第144話「打開策の見つけ方」

 GWが終わっても、夏海ちゃんと亜弥の関係は修復されなかった。

 部活動がない日はほぼ毎日夏海ちゃんの勉強に付き合っていたが、やはり2人の間に会話はなかったし、いつものクッキーだってあまり味がしなかった。


「先生はどっちの味方なの?」


 そんなことを夏海ちゃんから尋ねられた。

 勘弁してくれ、という感情を抑えて「どちらでの味方でもない」と答えると、冷たく「そう」とそっぽを向かれてしまった。


「俺の考えとしては、出来る限り2人のサポートはしたいけど、答えを出すのは2人だから、俺はどっちの味方もしないつもりでいる。あくまでも中立だ。夏海ちゃんも俺に頼ってもいいけど、そこはちゃんとわかってほしい」

「それはお母さんのことが好きだから?」

「違う。2人の問題だからだ」


 ズルいね、と夏海ちゃんは問題集を閉じた。まだ時間は残っている。


「どこ行くの?」

「トイレ」


 最近は俺にまで冷たくなってしまった。

 なんだか出会った頃を思い出すけれど、あの時よりも彼女は氷を纏っているように冷たく感じてしまう。

 触れてしまっただけで凍り付いてしまいそうな、そんなオーラを彼女は常に放っていた。


 それは塾でも同じで、テスト期間でもないのにピリピリとした雰囲気が常に漂っている。


「夏海、最近イライラして言えるようだけど、どうしたの?」

「なんでもない。気にしないで」


 江上さんが何度も尋ねるが、夏海ちゃんは何も答えないまま、黙々と問題集を進めていた。

 心配そうな目で彼女を見つめる江上さんだったけれど、何も言えずに自分の分の問題集を解く。


 このままだと家族間だけでなく、友人間でも亀裂が生じてしまいそうだ。

 状況は刻一刻と悪い方向に進んでいる。

 しかし今の状況を打開する方法はまだ見つかっていない。


 やはり現実的な案としては、亜弥が折れるしかないのだろう。

 本人もまだ迷っているみたいだし、引っ越すとしたら夏海ちゃんがもう少し大きくなってちゃんと受け入れられるようになってからの方が賢明かもしれない。


 はあ、と仕事終わりに溜息をつき、何気なくスマートフォンを眺める。

 すると、1件のメッセージが届いているのに気が付いた。


『お久しぶりです

 夏海ちゃんの件、本人と亜弥さんから聞きました

 よろしければそのことについて今から相談できませんか?』


 今年の4月から夏海ちゃんのクラスの副担任になった聖良さん……聖良先生からのメッセージだった。

 今はもう10時半だ。時間帯は大丈夫なのだろうか。


『構いませんが、よろしいのでしょうか?

 もう時間も結構遅いですし、また後日、ということもありますが』


 すると、すぐに返事が返ってきた。


『今から退勤なので問題なしです!

 単純にお腹が空いたので、せっかくだから一緒にどうかと思いまして』


 なるほどそういういことか、と妙に合点がいった。

 それにしてもこんな時間まで仕事をしなければならないなんて、本当に教職というのは大変な仕事なんだなとつくづく思う。

 まあ明日が1学期の中間考査だから、ということもあるのだろう。


 俺は仕事を切り上げて、彼女が指定した立ち飲み屋に向かった。

 かつてここで彼女から口説かれそうになった、あの場所だ。

 なぜか背中にひんやりとした後ろめたさが伝ってくる。


 店に入ると、既に彼女がハイボールを飲んでいた。

 俺は彼女の隣でビールを注文する。


「お久しぶりですね」

「そうですね。あ、教員、採用おめでとうございます」

「ああ、ありがとうございます。まさかいきなり3年生の副担任になるとは思いませんでしたけど」


 あはは、と彼女は笑った。もうそれなりに出来上がっているみたいだ。


 枝豆をつつきながら彼女は近況を報告し始めた。


 ようやく仕事に慣れ始めたこと。

 吹奏楽部の副顧問になったこと。

 そして、夏海ちゃんから相談を受けたこと。


 一気に空気が重たくなる。

 今日誘われた理由がそれだというのはわかってはいたけれど、やっぱり息苦しくなってしまう。


「どこまで聞いていますか?」

「おそらくほぼ全て、だと思います。亜弥さんが家を売り払いたくて、でも夏海ちゃんはそれが嫌で、それで喧嘩してしまって……合ってますか?」


 合っている。状況把握の最低限の認識はそれで間違いない。


「どう思いますか? この状況」

「どう、と言われても……まあ、あまり良くない状況であることは間違いないですけど、正直、どうするのが正解なのか、よくわかりません」


 注文しておいた唐揚げが届く。

 パリッとした衣とは裏腹に、じめっとした空気が俺と彼女を包む。


「私だってそうです。夏海ちゃんの気持ちもわかるし、亜弥さんの言い分だってなんとなくわかる。けど、今の私の本心が勝手に決めていいのなら、亜弥さんはこのままあの場所に残るべきだと考えています」


 ズバッと言い切ってしまったことに驚いた。

 俺なんか何も答えが出せずにダラダラと過ごしていただけなのに。


 彼女は理由を述べた。


「今は受験勉強という大事な期間です。夏海ちゃんの志望校を考えると、こういうゴタゴタは受験までに引きずってしまったらダメなんです。だったらいっそ受験まで保留にして、実際に亜弥さんがあの家で1人になってから決めても遅くはないと思います。そもそもこれは志望校に合格したらの話で、とにかく今は受験に集中させてあげたい、というのが教員として、そして私個人としての考えです」


 かなりまとまった答えだった。ぐうの音すら出ない。

 今このタイミングで引っ越すメリットよりもデメリットの方が大きいのは事実だ。

 実際に亜弥が1人になってみないとわからない部分もあるかもしれないし、案外1人でもなんとかなる、ということもあるかもしれない。


「でも、私が懸念してるのはその答えじゃないんですよ」

「と言うと?」

「仲直りの仕方です。多分、普通に仲直りするのは難しいんじゃないかな」


 グビッとハイボールを飲み干した人間とは思えないくらい、酷くしんみりとした声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る