失くしたレポート②
朱音が店を出た直後、入れ替わるように入ってきた男、多田は切羽詰まっていた。大事なものを失くしてしまったのだ。
「だがしやなとりって店は、ここですよね?」
「はい。そうですよ」
「すみませんが店長の
「落ち着いてください。私がその名取景です」
多田は目の前にいる長髪の男が店長、名取景本人だとは思わなかった。聞いていた話とは随分違ったからだ。多田が聞いた名取景はもっと傲慢な印象だった。だが、目の前にいるのはいかにも優男といった具合の美男子ではないか。それでも、本人が言うのだから間違いないと多田は話を続けた。
「お願いというか依頼したいことがあります」
「内容はどういったものでしょう?」
「紛失したレポートを見つけてほしいんです!」
「なるほど、失せ物捜しですか……」
依頼内容を聞いた景は多田に向かって条件を提示した。
「依頼は受けてもいいでしょう。但し、条件があります」
「条件……?」
「一つ、この仕事の事は口外しないこと。二つ、僕の意に背かないこと。三つ、今から提示する金額を必ず納めること。以上三つです。いいですか?」
「……」
条件を聞いた多田は、噂話程度に聞いていた名取景という人物像に誤りがなかったことを思い知った。
名取景という男、見た目に反して中々に傲慢であった。
「わ、わかりました。それで、金額は幾らになりますか?」
「そうですね。5万円といたしましょう」
「5万円!? 高すぎます!」
多田は一介の大学生なのだ。5万は大金だ。大学生でなくても大金なことに変わりはない。
「ちょっと待って下さい! それは、余りにも……」
「貴方は本当に困っているから僕のところへ来たのではないですか? それとも失くしたものは貴方にとってはその程度の物だったのでしょうか?」
「けど、捜し物程度でそんな!」
「では、自分で捜して下さい」
「そんな! 俺はもう1週間近く捜してきたんだ! それでも見つからなくて……ここに……」
景も多田もお互いに黙ったまま数分が過ぎ、ようやく多田が口を開いた。
「分かりました。お支払いします。ですから必ず見つけてください!」
多田の表情には、怒りと期待の2つの感情が混ざっていた。
景は多田の依頼をしっかり聞き、笑顔で自身に満ちた顔で告げた。
「その依頼、この名取景が承った!」
依頼を受けた景は、多田と共に大学へと足を運んでいた。この時点で空の朱は薄い黒に変わりつつあった。
景は移動の合間に改めて事の詳細を多田から聞いていた。どうやら紛失したレポートは大学の研究を纏めたデータのようだ。
研究はチームで行っている。そのデータ管理を任されていたのが多田だった。だが、ある日いつものように研究室に行き、パソコンを起動したところ該当データが根こそぎ消えていた。紙媒体で纏めた資料も鍵を掛けた引き出しに閉まったはずなのに消えていた。
このことを急いで教授に報告したが、紛失したという事実があり酷く怒鳴られたのだ。そして、そんな話が広まり、同じ学部内ではデータ管理も出来ないマヌケのレッテルが貼られ、陰では、データを盗んだ等、根も葉もない噂が独り歩きしていた。
勿論、こんなデマカセ否定したが信じてくれる人は少なく、次第に多田は孤立していったのだ。
「研究室見せてもらえますか?」
「ええ、こっちです」
多田は景を研究室へと案内する。
研究室の前へと来た多田と景であったが、ここで多田の動きが止まった。ドアに手をかけようとするも震えて腕が上がらないのだ。
それを見た景は、多田の肩に手を置き自身でドアに手をかけ引いた。
室内には6人いた。
うち4人は学生、2人は教授だった。
「なんだ、君は?」
教授1人の声に一同の視線が一斉に景へと向く。
「僕は名取景と申します。突然お邪魔して申し訳ございません。僕の元に依頼があり、急遽現場を調べさせてもらうために来ました」
皆、景が何を言っているのか理解できずにいたが、後ろから姿を表した多田を見て何となく察した。
「多田っ! お前何しに来たっ! どの面下げてこの場所に来てるんだ! えぇ!」
「……
山貝と呼ばれた、50半ばに見える熊のような男の恫喝にも似た怒声に、一瞬にして空気がピリついた。そんな中で隣にいた、山貝より少し若そうな女性が
「落ち着いて下さい、山貝教授。生徒たちがびっくりしてます。」
「……悪かったな。加納くん……、皆も作業を続けてくれ」
一度落ち着きを取り戻した山貝は、再び多田を睨みつけた後、景へと視線移す。鋭い視線は変わらず、加えて相手を見定めるように頭から足の爪先まで数度見返した。
「それで、名取さんでしたか? 本日は一体どういったご要件でいらしたのでしょう?」
「はい。本日は僕の方に彼から依頼があって参りました。何でも紛失したレポートを見つけて欲しいと言われまして」
「多田、お前! 外部の人間に何を頼んでるんだ!」
「山貝さん、そう彼を責ないで下さい。話を聴く限り、彼が大事なレポートを紛失させたと決まったわけではありません。彼の代わりに僕がレポートを見つけましょう」
「はっ! 何を言ってるんだ。馬鹿にしてるのか! 管理者が失くした、それ以外に考えられないだろう。だから、こいつを除名して別の研究室の教授にまで手を借りてやり直しているんだ!」
「まあまあ、そうカリカリしないで下さい。
笑顔で景が放った一言に場が凍りつく。
「貴様! 馬鹿にしやがって!」
「ちょちょちょ、名取さん! 何言ってるんですか!」
勢いよく景の前に歩み出る山貝を阻むべく、多田が壁になるが体格差故に弾き飛ばされてしまう。
