第110話「久しぶり」
夏海ちゃんにとって2度目の体育大会が始まる。
今年は去年とは違い、プログラム1番の生徒行進から参観した。
吹奏楽部の奏でるマーチの演奏に合わせて、各クラスが1,2,と声を出す。
夏海ちゃんも例に漏れず、真っ直ぐに前を見て大きく口を開いていた。
「なんか、懐かしいな」
「そうね」
昔のことを思い出しながら、俺は彼女たちの行進を見守る。
そういえば俺達もこんな風に掛け声を出しながら行進したっけ。
過去に浸っているところ、ちょんちょん、と左腕をつつかれた。
子供のいたずらだろうか、と思ってその感触がした方に目を向けると、懐かしい人物がふふっといたずらっ子のような微笑を浮かべていた。
「お久しぶりです」
水野先生……聖良さんだった。
白のTシャツと紺色のジーンズというラフな格好をした彼女は、教員採用試験に挑戦する、と言ってこの3月にうちの塾を辞めたはずだ。
元気そうでよかったものの、一度彼女を振っている手前、少し気まずい。
しかし聖良さんは何事もなかったかのように話しかけてきた。
「元気そうでよかったです」
「そちらも、相変わらずお元気そうで……」
ぎこちない笑みを浮かべる俺に対し、彼女は満面の笑顔で近づいてきた。
亜弥も聖良さんの方にやってきて、笑顔を浮かべる。
これは敵意むき出しのものではなく、純粋な友人としてのものだと信じたい。
「久しぶり。この前はありがとうね」
「いえいえそんな、丁度やることがなくて暇だったものだから、こういうのも面白そうだなって」
いつの間にか2人は敬語を取り外して会話をしていた。
一体どのタイミングでそんな風に親密な関係になったのだろう。
あ、そうだ、と聖良さんが手を叩く。
「私、教員採用試験の1次試験受かったんですよ」
「おお、おめでとうございます」
やりました、と聖良さんは俺にVサインを見せた。その後に、亜弥にもVサインを送る。
すると何を想ったのか、亜弥も聖良さんに向かってVサインを返した。
「2次も8月に終わって、今は合否判定待ちなんですけど、受かっていたらいいなあ」
「受かってますよ。あなたは教師に向いてます」
「そうですかね」
「はい、そうです。断言できます」
「えへへ、そう褒められると嬉しいです」
彼女はにへら、と口元を綻ばせる。
そんな聖良さんを、亜弥はあまり快く思っていなかった。
「ちょっと、他人をあまり口説かないでくれるかしら?」
「口説いてなんかないって」
「口説いてるわよ。ねえ?」
「そうですよ。あんなことを言われて喜ばない人なんていません!」
まさかの聖良さんまでノリノリパターンだった。
ここは最前列ではないものの、こんなやり取りをしていると流石に周囲の目もギロリとこちらに注目する。
こんなところで変な噂でも立てられたらマズい。
「……すみません。ちょっと調子乗りすぎちゃいました」
てへ、と聖良さんがペロリと舌を出す。
しばらく会っていないうちに、彼女の精神はかなり図太くなったように思えた。
でも、過去のことを引きずっていなさそうでよかった。
「私もちょっとからかい過ぎたわ」
「まったく……」
亜弥も亜弥で最近かなり挑発的な態度を取ることが多くなったから、ここ辺りでお灸を据えておきたいところだ。
が、何も思い浮かばない。
「とりあえずもうすぐ夏海ちゃんの種目始まるから、一緒に見ましょう」
「そうですね。そうしましょう」
グラウンドに目をやると、生徒たちの多くは退場門からぞろぞろと自分たちのテントに帰っていったが、2年生だけはその場に残り、リレーの準備をする。
「夏海ちゃん、今年も女子アンカーなんだ」
「そうなの。あの子、今年は結構張り切ってたわ」
ふふふ、と亜弥は自慢の娘を誇らしげに語る。
グラウンドで準備する夏海ちゃんの表情も真剣そのものだ。
スターター役の先生が朝礼台に立ち、パン、とピストルを発砲した。
その合図とともに生徒たちが一斉に走り出す。
夏海ちゃんたちのクラスは、前から2番目だ。
今年は去年以上に歓声の声が大きくなっているような気がする。
行け、走れ、抜かせ、という野次の他にも、差せ、逃げろ、といったここで言うにはあまりにも相応しくないような言葉も聞こえてくる。
これでレートやオッズが決められていたら最悪だ。
そんなことはさておき、お互いのクラスの順位は変動しないまま、リレーは終盤に差し掛かる。
必死に猛追したり、後続を引き離そうと各々必死だが、それでも試合は依然として膠着状態だ。
しかし、やっぱり夏海ちゃんは変化を与えてくれた。
リレーのバトンを貰うとものすごい脚で前をじわりじわりと追い詰めていく。
前との差は1秒ほどだが、そのロスを埋め尽くすように夏海ちゃんは追い上げていく。
それにつれて歓声も大きくなっていった。
「やっぱりすごいなあ。陸上部があったら夏海ちゃんスカウトかかっていたかも」
「うちに陸上部はないわよ。それに、もしあったとしても夏海はきっとバレーを選んでいたわ」
「なんでそう言い切れるの?」
「母親の勘よ」
ニヤリ、と亜弥が聖良さんに笑みを浮かべたのと同じタイミングで、夏海ちゃんはアンカーにバトンを渡した。
1着との差はほとんどなく、どちらが勝つかわからない超デッドヒートだ。
バレーでもそうだが、やはり彼女は名試合製造機とも呼べよう。
走り終わった彼女はアンカーに叫んだ。
走れ、走れ、とそのランナーの名前を呼びながら、懸命に応援する。
「青春だなあ」
彼女の倍は生きている自分はもう二度と味わえない体験だ。
少しだけ、夏海ちゃんのことが羨ましくなった。
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