第194話「大事な話」
食事を終え、俺たちは再び桜並木に戻っていった。
なんだか来た時よりも花見客が多い気がする。
「これなら、私がお弁当作ってきた方が良かったかもしれないわね」
「まあまあ、いいじゃない」
確かに亜弥の言う通りだったけれど、たまには家事から離れてのんびりゆっくりして欲しいものだ。
ふんわりと、やわらかい風が吹いた。
それと同時に地面に落ちていた薄桃色の小さな花びらが舞う。
「綺麗」
亜弥が呟いた。
彼女はロングスカートを少したくし上げ、ひらひらとさせながらくるりと回る。
「綺麗でしょ」
ニッと彼女は俺に向かって微笑んだ。
その表情は、自分が美しいと自覚していないとできない顔だ。
すかさず俺は彼女に向けてカメラを構える。
「もう、撮らないでよ」
と言いつつ亜弥はくるりくるりと回転する。
まるで映画のワンシーンのようだ。
カメラに映る彼女は、どの名画よりも美しい。
「綺麗だよ」
今度はちゃんと言えた。
しかし彼女は自分に言われている自覚がないのか、ただ微笑むだけだった。
もちろん桜も綺麗だけど、それ以上に彼女が美しい。
満足した様子で亜弥はスカートから手を離し、こちらへ駆けてくる。
「撮ったからには、綺麗に映っていないと怒るわよ」
「自信ないな」
そんな俺のことなどお構いなしに、亜弥はスマートフォンを取り上げると、先程撮影したものを確認する。
なにも恥ずかしくないはずなのに、なぜか亜弥は顔を赤くしていた。
「もしかして、あなた、動画を撮っていたの?」
「そうだけど、まずかった?」
「まずくはないけど……てっきり写真だと思っていたから」
「でもシャッター音はしなかったでしょ?」
「それは、そうだけど……」
別に動画でも写真でも変わらないと思う。
ただ、俺の動画の中にポロリと呟いた自分の言葉があるから、それだけは少し恥ずかしいかもしれない。
もう、と腹いせなのか、今度は亜弥がこちらに向けてカメラを向けてきた。
パシャリ、パシャリ、と亜弥は次々とカメラを連写していく。
「何してるの」
「いいじゃない、別に。撮りたいんだから。ほら、こっち向いて」
こんな風にカメラを向けられると、どうして恥ずかしい気持ちになってしまうのだろう。
ちょっとだけさっきの亜弥の気持ちがよくわかる。
その後も亜弥は付きまとうように俺にカメラを向けてきた。
逃げるようにスタスタと歩いても、彼女は俺の歩幅についてくる。
亜弥を怒らせると怖いということを、改めて思い知った。
「わかったわかった、降参、俺の負け」
逃げ切るのは無理だ。俺は両手を挙げ、堂々と彼女のカメラを見つめた。
ふふん、と勝ち誇った様子の亜弥は、カメラのモードを写真から動画へと変更する。
「では、いくつか質問したいと思います」
「はい」
はあ、と溜息が出るけれど、ここは亜弥のわがままに付き合おう。
「私のこと好き?」
「そりゃあ、まあ」
「どのくらい?」
「どのくらい、か……世界一、かな」
「ふうん」
亜弥はまただんまりを決め込んでしまった。
スマートフォンで顔は見えなかったけれど、耳は真っ赤になっているのがちらりと見えた。
俺だってこんなことを言うのは恥ずかしい。
けれど、誤魔化すのもなんだか失礼だと思ったから、こうするしかなかった。
「…………そう」
スマートフォンを戻し、亜弥は俺の手を掴む。
そしてグイグイと引っ張っていった。
ちょっとは俺の腕も気遣ってほしいところだけど、今の彼女にそんな余裕なんてないのだろう。
彼女に引っ張られながら、俺は桜並木を歩いていく。
本当はもっとゆっくりと桜を堪能したいのだけれど、亜弥がこんな調子だからできない。
立ち止まる暇すらなかった。
「ねえ、ちょっと待ってよ」
俺は亜弥の手を振りほどき、立ち止まる。
彼女は振り向いてはくれなかった。
「あのさ……」
「ごめん今そっち見れない」
いつもより少し早口だった。まだ恥ずかしがっているのだろうか。
本当ならこの後、もっと大きなものをプレゼントしたいと思っているのに、この調子だと大丈夫だろうか。
「あなたが、私のことを、世界一好きだって言ってくれて、すごく、嬉しいけど、すごく、恥ずかしいから、その……」
後ろ姿で悶々としている彼女に俺はそっと寄り添い、優しく頭を撫でる。
「大事な話があるんだ。その時になったら、ちゃんとこっちを向いて、聞いてくれる?」
「大事な話?」
「ああ。俺と、亜弥と、夏海ちゃんに関わる大事な話」
「それって……」
おそらく亜弥も確信しただろう。
彼女は振り向かずにコクリと頷き、後ろ向きのままこちらの胸に頭をうずめた。
そしてぐりぐりと高等部を胸に押しやっている。
周囲に人がいなくてよかった。こんなところを誰かに見られることが恥ずかしい。
しばらくすると、亜弥はくるりと振り返り、特上の笑顔を俺に振りまいた。
「さ、行きましょう?」
「はいはい。今度はゆっくり桜を楽しみたいわ」
「そうね。まだ時間はたっぷりあるもの」
俺達は再び手を繋ぎ、桜並木を歩いた。今度は同じ歩幅で、隣同士で。
やはり亜弥には笑顔が一番似合う。
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