第145話「現状」

 いつもの元気な彼女と違い、少し悲しそうな顔をしていた。

 副担任として夏海ちゃんと関わる機会が多くなったせいか、俺の知らない夏海ちゃんを彼女は見ているのかもしれない。


「その……学校での夏海ちゃんって、どういう感じなんですか?」

「そうですね……私が任してきたばかりの時は、今まで通り明るくて、友達とも仲がいい感じだったんですけど、最近は少しピリピリしているというか、友達もあまり寄り付かなくなっていて、ここ数日は雪穂ゆきほさんと話しているところしか見ていないです」


 雪穂さん、というのは江上さんのことだ。

 去年に引き続いてまた同じクラスになったようで、少しだけホッとする。


 しかし、現状はそう心安らぐものではない。

 このままだとクラスで夏海ちゃんが孤立してしまう可能性が出てくる。


「多分夏海ちゃんは、誰かに相談するっていうのが苦手なんだと思います。全部1人で抱え込んで背負い込もうとする。他人を巻き込みたくないのかもしれないけれど、できれば私にももう少し頼ってほしいな」

「頼られてないんですか?」

「酷いこと言いますね」


 ケラケラと彼女は笑った。あまり気にしていない様子だ。

 ハイボールを注文し、彼女は再び話し出す。


「私がこの話を聞いたのも、亜弥さんから相談を受けたからなんです。夏海ちゃん、全然顔に出さないからそれまで全然気が付かなくて。まだまだですね、私」


 そう笑いながらハイボールを飲む彼女の瞳は少し潤んでいた。


 元より夏海ちゃんは基本的にポーカーフェイスだ。

 最近は感情の起伏がわかりやすくなったけれど、夏海ちゃんからしてみれば、こんな風に表情を読み取らせないことくらい朝飯前なのかもしれない。


 きっと今、夏海ちゃんには居場所がない。

 家出は母親と敵対関係にあるし、学校では周囲に気を遣われたくない。

 だからこんな風に自分を殺して生活しているのかもしれない。


「このままいけば夏海ちゃん、壊れてしまいそうだなって思ってて……相談に乗っていいよって言っても、大丈夫って突き返されて、ホント、不甲斐ないです、私……もっと頼れる先生になりたい…………」


 ポロポロと、彼女は涙を流す。

 教師になって早1ヶ月近く、たったこれだけの期間だが、今までいろんなことがあったと思う。

 そしてこれからも、いろんなことと対峙しなければならない。

 不安だって当然大きくなるはずだ。俺だって夏海ちゃんに対して不安でしかないのだから。


「……俺だってまだわからないことばかりです。どうすればちゃんと教えられるのか、どうすれば頼りがいのある先生になれるのか、いつも研究してます。明確な答えはまだ見つかっていません。けどあなたなら、きっといい先生になれるよ思いますよ。それは夏海ちゃんにとっても、ね」

「そうでしょうか……自信ないです」

「大丈夫です。俺が保証します」


 ここで、俺のスマートフォンが鳴った。

 こんな時間に誰だろう、と相手を見ると、一瞬にして背中に冷や汗がダラダラと流れ出した。


「も、もしもし?」

『もしもし? 今ちょっと嫌な予感がしたから電話をしたのだけれど、まさか変なキャッチに捕まってるようなこと、ないでしょうね?』

「そ、そんなことないですよ?」


 誤魔化すのに必死で声が裏返る。

 その様子を見て、彼女はクスッと微笑み、俺のスマートフォンを取り上げる。


「こんばんは、亜弥さん。今あなたの彼氏さんに私の愚痴を聞いてもらっている最中なんです。あ、決してやましいことはしませんから安心してくださいね?』

『わかっているわよそんなこと!』


 電話越しに亜弥の怒号が飛んできた。

 それでも聖良さんは動じる様子もなくフフフと微笑んだままだ。

 本当にこういうところでは肝が据わっている。


 スッと彼女は俺に再びスマートフォンを差し戻してきた。


「ご、ごめん……」

『どうやら私の嫌な勘は当たっていたみたいね』

「なんでわかったの?」

『女の勘よ』


 その言葉をどこまで信用していいのかわからないけれど、なんだかそういう類いのものが実際に存在するような気がしてきた。

 焦る気持ちを誤魔化すように、俺はビールを飲む。


『口説いちゃダメよ? いい? 絶対だからね?』

「はいはい、わかってるって。それじゃあ──」

『あ、待って!』


 さっきまでの面倒臭いムーブから一変し、亜弥の声色が変わる。

 彼女が「聖良さんに代わって」と自分から言ってきたので、その要望に応えて再び聖良さんにスマートフォンを渡した。


『学校での夏海のこと、よろしく頼むわね』


 かすかながらに、そう聞こえた。

 わかりました、と聖良さんは答える。しかしその顔はやはりどこか元気がなかった。


 電話が切られ、スマートフォンが返ってくる。


「…………責任重大だなあ」

「何かあったらいつでも頼ってください。俺も、そして亜弥も、力になりますよ」

「あはは、ありがとうございます……」


 いつもは酒飲みで大食らいの彼女だが、今日は全然食が進んでいないようだった。

 よく見ると以前会った時よりも少し痩せているようだ……痩せた、というよりもやつれた、と表現した方が近いのかもしれない。


「お会計しましょうか」


 彼女に続いて俺も会計をし、店を出る。

 結局何も見つからなかった。現状を話して、それで終わり。時間は思った以上になくなっていく。


「今日はお忙しい中ありがとうございました。久々にご飯が一緒にできて楽しかったです。またご一緒させてください」

「はい。その時は是非」


 それではと駅前で彼女が改札を抜けるのを見送り、家に戻る。

 さて、これからどうしようか。課題は単純そうに見えて、かなり複雑だ。

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