第193話「エビフライ」

 少し歩いたところに目当ての洋食店があった。

 中に入り、席に座ると、厨房の方から卵のいい匂いがほんのりと香ってきた。


「ランチ、11時から14時までなのね」


 亜弥がメニュー表に目を落とす。

 ランチセットの他にも単品ものや普通の定食もあるけれど、やはりランチセットの方がお得だ。

 店のホームページにもオススメと紹介されていたし、是非とも食べておかないともったいない気もする。


「私、エビフライセットにしようかしら」

「奇遇だね、俺もそれにしようと思ってた」


 俺は店員を呼び、2人分のエビフライ定食を注文した。

 他にもオムライスやナポリタンのセットも美味しそうではあったけれど、それよりもエビフライを食してみたいという欲が勝った。


 そういえばエビフライを最後に食べたのっていつだっただろうか。

 コンビニの弁当に付随してくることは多くないし、亜弥も手料理で振る舞ってくれたこともない。

 きっと作れないことはないのだろうけれど。

 まあ、タイミングが合わなかったのだろう。


「亜弥ってエビフライ作れるの?」

「もちろん。あら、食べたことなかったっけ」

「記憶にはないかな。手料理を振る舞ってくれるのも多分少ないと思う」

「なら、今度機会があれば作ってあげるわ」


 得意げな笑みをこちらに向けてきた。相当な自信があるのだろう。


 繁盛する時間帯だからか、料理が運ばれてくるまでまあまあ待ったと思う。

 それでも綺麗な淡い朱色の衣をまとったエビフライがやってきたときは子供のようにテンションが上がってしまった。


 メニュー表の写真よりも、なんだか随分と大きなエビフライのような気がする。

 これはいい写真詐欺だ。


 箸でエビフライを持ち、そのまま口に持っていく。

 サクッとした衣の触感に、プリッとしたエビの甘みが口の中いっぱいに広がっていく。

 有名なタレントがエビを食して「宝石箱」と称していたけれど、なるほど、その意味がよくわかる。


 目の前の亜弥も大きなエビフライに舌鼓を打っていた。


「美味しい?」

「ええ、とっても」

「自分で作ったものとどっちが美味しい?」

「私」


 そこは譲らないらしい。なんとも亜弥らしくていいけれど。


 もちろんエビフライ以外も美味しかった。

 まず千切りされたキャベツはシャキシャキとした触感はもちろんのこと、ドレッシングと相まって程良い酸味がエビフライの甘さを引き立てている。

 白米も一目見ただけでわかる艶の良さ、その見た目に恥じない芳醇な味わいが、やはりこれもまた食欲を駆り立てる。

 どの食材もとても美味しいが、それでもこの料理の主役はエビフライであるということをちゃんとわきまえているようだ。

 何を食べてもエビフライ欲が止まらない。


「さっき私が作ったエビフライの方が美味しいって言ったじゃない?」

「ああ、そうだね」

「あれ、半分本気なんだけど、半分冗談なの」


 エビフライを食べる手を止めずに、亜弥が言葉にする。

 まあ冗談だろうなとは思っていたけれど、それでも半分は本気だったのか、というところに少し戸惑ってしまう。


「自信はあるんだろう?」

「あるわ。けど、やっぱりプロが作った方が美味しいわよ。どの料理も」


 料理に関していつも強気だった亜弥が、こんな風に弱気なのは珍しい。

 俺にしてみれば、亜弥の料理もお店と十分引けを取らないくらいの美味しさがあると思うけれど。


「そんな風に卑下するなんて、意外だな」

「そう? 普通でしょう? 私は独学、お店の人は専門の場所で勉強したのだから、腕に違いがあるのは当然よ。自分に自信を持つために、自分の料理が世界で一番美味しいって自己暗示しているけれど、それでもやっぱり限度があるわ」


 だとしたら、独学でお店のものとそん色ないくらいのレベルまで上達した亜弥はとても立派だ。

 だって中学時代は料理下手の対名詞と言っても過言ではなかったのだから。


「俺は、亜弥の料理、好きだよ。毎日食べたい」


 フォローのつもりだけれど、なんだか愛の告白のようにも思えて少し恥ずかしくなる。

 気持ちを誤魔化すために俺は白飯をかき込んだ。


 俺の言葉を受けた亜弥は、動揺することなく、こちらを覗き込む。


「世界一美味しい料理って知ってる?」

「さあ。何なの?」

「それが困ったことに、2つの派閥があるのよ」

「どういうこと?」


 ふふふ、と亜弥はもったいぶった様子で微笑む。

 何となくは察しがついているため、まともに前を見れない。


「1つは、お母さんが作ってくれた料理。で、もう1つがお嫁さんが作ってくれた料理」

「それって自論?」

「自論と経験則。まあ、結局は一番親しくて、一番大事な人の作ってくれた料理が一番美味しいってことよ」


 どや、と亜弥は胸を張るけれど、そんなこと俺だってわかっているのだ。

 わかりきったことを堂々と目の前で言われるから恥ずかしい。


「そりゃまあ、そうだろうな」

「嬉しいこと言ってくれるわね。私、張り切っちゃうわ」


 鼻歌を歌いながら、亜弥はまた料理の手を進めた。

 何か言い返したかったけれど、何も言い返せなかった。だって本当なのだから。


 きっとこの「美味い」というのは安心感も含まれているんだろう。

 子供の頃、外食をしても結局母親の作った料理が一番だと感じた。

 今でも母親が作った料理を食べると安心感を感じるし、最近では亜弥の作ってくれる料理のも同じようなものを感じる。

 だから、亜弥の料理は俺の中で世界一なのだ。

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