第105話「将来のこと」

 車に荷物を詰め込み、俺達は帰宅準備を進める。

 あれからあの輩たちがまた絡んでくるか少し心配だったけれど、そんなこともなく搬出準備を終える。

 亜弥と夏海ちゃんも着替えを終え、車に戻ってきた。


「帰りは俺が運転しようか?」

「いいけど、あなた、高速道路運転できるの?」

「まあ、一応」


 正直自信はないが、何度か運転したことはある。

 高速道路で最も重要なのは合流地点だ。

 そこさえ乗り切ればあとは何とでもなる、と昔の記憶が告げている。


 彼女から鍵を借り、車を運転する。

 海を出発して数分もしないうちに、夏海ちゃんは後ろの席で眠りこけていた。


「あらあら、ぐっすり寝ちゃって」

「あれだけ身体を動かしたんだ。今は静かにしてあげよう」


 気持ちよさそうに眠る彼女に微笑みながら、俺は運転を続ける。

 車の静かなエンジン音だけが車内に響いた。


「実はね、少し心配なの、この子の将来」


 溜息を吐くように、亜弥がポツリと呟く。


「今までこんな風になりたいとか、将来はこういう人になりたいとか、全然言ってこなかった。多分、未来で自分がどんな風になっているのか、見えていないんだと思うわ」

「じゃあ君が夏海ちゃんと同じ年齢の時は、こういう大人になりたいって言うビジョンはあったの?」

「そう言われるとちょっと返答に困るけど……でも、漠然とファッションデザイナーになりたいっていう思いはあったわ。結局その夢は叶わなかったけどね」


 彼女が過去を懐かしむように微笑むのと同時に、車は合流車線を抜け、高速道路を走行する。

 一般道と違ってスピードがあるため、ちょっとハンドルを動かしただけでかなり車体が傾く。

 その感覚の違いにちょっとだけ戸惑いを覚えながらも、俺は彼女の話に耳を傾けながらハンドルを握った。


「俺もさ、中学の頃は何にも考えていなかったよ。教師になりたいって思ったのは高校になってから。それで教育大学を受験して、教員免許取って……まあ採用試験落ちて塾の会社に受かったから結局教員にはなれなかったけど」


 だからなんだ、と言う自分へのツッコミは置いておいて、話を続ける。


「つまりさ、今どんな風に未来を想像しても、結局その通りになるとは限らないってこと。だから、まだ焦る必要はないと思う」

「でも、何も言ってこないのもちょっと心配じゃない?」

「それはまあ、ちょっとそう思うところは歩けど……でもまああまり思いつめなくてもいいかもしれない」

「そうかしら」


 まだ彼女の不安は拭えないようだ。

 ちらりと助手席の方を見ると、まだ表情が曇っている。


「亜弥はさ、夏海ちゃんにどんな風に育ってほしいの?」

「どんなって、そうね……今のまま優しく、強く、すくすくと健康に育ってほしいけれど、これじゃ答えになってないかしら」

「いや、十分だよ。進路の強制がなくてよかった」


 経験上、塾に入会させる親の中には、子供の進路を勝手に決めるような人間も珍しくない。

 1年のうちに2件から3件ほどはそういう家庭とぶつかることがある。

 狭い狭い塾の中での話だから、これが学校規模となるともっといるだろう。


「しないわよ。ただ、あの子には後悔のないような選択をしてほしいだけ」

「親が望むのはそれで十分だよ。夏海ちゃんがもし将来のことで相談してきたら、その時は全力でサポートしてあげること。俺も出来る限り協力するから。でもまだ今はその時じゃないと思うし、それを夏海ちゃんに押し付けるのも俺は違うと思う」

「そうね、その通りね」


 納得してくれたみたいだ。

 俺はアクセルを少しだけ踏み込み、スピードをちょっとだけ上げた。


「今日はありがとう、楽しかったよ」

「どうしたのいきなり」

「いや、言いたかっただけだよ」


 ふふふ、と隣で彼女が笑う。この景色は俺だけの特等席だ。




 街に戻ってきた。

 6時前だが、まだ太陽は昇ったままだ。


 高速道路を降りたタイミングで、後部座席の夏海ちゃんが目を覚ます。


「おはよう。夕食はラーメンにしようと思うんだけど、夏海ちゃんはどう?」

「うん、食べる……」


 まだ寝ぼけているのか、ふにゃふにゃとした回答だ。

 そこがまた微笑ましくもあり、クスッと笑みが零れた。


 一般道を走ること数分、ラーメン屋にやってきた。

 この場所は駅から離れているため、駅周辺を生活圏としている俺達にとってはこうして車でないと辿り着けない秘境である。


 ガラガラガラ、と戸を開け、お座敷に通された。

 やはりまだ時間帯が早いようで、そこまで混んではいない。


「お昼に、焼きそば、夜はラーメンか……」


 完全に覚醒した夏海ちゃんがぶつぶつと文句を垂れ流すように亜弥を睨んだ。

 この店に行きたい、と最初に言い出したのは亜弥である。


「あなたも食べるって言ってたじゃない」

「あれは寝ぼけてたからで、なんというか、その……米がほしい」

「炒飯セットあるわよ」

「そういうことじゃなくて!」


 もう、と呆れたように最初に出されたお冷をグビッと飲む。

 この飲み方は将来お酒を浴びるように飲むルートしか見えない。

 食事の風景は水野先生のようにはなるなよ、と強く念を押しておいた。


「早く注文を決めよう」


 俺はメニュー表を2人に見せる。

 自分が食べたいものはもう既に決まった、というか、それしか思い浮かばなかった。

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