景の前へと出た山貝が胸ぐらを掴み軽く持ち上げる。山貝は景より10センチ程大きく、形通り熊のような人であった。
「もう一度言ってみろ!」
「そんな……カリカリしてると早死しますよ……」
「このっ……! ふざけやがって!」
胸ぐらを掴まれても笑顔のままの景だったが、山貝が拳を振り上げた瞬間、今度は景が怒鳴った。その表情は優男や柔和といった印象とはかけ離れていた。
「嗚呼、
景の恐ろしいほどの変わりように、山貝は掴んだ手を離していた。
改めて一同が見た景の目は酷く冷めていた。
「ったく。決め付けで物事を進めて、ここに居る誰一人、真相を探ろうとしない。そうやって数に潰され行き場を失くした奴がどうなるかなんて考えたこともないだろう?」
景の言葉に室内全ての人が押し黙る。
「誰か一人でも、こいつの為に力を尽くしたやつはいるのか? 貸すんじゃねぇ、尽くすんだよ! いないよな! てめぇ等にとって本当に大事な代物なら責めるんじゃなくて同じ責を感じろ!」
静まり返った重苦しい空気の中、山貝が口を開く。
「確かに、多田に責任を押し付けていた。本来なら私が責任を負わねばならないのに……。私は力で自分を正当化していたんだ」
山貝はポツリと言葉を零した。そうさせるだけの圧が今の景にはあったのだ。
「すまなかった。私がお前を追い詰めたばかりに……。本当にすまなかった」
深々と頭を下げる山貝。それを見て多田は力無く膝から崩れ落ち、嗚咽混じりに溜め込んだ想いを吐き出した。
「この一週間……。俺が、どんな、どんな思いで過ごしてきたと……。居場所を失くして、
泣き咽ぶ多田の姿を見て、山貝は景へと向き直る。
「大変ご迷惑をお掛けしました。多田のことは重く受け止め、こちらで対処致します。名取さん、数々無礼誠に申し訳ありませんでした。」
二度三度、頭を下げる山貝。しかし、景はそんなこと気してはいなかった。
「いえ、こちらこそ突然語気を荒げて失礼しました。皆さんも怖い思いをさせてすみません」
景は周りで固まっている生徒たちに一言謝った。
そして……
「しかし、まだ僕の要件は終わっていません。依頼はレポートを見つけ出すことです。在り処についてはおおよその見当がついてます」
「そ、それは本当ですか?」
景の言葉に山貝は驚いた。山貝だけではない一同全員が驚いていた。
そのレポートには、今までの研究の成果、工程が事細かに記載されている。それを見つけることが出来たなら、始めから研究をやり直す必要がないからだ。
「な、名取さん。レポートの在り処が分かったというのは本当ですか?」
「ええ。だから、多田さんは何も負い目を感じる必要はありません。では、その場所へと向かいましょう」
そう言って、景が進んだ先は山貝から加納と呼ばれていた女性の前だった。
「加納さん、紛失したというレポート、持ってますよね?」
「なっ……!?」
「どういうことだ加納くん!」
「いえ、私は知りません!」
「名取さん、一体どういうことなんですか?」
多田は景の突然の発言に戸惑っていた。多田だけではない、景を除くその場のすべての人が動揺していた。
「信じるか信じないかはさておき、僕は少しだけ人とは違う感性を持っています。それは、人の影を追うことです。想いがあれば其処に跡が残る。僕は、その跡を影という形で視ることができる」
急に突拍子もない事を言う景に開いた口が塞がらない一同。しかし、景は続ける。
「僕は、探偵でも警察でもありません。推理や現場検証といった過程を踏めません。ただ、僕の目で視た結果を伝えることしかできないんです」
「滅茶苦茶よ! そんなことで私を泥棒呼ばわりして、訴えるわよ!」
「どうぞご自由に……。ですがその前に、僕が視えてるものをお話しましょう」
景は自分の目に映る世界を話し始めた。
「レポートに関しては非常に強い想いが感じられます。それはきっと、皆さんが心血を注いできたからだと思います。本来、其処にあるべきものだったのではないですか?」
景は研究室の角にある机を指差し、上から二番目の引き出しと付け加えた。
すると、周りの生徒たちも保管場所は知っていた為、驚いた様に「合ってる」と声を漏らした。
「そして、その机の前から濃い影が貴方へと続き、この部屋の外へと流れています。おそらく、レポートはここにはなくて貴方の本来の持ち場にでもあるんじゃないですか?」
「なにを……」
「付け加えるなら、その机の前から貴方に向かって薄い赤い影……邪な想いが続いています」
「いい加減にして! ふざけたことばかり言わないで! 警察呼びますよ!」
「だから、ご自由に……。しかし、警察が来ると状況確認のために全て調べられると思いますが、そうすると隠しているものが見つかってしまいますね?」
「うっ……」
押し黙る加納に対して、山貝が問い掛けた。
「どうなんだ! 加納くん! 我々の研究レポートは君が所持しているのか?」
「そ、それは……」
以降、無言のままでいた為、景が提案をした。
「では、僕がレポートが在ると思われる場所へ案内しましょう。僕が間違っているという可能性も充分に考えられますので……僕も絶対ではありませんし」
景は、僕が間違っているかもしれないという期待を相手に与えつつ、皆について来るように促した。このとき、既に景の顔は、先程の険しいものとは打って変わって、柔和な笑みになっていた。
その姿を見た多田は少し、景のことが恐ろしく感じた。言葉通り、別人に見えたのだから……。
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