ!」
男はレジの上に一万札の束を置いた。バラバラでいくらあるかはわからないが30万円以上はあるだろう。
男の行動に、流石の景も面食らっていた。朱音に関しては何度も何度も男とお金を見返していた。
「どうして、そんな簡単にお金を支払うのですか? 貴方にとっては
「そんなわけねぇだろ! こちとら18だぞ! けど、金がかかることは噂で知ってたしよ……。それに、どんな手を使ってでも会いてぇんだ。会って確かめなきゃいけねぇんだよ!」
男には覚悟があった。大金と呼べる金額払ってでも成したいことがあったのだ。
「18って……まだ学生じゃない!」
「もう学生じゃねぇっすよ。ちゃんと働いてます。まあ、今年からだけど。その金は学生の時にバイトして貯めたもんです。その頃からここのことは知ってましたから……」
男はギュッと拳を握っていた。
「そうですか……。では、正式引き受ける前に、情報を整理しましょう。貴方の名前と捜してほしい人の名前、それからその人にまつわる物を教えて下さい」
景の聴き取りがはじまった。名前、目的の順で聞いている。
「俺は
「なっちゃん?」
「本名がわからないんです。なんせ10年くらい前のことなんで……」
「なるほど……。続けてください」
「なっちゃんと関係するものは何も持ってなくて……」
「では、その人との関係はどういったものでしょう?」
「昔、近所の公園で遊んで貰ってた女性です。歳は離れてて、なんか本当の姉みたいな、そんな感じの人でした」
猿渡から一通り説明を聞いた景は、再び考え込んだ。あまりにも情報が少なすぎたのだ。しばらく考えた後に、景は朱音のもとへと歩いていった。
「朱音さん。お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「な、なんですか……」
「このあと、僕と一緒に来てほしいんです。そして、出来れば明日も一緒にいてほしい……」
「い、一緒にですか!」
朱音は、一緒にいてほしいと言われ、僅か一瞬だけ舞い上がった。しかし、景の悩ましい表情から察するにそういう意味ではないのであろうと、すぐにわかってしまった。
「大丈夫です。明日もお休みですので、お付き合いします」
「助かります。正直今回の件は、僕一人では時間がかかると思いまして」
「そういうことなら、喜んでお手伝いします!」
「本当にありがとうございます」
そうして、再び猿渡のもとへと戻る。景は、依頼には朱音も連れて行く旨を伝えた。
猿渡は、別に構わないという感じであった。
「最後に、もう一度依頼内容の確認です。猿渡さん、貴方は昔一緒に遊んだ姉のような女性を捜してほしいんですね?」
「はい!」
猿渡の返事に、景は自信に満ちた優しい笑顔で……。
「その依頼、この名取景が承った」
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